2015年3月27日金曜日
3月集会ラリー
主催の学術講演会からはじまって、顧問会、理事会、運営委員会、休日応急連絡協議会、整備委員会兼移動理事会、予算総会と、医師会関連の集会が続いた。学術講演会と休日応急は別にして、そのほかの会の顔ぶれがほとんど同じというのはどんなもんだろう。新参者の僕には会の目的がはっきりしないものもあるように思える。経験豊かで見識に優れた顧問の方々の貴重なご意見をうかがう会は必要だと思うし、理事会は決定機関として欠くことはできない。わからないのが運営委員会と整備委員会だ。名簿の後半に書いてある会則だか約款だか定款だかを見て気がついた。現在の運営委員は41名いるのだ。今頃気づくとは何事だとおしかりを受けても返す言葉はないのだけれど、それにしても出席率が悪いのは、ひとつには会の目的がはっきりしないところにあるのだろう。整備委員会はレセプト請求の電子化の前にはその存在価値が問われているのだけれど、山中先生・相沢先生のお話は聞いている僕にとってはとても役に立つ機会であり、いっそのことオープンな講演会にでもしたら良いのではないか。予算総会もむずかしい問題提起で、議決のない会をどういうところに位置づけるか、この形式になって1年なのだから、そろそろはっきりさせたいところだ。Yホテル、鰻、I半、K亭、菜館、寿司、と品を変え形を変えての食事は残念だけれど今年はいまいちだった。
2015年3月16日月曜日
またまた温泉三昧
歩き見る見どころもそれほどない移動日はうすら寒い曇り空だった。長崎駅から特急「白くないカモメ号」と「ゆふいんの森」号を乗り継いで湯布院に向かった。前半は波ひとつない有明海を右に見て、後半は標高が高いためか雲が低く遠くの景色が見えない山間部を特急列車はひたはしる。景色がそれほど面白くないあいにくの天気なので、長崎で買った飲み残しの焼酎を飲みながら車内のチェックをすると、ゆふいんの森号は床は板張り、ショップとの境にはのれんが下がり、カウンターもあるショップは半ば居酒屋と化していた。CAによる湯布院の観光案内もありなんとか退屈せずに湯布院に到着したのだった。
霧深い山と森の中に点在する超高級旅館
という湯布院のイメージは駅から外に出たとたんに粉砕されて、目の前にあるのは連休の旧軽銀座の賑わいだった。違うのは近くてやや遠い隣国の言葉が飛び交っていることだ。ほとんどすべてのジャンルのtake out と eat in shopが軒を並べているが食べながら歩く気もしなかったので、年齢にふさわしく蕎麦屋で昼食、通りを一応端まで歩いて、少し離れたところにある今夜の宿に向かった。
霧深い山と森の中に点在する超高級旅館
という湯布院のイメージは駅から外に出たとたんに粉砕されて、目の前にあるのは連休の旧軽銀座の賑わいだった。違うのは近くてやや遠い隣国の言葉が飛び交っていることだ。ほとんどすべてのジャンルのtake out と eat in shopが軒を並べているが食べながら歩く気もしなかったので、年齢にふさわしく蕎麦屋で昼食、通りを一応端まで歩いて、少し離れたところにある今夜の宿に向かった。
喧噪の通りから外れて坂道を上ること約30分、山荘というだけあってちょっと荒れた感じの入り口が見えてきた。玄関から帳場までの廊下もせまくて古臭く、進む毎に不安が増す。幸いなことに、部屋は普通で広く、古臭いことを除けばなんとか住めそうだ。窓を開けると数十メートル先に源泉があり、水蒸気の太い柱が立ち上がっている。湯治に来たのだという当初の目的を思い出し、さっそく風呂に向かった。日本有数の湯量を誇る湯布院温泉だけあって、この山荘もお風呂だらけであった。客室数10、収容人員40名だけれど、うち3室が温泉風呂付で、だれでも入れる内湯2、露天風呂2、内湯と露天がセットになった家族風呂が3組分あるという具合である。もちろンすべてかけ流し、お湯の温度があまりに熱いのでフロントからはとにかくどんどん水で薄めてくださいといわれ、入ってみると確かに熱い。チェックインからチェックアウトまでの間、ほぼすべての風呂を制覇し、多少湯あたり気味で山荘を後にしたのだった。
2015年3月14日土曜日
長崎は今日も晴れだった
久し振りの長崎である。初回は確か中学の修学旅行、二回目は井田病院研修時代の学会で、三回目は10年位前の消化器病だと思った。修学旅行で覚えているのはなぜか中津の福沢諭吉の生家と雲仙岳のケーブルカーだけ、二回目の長崎で覚えているのは料亭で食べた卓袱料理の美味しかったこと、三回目で覚えているのはなぜかハウステンボス行きのバスに乗った学会の太った重鎮の姿、というわけで、今回は到着日に老舗の料亭を訪れた。目的は卓袱料理といってもランチ用にデザインされたミニ卓袱(姫重と言う名前がついている)。小ぶりの三段重ねの重箱に作られた料理はまさにミニ懐石だけれど、お味はよろしい。日本酒がぴったりの味付けの各品を完食して、見た目には量が少ないかなと思ったが食べ終わった時点ではまあまあの満腹感だった。
