2015年12月31日木曜日
空振り?
自院での休日応急診療を久しぶりに引き受けた。普段より早い9時に開院したが、早く来すぎたスタッフはビルの入り口の施錠に出くわして、朝の寒気のなか、立って待っていてくれた。ドアを開けて早々に電話が鳴り、数名の患者が来院。インフルエンザ1名、風邪・胃腸炎数名。子供4割、成人6割と言ったところか。十数名の診察終了後、九段下に休日応急診療所の12月分レセプトチェックに出向いたところ、元会長が一所懸命診療しておられた。大混雑ではないのでほっとして、キットカットをいただいて退場。今シーズンはインフルエンザの流行が遅く、楽をすることができた。
2015年12月30日水曜日
barrelの中に入ったような
赤坂にあったときは天井が高くて解放感のある宮殿風の店内だったローリーズプライムリブ、恵比寿に移ってから初めての訪問である。5時15分前に着いたらまだ入り口が閉まっていたので、向かいの三越の食品売り場で商品のお値段の高いのにびっくりしながら時間をつぶした。5時数分前に開場、バーで一杯飲みながら待つこと数分で息子夫婦も到着し、個室での食事が始まった。スタッフに伺うとワイン樽の内側をイメージした内装とのことで、確かに茶色の横板で壁と天井がデコレートされ、樽の中に入った気分。照明の暗さもあってとてもしらふでいられない。ローストビーフの味はとてもよろしく、ワインも進み、結局4人でワイン2本、そのあとブランデーとカルバドスもいただいた。孫は持参のママ特製弁当を食べながらおもちゃとトーマスのDVDに夢中で、後半は静かになり、大晦日近くの大人の時間が終わった。
2015年12月21日月曜日
都医懇親会
先週は外食が続きちょっと疲れ気味だったので、今日はビュフェスタイルをさらっと済ませようと思っていたが、600人を超える参加者のパーティともなるとこちらの思い通りにはいかなかった。圧力団体としての都医の存在感が議会の現場でどのようなものかは知らないけれど、集票マシンとしては意味があるのだろう。医師会長、自治体首領、国から地方までの議会の議員が多く参加して、圧力側としてはパワーの誇示が必要なのは当然で、なんのかのの紹介、一言などなどで1時間をゆうに超えた。区医師会のおなじみのメンバーと立ち話をしながら時間をつぶし、ビュフェスタイルとしてはかなり美味しい食事をつまんで、現場を後にした。帰る前に次期選挙での立候補予定の彼女とハグしたのが大きな収穫だった。
2015年12月18日金曜日
2015年12月16日水曜日
2015年12月15日火曜日
2015年12月14日月曜日
レントゲン二重読影
二ヶ月に1回の胸部レントゲン二重読影。本日の仕事量は88人分で、前回との比較が半分以上なので150枚弱の胸部レントゲンをN先生と二人で読影した。喀痰の細胞診とともに肺癌検診の重要な構成要素だからそれなりにマジメに取り組むと、消化器内科系の自分としては呼吸器科あるいは放射線診断専門医と共同でなければとても責をまっとうできないことが実感される。今日のこのくらいの仕事量でもそれが限界だ。肺癌検診受診率が低いからと肺癌検診を検診受診者に必須とする見解をどこかできいたけれど、それならば胃がん検診と大腸がん検診を必須としない見解を訊きたいものだ。受診者の負担を増やさずに済むからというのが理由であるならば、実施側の負担についてはどう考えているのか。いずれにしても来年度は毎週1回の読影と担当医にとっては月1回の出席が必要だろう。
2015年12月12日土曜日
抜け弁天のふぐ
昨年は退院の数日後にでかけ、店の裏口を入って急階段を手すりにつかまりながら昇り、病み上がりの身には河豚料理が思いの外優しく食べられることがわかって心が和んだ覚えがある。今日は、その1年後ということで、昨年に引き続いて同じ店を幹事殿が予約した。前回の屋根裏部屋風の座敷と異なって、今年は1Fの奥の座敷がリザーブされていた。1977年伊勢原に内科助手として赴任してすぐの思い出から始まって、東京病院での出来事等々、こちらが忘れてしまったことなどを教え子たちはよくもしっかり覚えていてくれて、もちろん、楽しいこともあり苦しいこともありだったけれど、今となってみるとほとんどが懐かしい思い出、忘れられない記憶として残っているようだ。思わず目頭がちょっと熱くなった。めうがには味がかなうはずもないけれど、ボリューム満点のコース料理はまさに山盛りで、しっかり焦げ目が付いたひれのひれ酒の美味しさと相まって、おしゃべりの種を尽きさせない。現時点でのこちらの身の具合に喜んでくれる皆の将来に幸せあることを願う。
2015年12月10日木曜日
2015年12月9日水曜日
千代田区新型インフルエンザ等対策医療連携会議
昔のブロック会議が、おそらく参加者数が多く、しかも生活圏行動圏が異なる地域のメンバーが集まったために、調整がむずかしかったことから、ブロック会議はブロック内各保健所と保健局の連絡会議的な目的にして、各区で地域的な専門家会議を立ち上げた結果がこの会議の開催に至ったものだと思う。そうなると、会議の性格としては保健所がメンバーの意見を聴いてそれをブロック会議に上げることが主になる。そのためか、あるいは差し迫った疾患の流行がないためか、じつに軽いノリで会議は進行した。本来、会議は本当なら喧嘩か戦争になるのを血を見ずに済ませようという目的で開くものだから、オープニングと最後の締めは笑いがあったほうが良いけれど、中身ではかなり緊迫して当然だ。それなのに、なによりも笑う意味がないところで議長が笑顔で会議を進めるし、議題の資料を作った職員本人が質問に対してコピペしただけなのでわかりませんという応答をするなど、大学で忙しい時間に無理矢理会議を開いた経験があるこちらとしては、とても許せない2時間の無駄遣いに思えた。最後に、ブロック会議の結果を速やかに教えてほしい旨発言して課長の返事を得たが、実際に流行が始まった場合果たして機能するのだろうか。
2015年12月6日日曜日
a happy birthday
2015年12月4日金曜日
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