配合降圧剤を巡るD社の勉強会に出席した。演者は某T大の講師で、講演内容はなかなか面白くて、珍しく途中で眠りもせず最後まで聴き通し、ディスカッションにも少しだけ参加できた、ような気がする。こういう形式の会も良いのかもしれない。
会場は本社ビルの会議室で、会場の一室は10人も入れば一杯になる小会議室である。聞き手は、フレッシュマンの時からお世話になっているE先生、後輩のN先生、同期のO君、中央区で開業しているT先生、以上。座長席も演者席もなくて、中央の机を囲み、壁から下がるスクリーン上のPPTを見ながらのディスカッションは、演者と聴衆との距離がほぼ0であるからして、眠るどころではないし、症例検討みたいなところもあって、皆でわいわいがやがやと楽しい時間が過ぎてしまった。会社側が準備したお弁当は結局お持ち帰りになったのにはびっくりした。会社側の連中は若手ばっかりで、挨拶もクロージングリマークもなし。おそらく、企画としてはもう少し多人数のつもりだったのだろうけれど、キミタチの仕事の仕方では出席する気にもならないよと言うセンセーが多かったのではないかと推測する。最近のこの手の研究会勉強会は企画がイージーだね。
2013年2月9日土曜日
津軽海峡、冬景色
お陰で、4km離れた五稜郭まで歩いてしまった。大昔、スキー場で活躍したスノトレがまた役だった。
2013年2月6日水曜日
ダイ・ハード
テレビでダイ・ハードを見ている。25年前の作品。最初にみたのはゴールドコーストのシェラトンミラージュのスイートでのテレビだった。内容も日本がバブルに浮かれていた頃のものなら、見たこちらもバブルで浮かれた旅行先である。今見ても佳作だと思うが、日本資本の所有するビルに鎧あり畳あり、金庫には6億ドルの米債券ありで、このあたりは今見ると結構恥ずかしい。一方、これからの日本の人口・人口構成、諸国の状況を見れば、あの時代は未来永劫二度と訪れない可能性が高いわけで、そのことに関してはすごく悲しい。結局あの浮かれ騒ぎにアタマに来た大国が金融工学と称して基軸通貨を操り、少し背伸びをしすぎた日本の政治家の首をすげ替えて、押さえ込んだわけで、更にそうこうするうちに別の大国が図に乗ってきたのが現状だろう。図に乗ってきた大国の挙動にかつての我が国の行動が時々重なってみえるのは致し方ないとしても、それではこの大国の間で我が国はどうするか、と言う問いの正答がいまだ出されていないところが問題だと思う。3年余の期間での政権の移動は、一般人の目からは政治家も少し利口になったようにみえるのだけれど。
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