思い返せば月曜日24日夜に軽度の熱感があった。日中風邪の患者を多く見たので、風邪がうつったかと思ってそのまま寝たのだけれど、翌25日になって39度の発熱あり。浮遊感のなかで診療し、総務ブチョーにその夜の会と週末のコンペを欠席することをメールし、ご承諾をいただいた。5時半診療終了後信濃町の病院救急外来に向かう。最初の診察は若い内科のドクター。発熱と倦怠感が主症状だったけれど、ちょっと寂しいので来院時の用紙には腹部疾患らしく腹痛を加えておいたためか、腹部の診察をしっかりやってくれた。でも、上行性胆管炎の早期診断はとてもむずかしい。そのくせスピーディに進行し重症化するのでmedical emerjencyにカテゴライズされているんだ。結局「何だと思います?」と尋ねられて、「胆管炎ですよ」と答える羽目になった。しばらくして外科救急担当医のチームが登場。肝胆膵チームの主治医とも連絡がとれたみたいで、診察の後、一般採血、血培、胸部腹部レントゲン、エコー、造影CTと一気に検査が進み、ラインを入れてメロペン流して病棟に上がったのが10時過ぎだった。病室では主治医も登場してくれて、まだ早期の胆管炎とのご託宣いただいた。
幸い抗生物質が著効して、翌水曜日朝には少し解熱、夕方には微熱程度になり、すべての症状が消失した。木曜日の夜から食事がスタートし、金曜日にめでたく退院することができた。この間にMRCPも施行してもらえ、術後1年間近の諸検査が一通り終了して結果もよくほっとした。
しかし、今後もこういう突然の余計な合併症がおきると結構めんどくさい。当分の間現行のリハビリ勤務でいくしかないみたいだ。人件費がかかるけれど仕方が無い。
2015年8月28日金曜日
2015年8月14日金曜日
ドレスデン
いぜんドレスデンを訪れた時は、第二次大戦での無差別爆撃で破壊されたFrauenkircheが未完成であったけれど、数年前に修復されて荘厳な姿を見せてくれていた。前回見ることができなかったZwinger宮殿の博物館も今度はしっかり見物できた。それにしてもこれらの都市が形成された時代のドイツの各都市への富の集積はとんでもないものだったことがよくわかる。
ついでに訪れたマイセン工房はドレスデン中央からローカルで数駅で着いた。駅から歩くこと約15分、市街地の中心にある工房は見物客を飽きさせずにあわよくば素晴らしい陶器を買わせようと、じつに懇切丁寧で実際の制作過程を見せてくれる時も日本語の説明付で不便を感じさせない。
ついでに訪れたマイセン工房はドレスデン中央からローカルで数駅で着いた。駅から歩くこと約15分、市街地の中心にある工房は見物客を飽きさせずにあわよくば素晴らしい陶器を買わせようと、じつに懇切丁寧で実際の制作過程を見せてくれる時も日本語の説明付で不便を感じさせない。
2015年8月13日木曜日
ヴリュツベルグ
今回の旅行を設計中に初めて知った街であるWürzburgの駅に到着し、タクシーでホテルに向かう。なんとワイナリーに囲まれた小高い丘の上に立つ城と言うには小さいがとても立派な洋館がそのホテルだった。玄関では中世の騎士の甲冑がお出迎え、古城ということで3階建てでエレベーターは無く、重いスーツケースをスタッフが運んでくれた。夕方とは言ってもまだ日は高く,早速散歩に出ることにした。ライン河の支流のマイン河を中心に広がった街で、河沿いの平地には市街地が開け、その外側の斜面にワイナリーが広がっている。ホテルの周囲は一面葡萄畑で、畑の境界をトレッキングルートが走り、それに沿って歩いて行くと葡萄畑の手入れをしている人にであったり、地元の学生グループに出会ったりする。帰ってからホテル付属の室内プールで一泳ぎ、付属の庭で日差しを浴びる。幸せなひとときを過ごした後の夕食は,丘の上だから当然のことながら見晴らし抜群のテラスで、地元の野菜のサラダと、夫婦でポークとビーフを別々に頼み、地元の赤ワインでこれまた楽しく味わうことができた。
ついていなかったのは、夜になってもこの地方にしてはとんでもない暑さだったようで、緯度からしておそらく1年のうち364日は冷房はいらないんだろう、一晩中無力な扇風機と持参の扇子で過ごしたことだった。