その前後、眼鏡橋から始まってお寺通りに入って興福寺、崇福寺をはじめとする数軒のお寺さんを歩いて回った。さらに足を伸ばして大浦天主堂、グラバー園をチェックし、ホテルへの帰りがてら出島の周囲を一回りして埠頭の海鮮居酒屋で活きの良い鰺などお造り中心の魚料理を地元の麦焼酎で楽しんで、疲れ果ててホテルで爆睡。突然思い立ち、軍艦島上陸ツアーに参加することになった。絶対に行かなければならないわけではないけれど、今行かなかったら次のチャンスはないだろうということで決定。ホテルが紹介してくれた軍艦島クルーズはシーマン商会という会社が運営している45人乗りのサルク号という小さな船で島に向かうものだった。朝、桟橋に着いてあたりを見渡すと、ほかに軍艦島コンシェルジェ、ブラックダイヤモンドといった面白い名前の会社の船もあり、結構混んでいるらしい。サルク号も満員の乗客を乗せていよいよ出発した。この船に乗ってよかったことは、長崎の湾を抜けるまでの海上からの景色が、巨大ドック、歴史的なハンマークレーンなど、陸からは比較的見づらいものをしっかり見せてくれるものであったことだ。同時にこのエリアが三菱重工の一大拠点であることもよくわかる。それ以外にも、神ノ島のマリア像と教会、伊王島の聖ミカエル天主堂など、長崎ならではの景色を堪能しつつ、船は外洋にでた。この船に乗って悪かったことは、船に弱い人にとってこのサイズの船は波の影響を当然受けやすく、大揺れが始まったことだ。僕自身は全然平気だが、家内はタイヘン、船主側が用意してくれたポリ袋とおしぼりを手にへたっていた。
NPO法人軍艦島を世界遺産にする会理事長の解説をききながら歩く島の景観はまさに壮絶である。中東はいざ知らず、わが国では普段めったに見ることのない巨大廃墟を目の前にすると言葉も出ない。子供時代をここで過ごしたという理事長の解説も熱を帯び、ちょっと重たいけれど話は福島原発にまで及ぶ。しかし、ほぼ外洋の荒波の洗礼を受け続けるこの島の人工構造物の寿命はそれほど長いとは思えない。数十年でもとの岩礁に戻るような気もする。
昼過ぎに寄港後、長崎めぐりの後半戦が始まった。船酔いから回復した家内と二人でまず中華街江山楼で名物皿うどんを食べたのち、市電を利用しまくって平和公園、浦上天主堂、爆心地、稲佐山展望台を渡り歩いた。歩いた距離も半端なく、良いリハビリになったと思う。でも、稲佐山からの夜景が香港、モナコ、とともに世界の新三大夜景ってホント?
それはそうと、長崎の最後の夜に食べた焼き肉ホルモンは最低の味だった。地元のパンフはウソもある。
2015年3月8日日曜日
法要
23回忌の法要が厳かに執り行われた。由緒ある古寺名刹に集まり本堂で読経焼香、比較的若いご住職の有難いお話を伺う。ある関取に似た顔つきだ。電子カーペットだけの暖房では広い本堂のなかに満ちた冷気を追いやるに力不足ではあったけれど、寺は本来夏涼しく冬寒いものだろうから、当然と思って時が過ぎ去り終わるのを待った。そのあと塔婆を捧げ持ち、墓に向かう。きわめて由緒ある墓で墓石は古色蒼然、墓内の木々も実に手入れが行き届いている。ほとんど盆栽に近い形態である。
終了後は車で移動して愛宕に向かった。融通の利かないナビのためか、用意されたバスよりも先に出ながら後に到着するという有様だったが、ヒルズの1階駐車スペースに車を置き、迎えてくれた昔からの下足番のおじさんに挨拶しながら2階の店に集まった。献杯ののち食事が始まったが、精進料理でこれだけの品数は初めての体験で、なんと、満腹状態であった。
終了後は車で移動して愛宕に向かった。融通の利かないナビのためか、用意されたバスよりも先に出ながら後に到着するという有様だったが、ヒルズの1階駐車スペースに車を置き、迎えてくれた昔からの下足番のおじさんに挨拶しながら2階の店に集まった。献杯ののち食事が始まったが、精進料理でこれだけの品数は初めての体験で、なんと、満腹状態であった。
2015年3月3日火曜日
落ち目のホテル
医師会主催の学術講演会に久しぶりに出席した。メーカーの講演なので当然クスリの宣伝があり、新しいPPIでメーカーとしてはKイオン競合型アシッドブロッカーと銘打って売り出したいようだ。新薬過ぎてデータが少ないのかとにかく我が社のクスリを使ってくださいということなのか、会に先立って数種類の薬剤説明をきいたあと、本講演が始まった。医科歯科大准教授のご講演は主としてF社の内視鏡を用いて行った臨床データで、ビジュアル的には面白かったけど、やはり途中で睡魔に襲われ、目覚めて聞きはじめたときは幸か不幸か新薬のカタログデータが主体で、情報量が少ないから再入眠する前に終了したのだった。その後の情報交換会と称する立ち食い会は、このホテルの現状あるいは未来を暗示する貧弱な料理の羅列にあきれ果てた会となった。天ぷらもなく、にぎり寿司の模擬店もなく、肉料理は触る気もしない有様で、ドライカレーみたいなご飯もので腹を膨らませてタクシーに乗った。
2015年3月2日月曜日
ツイテル和
中野駅周囲の飲み屋街を初めてさまよったが、いろんな形態の飲み屋がスプレッドしているエリアの大きさは吉祥寺をはるかに超え、池袋に匹敵するのではないかと思った。あらゆるジャンルの店がひしめき合い、安さを競っているみたいなのが凄い。予約した店に15分早く到着したらまだ入れてもらえなかったので、1杯180円のサワーを別の店で飲みながら待ち、開店と同時に入店着席。熟成肉がウリとのことでシンタマ150gを中心に豚ロース、鳥のグリルをオーダー、前菜はテリーヌとパテなど。サラダも合わせてすべてを酒の肴にして、美味しく楽しく飲んでしまった。1杯90mlづつでも多種類が重なるとかなりの量になる。少し反省。
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