2011年9月29日木曜日

羊のおいしいレストラン


誘われて行ったレストランは代々木駅から近いビルのM2Fにあった。店員さんはほとんどが男性で、漆黒の肌が真っ白い制服とのコントラストで美しい。この肌を100年くらい晒しておくとオバマ大統領くらいの皮膚になるような気がする。コース料理の最初は肉とピーマン炒め?、サラダ、その後羊のスペアリブ?、ご当地風餃子?、チョリソみたいなの?、クスクス、などなどでるわでるわで満腹感は最高だった。面白かったのはアルコールで、最初に世界各国のビールをみんな好き勝手に頼んでエンジョイし、その後選んだワインの産地がすごい。チュニジアから始まって、キプロス、レバノン、アルジェリア、トルコ、ギリシア、ブルガリア、グルジア、など古代ローマ帝国時代にブドウとワインの豊かな産地だった国々のワインが勢揃い。フランスのような当時の後進国のワインなどはないし、新世界のワインもこのようなレストランには珍しくほとんどない。なるべく多くの種類のワインを飲もうと「ハーフ」を頼んだら、フルボトルの半分を空けたのが登場したのにはびっくりした。味?、気にしない、気にしない。

2011年9月26日月曜日

恒例西新宿酒飲みの会


恒例の西新宿酒飲みの会が、今回も49階で新宿を見下ろしながら開かれた。テーマは「ワイン+梅酒」。30分以上遅れて到着すると、駆けつけ3杯でワイン3種類の産地国あてがセットされていた。チリワインの味デザインの精密さと、フランスワインの勝手さ、そしてイタリアワインのなじみ深さを信じて答えたら見事正解で、以後は美味しい酒の肴とともにわいわいがやがやの飲み会に突入。圧巻は茨城で浸けられた4年物の自家製梅酒で、甘味を控えめにしてアルコール度数は高いというとんでもない酒飲み用の作品だが、実に美味しかった。写真向かって左から、オーストラリア、チリ、フランス、イタリア、イタリアが生産国だが、右端のピサの斜塔風ボトルの中身はなぜかシシリア産だった。

2011年9月23日金曜日

秋の彼岸


秋の彼岸の墓参り。連れは同年輩の超熟女3名である。はるばる名古屋からおいで下さったアクティブTさん、都内在住のパワフル奥様Kさん、神奈川からおいで下さったゴージャスNさんと私鉄の駅で待ち合わせてお寺に向かった。かつては板橋宿にあったその寺は幹線道路造成に伴って赤塚の地に引越し現在に至っているという。大きな大仏様で有名なお寺は、春の桜から始まり、蓮の花、曼珠沙華、紅葉と境内の季節の移ろいを示す樹木草花に事欠かない。台風一過であったが寺門、境内は掃き清められて折れ枝落ち葉もなく、境内は彼岸の墓参に訪れた人々でにぎわっていた。当家の墓に着いて直ちに清掃開始。水をかけ、大根は用意しなかったので寺備え付けの雑巾で表面を拭く。花受けを洗い、水で満たし、持参の花を活けた。故人が好んだカサブランカと蘭の花は彼岸の花らしくはないかもしれないが、彼女にぴったりだと思う。墓参後社務所そばにしつらえられたお茶のみ場で一休みし、元気なときの彼女の話、健康の話で盛り上がった後東京駅までお送りし、再開を約してお別れした。皆様のご健康と、ますますのご活躍をお祈りします。

