久し振りの長崎である。初回は確か中学の修学旅行、二回目は井田病院研修時代の学会で、三回目は10年位前の消化器病だと思った。修学旅行で覚えているのはなぜか中津の福沢諭吉の生家と雲仙岳のケーブルカーだけ、二回目の長崎で覚えているのは料亭で食べた卓袱料理の美味しかったこと、三回目で覚えているのはなぜかハウステンボス行きのバスに乗った学会の太った重鎮の姿、というわけで、今回は到着日に老舗の料亭を訪れた。目的は卓袱料理といってもランチ用にデザインされたミニ卓袱(姫重と言う名前がついている)。小ぶりの三段重ねの重箱に作られた料理はまさにミニ懐石だけれど、お味はよろしい。日本酒がぴったりの味付けの各品を完食して、見た目には量が少ないかなと思ったが食べ終わった時点ではまあまあの満腹感だった。
その前後、眼鏡橋から始まってお寺通りに入って興福寺、崇福寺をはじめとする数軒のお寺さんを歩いて回った。さらに足を伸ばして大浦天主堂、グラバー園をチェックし、ホテルへの帰りがてら出島の周囲を一回りして埠頭の海鮮居酒屋で活きの良い鰺などお造り中心の魚料理を地元の麦焼酎で楽しんで、疲れ果ててホテルで爆睡。突然思い立ち、軍艦島上陸ツアーに参加することになった。絶対に行かなければならないわけではないけれど、今行かなかったら次のチャンスはないだろうということで決定。ホテルが紹介してくれた軍艦島クルーズはシーマン商会という会社が運営している45人乗りのサルク号という小さな船で島に向かうものだった。朝、桟橋に着いてあたりを見渡すと、ほかに軍艦島コンシェルジェ、ブラックダイヤモンドといった面白い名前の会社の船もあり、結構混んでいるらしい。サルク号も満員の乗客を乗せていよいよ出発した。この船に乗ってよかったことは、長崎の湾を抜けるまでの海上からの景色が、巨大ドック、歴史的なハンマークレーンなど、陸からは比較的見づらいものをしっかり見せてくれるものであったことだ。同時にこのエリアが三菱重工の一大拠点であることもよくわかる。それ以外にも、神ノ島のマリア像と教会、伊王島の聖ミカエル天主堂など、長崎ならではの景色を堪能しつつ、船は外洋にでた。この船に乗って悪かったことは、船に弱い人にとってこのサイズの船は波の影響を当然受けやすく、大揺れが始まったことだ。僕自身は全然平気だが、家内はタイヘン、船主側が用意してくれたポリ袋とおしぼりを手にへたっていた。
NPO法人軍艦島を世界遺産にする会理事長の解説をききながら歩く島の景観はまさに壮絶である。中東はいざ知らず、わが国では普段めったに見ることのない巨大廃墟を目の前にすると言葉も出ない。子供時代をここで過ごしたという理事長の解説も熱を帯び、ちょっと重たいけれど話は福島原発にまで及ぶ。しかし、ほぼ外洋の荒波の洗礼を受け続けるこの島の人工構造物の寿命はそれほど長いとは思えない。数十年でもとの岩礁に戻るような気もする。
昼過ぎに寄港後、長崎めぐりの後半戦が始まった。船酔いから回復した家内と二人でまず中華街江山楼で名物皿うどんを食べたのち、市電を利用しまくって平和公園、浦上天主堂、爆心地、稲佐山展望台を渡り歩いた。歩いた距離も半端なく、良いリハビリになったと思う。でも、稲佐山からの夜景が香港、モナコ、とともに世界の新三大夜景ってホント?
それはそうと、長崎の最後の夜に食べた焼き肉ホルモンは最低の味だった。地元のパンフはウソもある。
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