2014年12月24日水曜日

退院

11月18日に手術、以後4週間の門注を24時間連続で受けていた間は、総食事量は通常の1/2以下だろう。少なくとも術後1週間は経口ほぼゼロで、以後漸増とはいっても、9月10月で食べ飽きた病院食に戻るだけだから食べる意欲は増えない。運動の制限も大きく、点滴架台つけた状態が1ヶ月続くと階段の登り方降り方を忘れてしまう。ベッドのクッションのひどさにも嫌気がさして、とにかく早く退院させてチョーダイと丁度1ヶ月経過の12月18日にめでたく退院した。退院前の採血でアルブミンはまだ3.5g/dlと軽度低値だけれど、最低の値だった2.0g/dlに比べれば著明改善しているし、ca19-9も完全に正常化していて、ガンはないですね、という執刀医の有り難いお言葉に、PKの怖さを一瞬だけども忘れてしまう。 退院二日目夜に出席した以前の病院の部下たちとの忘年会は、当然の事ながら快気祝いの会を兼ねることになった。各人の近況を伺うと、大学教授を筆頭に関連病院の中核として活躍している者、開業医など、皆はつらつとして元気が良い。近況から昔の思い出話へと話題は尽きず、こちらもしゃべりながら時間をかけて食べると思ったより楽で、締めのご飯以外は何とか食べられてほっとしたところでお開きとなった。
退院後の療養は温泉が一番ということで、今まではそれほど行きたいとも思わなかった熱海に行くことになった。環八の流れも良く、東名も空いていたので、あっという間に小田厚経由で小田原に到着したため、少し遅めの昼食は箱根富士屋ホテルに決定。どうせアラカルト一皿食べられるかどうかなので、二人で鱒のムニエルとビーフシチューを注文し、シェアしたが、ほぼ等量を食べるのに倍の時間がかかり、ちょっとがっかり。高低差のある、というより山の斜面に作られた庭の散策で足が痛くなったのにもがっかりした。 せっかく熱海の温泉ホテルに着いたのは良いが、門注のカテがネラトンの切れっ端をアンカーに腹壁に縫い付けられているために、フィルムでカバーされてはいるもののお湯につかる気にならず、結局半身浴で我慢することになった。カテの抜ける日が待ち遠しい。翌日はリハビリの一環として熱海港歩いて一周に疲れ果てた。