2011年9月21日水曜日

再び帰宅困難者をエンジョイしてしまった

台風15号が列島を縦断して、地域によっては避難勧告が数十万人を対象に出された。ところが勧告に従って避難した人がごく少数だったとのこと。自治体職員の方々が思うようには住民は動かなかったということだろうが、大事にならなくて良かったね。大事になっても、自治体側にしてみればするべきことはした、と言う道がある。しかし、なぜ住民が自治体側の勧告に従わなかった、あるいは従えなかったか、を検証する必要があるだろう。避難勧告そのものの妥当性についての検討ももちろん必要だと思う。
今日は午後5時に診療所を閉め、みんなには帰ってもらった。嵐は3時頃から5時をピークに、6時過ぎには雨は小やみになり、風も少しずつおさまり、7時になったのでそろそろ帰ろうかと、JR御茶ノ水駅の改札口に行ったら、全線運行取りやめで、改札口から入れてもくれない。相変わらず冷たいね。丸の内線御茶ノ水駅に移動。入り口で医師会事務長さんに会った。遠くに帰るので、大変だと思うが、向かう方向が違うので、健闘を祈ってお別れ。荻窪行きの丸の内線は車両が止まっていたが多分絶望的な駅放送と車内放送のためにみんな降りて空席多数あり、乗って座ったらすぐ出発してくれた。うつらうつらしながら荻窪に到着し、降りてJRに乗ろうとしたら改札口が大混雑で、ホームも人で一杯でとても入れる状況じゃなかった。3.11に御茶ノ水から井の頭まで歩いた経験を思い出し、それ以上に歩くことは地理的にあり得ないので、多分動いているだろう頼もしい京王井の頭線を目指して出発。40分後富士見ヶ丘駅に到着した。数分で電車に乗れ、そのまま公園前駅まで数分。今回の反省点は、震災後診療所に置いてある歩いて帰宅用のスニーカーが台風対応でなかったことだ。通気性と耐水性はなかなか両立しにくいが、今度行くアウトレットで探してみよう。

2011年9月20日火曜日

香港国際空港

朝食後は、部屋で内田樹氏の「最終講義」を読み耽った。そんなことはなにもここまで来てしなくても、どこだってできるし、せっかくここまで来てもうすぐ帰るのに時間が勿体ないと思う気持ちは全然おきなかった。
目が疲れると遠くの島嶼に焦点を合わせ、一休みしたところでまた手元の活字を追う。時にはこういう暮らしをするために日頃一所懸命働くのか、一所懸命働けるようにするために時にはこういう暮らしも必要だ、と考えるのか。
ホテルのクラブラウンジでチェックアウトして、九龍駅からエアポートエクスプレスに乗って空港に着くまで、待ち時間も入れて約40分。みんなへのおみやげを買った後、航空会社のラウンジで昼食しようと思ったら、とんでもなく遠いところまで歩かされた。以前、香港の国営航空で帰ったときは、入り口から近いラウンジで設備も素晴らしかったが、今回は桟橋のはずれのテラス席みたいなところの航空会社数社の共同のラウンジで、設備も内容も寂しいの一言につきる。羽田出発時のラウンジと同等だと思っていくと思い切り期待を裏切られてしまった。
機内では、行きの機内で途中までしか見ることができなかったPirates of the Caribbean: On Stranger Tides  を、途中から最後までようやく見ることができた。4時間半のフライトは、しかし、ワインを飲んでそれが醒めるには時間が短くて、羽田発吉祥寺行きのリムジンバス内でのねむだるさはハンパでなく、家に着いて元気が戻るまでは旅の疲れのためかと思ったけれど、深夜になってまた出かけられそうな気がしてきたので、酔い覚め時の症状だったみたいだ。

2011年9月18日日曜日

ほとんど山登り

今日は朝は小雨も降ったようで、一日中薄曇りの天気だった。116階の窓から見ると目線のわずか上を灰色の雲が東方からこちらに向かって流れ、上方の視界は数キロメートルだろう。目線より遙か下に九龍半島の高層マンション群と香港島と、その間の海峡が見えるが、victoria peakからの景色よりは圧倒的に素晴らしいのは、ここから見る景色は海峡まで遮るものがないからだろう。
日中は中環から随分と歩いた。Queen's road, Wellington st., Pattinger st., Hollywood road, などを経てSOHOへ向かい、途中Midlevels escarator
で楽をしたけれど、通ってきた道の微妙なカーブととんでもない高低差は位置間隔を狂わせる。帰りはとにかく低い方へと足の向くままだった。途中の景色はブレードランナーに出てくる景色とそっくり、とは言わないが、9年後のこの映画の舞台のロサンジェルスよりは9年後の香港の方が似た景色になっているように思う。夕食は海南島風の蒸し鶏。メニューで名前を見るとわくわくするが、実際出てきたのは蒸し鶏がメインの定食のノりのお食事だったが、味はとても美味しい大逆転勝利の料理だった。ラウンジでチリとイタリアの赤ワインの飲んで部屋に戻り、夜はCATVでmatrix reloadedを観た。

