10年毎の記念式典をする必要があるのか、なぜするのかという議論は幸いなことに闘病中に済んでいて(多分)、準備委員会に出席したのは年明けしばらくしてからだったから、あんまり大きな事は言えないけれど、会議の進み方のゆっくりさ加減に最初は驚いた。そこら辺のスピードは実は委員長から事務方への指示で決まることが多く、この規模の委員会であればそれ自体はスムーズに行くことが多い。だから、中間期の事務方の奮闘は大変なものだったと思う。委員会そのものでの議論内容は毎回じつにかわいいものだった。でも、暑い夏が終わり秋風が吹く頃になってさすがに議論内容も少しマジメになり、ホテルマンの参画を得た時期から式典の具体化が一気に進んだように思う。さすがである。50年記念式典には出席していない(この地で仕事初めて6ヶ月の時点だった)ので、何をどうするのか皆目わからない状況で参加させていただいたが、いろいろな意味で良い経験だった。
自分自身、開会の挨拶では一所懸命覚えたセリフを少しかんでしまったし、会長の原稿を読む手は震えていたし、その前の記念講演は内容は良かったけれどスライドは完全に上から目線で読みづらかった、などなどいろいろある。でも、進行役の司会の滑らかさ(8時50分に地下鉄日比谷駅改札口に着いたのでビックリ)、来賓の方々の祝辞の簡潔さと料理の質と手際の良さは素晴らしかった。そして、永年功労者の方々が名前を呼ばれて立ち上がった時のあの笑顔、スピーチの楽しさを見て聴いて、やっぱりやって良かったね、という気がした。容れ物としてのホテルの素晴らしさも一役買っていたのは当然だ。
見栄張ってるねと言われても構わない。
ファミレスかマックで感謝状を渡されてもこうはいかないだろう。しかし、今回は結構な費用負担を会員にお願いしたわけで、これに関する議論は今後、10年後のためにしておく必要はあると思う。某地区医師会長から訊かれた。「おたく公益法人でしょ?お金どうしたの?」
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