2011年9月17日土曜日

弾丸トラベル


明日は朝9時過ぎたらシャンパンとワインを飲んで寝ちゃうぞと昨日みんなに言って休みに入ったので、張り切って5時起きして、ポロのカブリオレに乗っているという運転手さんと車の話をしながら羽田に着いて、朝飯を食べてから搭乗、離陸してくれたのはいいが、シャンパンを飲めたのは離陸1時間後だった。香港までの数時間はしっかり飲んで酔っぱらってそれが醒めるには少し短いという中途半端な距離であることがわかった。さらに、機内のトイレにウォッシュレットがついているのを初めて見たけれど、さすがANAなのかな。大昔のような入国時の大混雑もなく、まあまあの時間でエアポート・エクスプレスに乗れて、30分後にホテルにチェックイン。世界一高いホテルというだけあって、眺望最高。高いのは値段だけじゃなかったんだ。3日間の脱日常が始まった。

2011年9月12日月曜日

やれやれ

前経済産業相の発言がその資質を大いに疑わせるものであったのは確かで、国の政を預かる者のセリフとしては全く不適だと思う。国の方針に従って無人の街とならざるを得なかった現地の風景を、人ごとのように、あるいは映画のワンシーンを見ての感想のように表現されては、住民はたまらない。まして、発言の主が現職の大臣であればなおさらである。これに追い打ちをかけたのがあの放射能発言で、これはもう「ばい菌ごっこ」のノリである。野党幹部の発言の通り、大臣としてとか議員としてとかより人間性の問題といわれても仕方がないだろう。任命責任もさることながら、選出した有権者の責任も問われるべきかも知れない。わからないのは、このひとが、話を聞きに周りに集まってくるメディアとどういうお付き合いをしていたのかだ。今のメディアが事実を公平性第一でアナウンスすることを信じているヒトは少数派だと思う。平穏無事無風凪な世の中は、メディアにとっては面白くも何ともない世界で、追求されているのは変化、異常、目新しさ、など何でも良いから退屈しないニューなものだ。それも、そういえばちょっと前に同じようなことがあったな、と思えるような過去の出来事との類似性があったほうがメディア自身にとっても受け手にとっても分かりやすくて受けがいい。メディアの鋭い嗅覚は大臣の一連の発言のなかに、組閣直後に始まる不祥事に進めていけそうという、ちょっと前に見た風景を感じ取ったのだと思う。そういう相手と遊び友達的なことをしてたら、それはまずいよ。

2011年9月10日土曜日

光回線


ようやく我が家にも光回線が開通した。数年前に一回その話が持ち上がったが、当時は開設に数万円を要し、なによりも土日は休日なんですから当然敷設工事はしませんよ、という具合だったので、それではまたの機会に、ということでほったらかしておいたら、今度は別の会社から電話がかかってきたので話に乗ることにした。それにしても、N○○系の企業は、独立しているのに、親的な会社の傘を借りて話を進めることが多いね。構造的に、キャリアを横断しての仕事ができないことはわかっているけれど、ちょっと寂しい。それはそうと、敷設工事代ほとんどただ、土日ももちろん工事はできますよっ!という世の中の変わりようだったので、今日の工事になった。所要1時間、新しいルータご持参、古いルータお引き取り。確か昔は梱包して送り返した覚えがある。工事会社さん、お疲れさまでした。設定は、途中でわからなくなったので、N○○のサポートセンターに電話したらあっという間に完了した。こっちサイドでしたことといえば、無線LAN親機の設定を一カ所変えただけである。ベンチマークのカンダース写真集も今まで以上にサクサク動き、快適そのもの。これで、次はサポートセンター費用が0円のうちにPCとOSを更新する事にしようと思う。

2011年9月3日土曜日

5km/45分

トレッドミルの欠点は、景色が変わらないので飽きちゃうところだ。ようやく時速7.5kmで30分以上走ってもHR130台に収まるようになり、筋肉の悲鳴も我慢できるようになったのだけれど、ジム内の殺風景さに愛想が尽きてギブアップすることも多かった。天井からつり下がっているTVの画面が面白ければまだましなのだけれど、地デジに移行した直後は雑音がひどくて音声がほとんど聞き取れず、見る気にもならなかった。スマホで音楽を聴きながら走ったこともあったが今ひとつだった。今日は、NHKでイラク特集をやっていたので、一番見やすいマシンに乗って番組が終わるまで走り続けた。

2011年9月2日金曜日

活き毛蟹コース

久しぶりにY氏と会食。活き毛蟹コースは、お通し、茹で毛蟹、毛蟹雑炊と各地で獲れた魚介類がことのほか美味しく、冷酒を飲みまくってしまった。震災被災地応援の福島産から始まって、何種類かの十四代、その後黒龍まで、錫、ガラス、陶器のぐい飲みが、唇に優しい。吉祥寺までの電車内で爆睡した。