次の日の朝も快晴で、新鮮な野菜、乳製品、加工肉、自家製パンを腹一杯食べて、なんとお昼のお弁当にとサンドイッチを作り、チェックアウトした。ドレスデン行きの列車の出発まで時間があったので、街の中心のmarket squareを訪れてまた別のブリュワリーのビールを楽しんだ。
2015年8月11日火曜日
ミュンヘンと現地ツアー
ミュンヘンでの予定はノイシュヴァンシュタイン城とヴィース教会という、定番中の定番である観光名所と、立ち寄りながらも見たことがないミュンヘン市内の見物だ。城と教会は現地ツアーを予約、ミュンヘン駅で集合しバスに乗る。フュッセン近くにあるノイシュバンシュタイン城は城撮影の絶景ポイントは工事中だったけれど、それ以外は修復後の綺麗な状態で見て回ることができた。ルードヴィヒ2世が作ったこの城が19世紀にどういう意義があったのかわからないが、戦略的な意味よりは良い景色と環境を楽しみたい王様のご意向に沿ったもののような気がする。その時代のとんでもない富の局在は確かなんだろう。でも、現在の賑わい方を見ると、当時はたいへんな浪費だったろうが、チャンと元は取れているようだ。
ヴィース教会は初めて行った。野原の真ん中に突然現れる教会は、中に入ってまたビックリ。ロココ調の内装ということで、フランス製骨董食器の中にはいってしまった心境だ。
翌日は予定を何も入れないでミュンヘン市内見物。河のほとりのVolksbadのプールで泳ぎ、英国庭園を散策し、宮殿の宝物を観光し、ビアガーデンでビールと行き当たりばったりに近い市電ツアーを楽しんだ。
ヴィース教会は初めて行った。野原の真ん中に突然現れる教会は、中に入ってまたビックリ。ロココ調の内装ということで、フランス製骨董食器の中にはいってしまった心境だ。
翌日は予定を何も入れないでミュンヘン市内見物。河のほとりのVolksbadのプールで泳ぎ、英国庭園を散策し、宮殿の宝物を観光し、ビアガーデンでビールと行き当たりばったりに近い市電ツアーを楽しんだ。
2015年8月9日日曜日
ケルン~ハイデルベルグ
ケルン大聖堂は鉄道駅のすぐ前にあるし、150mを超える高さの建築物は他にないので、行き着くのに困ることはない。外からみて壮大、内部をみてその荘厳さに圧倒される。市庁舎との間の街にはビアホール、レストラン、カフェが軒を並べている。大聖堂、市庁舎、ライン川河畔を歩き、昼過ぎにライン川に沿って走る列車に乗り込んだ。指定された席に田舎のおじさんおばさんが座っていたり、ハイデルベルグに停車する予定がキャンセルされたりのハプニングはあったが、ライン川沿岸の風景を楽しみ、乗り換えして無事にハイデルベルグ到着、夜は留学しているs先生ご夫妻とドイツのイタリアンを堪能した。
30年以上ぶりのハイデルベルグ。それだけ年数を経ても旧市街はあまり変化がないように見える。翌朝、メインストリート近くのホテルを出て、メインストリート全体を通り、古城に向かう。車道、表の登り道、裏の上り階段の三種類がルートだが、迷わず裏の上り階段を登った。1690年頃に占領したフランス軍に破壊された古城を見物し、ライン河の支流のネッカー河にかかる橋まで歩いて一休み。
留学中のご夫妻の住まいは旧市街、メインストリートを数十メートル入ったレジデンスだが、二階のテラスには葡萄の棚があり、まだ実は青いけれど沢山の房が垂れ下がっていた。1年間の研究生活の成果が上がることを祈る。
30年以上ぶりのハイデルベルグ。それだけ年数を経ても旧市街はあまり変化がないように見える。翌朝、メインストリート近くのホテルを出て、メインストリート全体を通り、古城に向かう。車道、表の登り道、裏の上り階段の三種類がルートだが、迷わず裏の上り階段を登った。1690年頃に占領したフランス軍に破壊された古城を見物し、ライン河の支流のネッカー河にかかる橋まで歩いて一休み。
留学中のご夫妻の住まいは旧市街、メインストリートを数十メートル入ったレジデンスだが、二階のテラスには葡萄の棚があり、まだ実は青いけれど沢山の房が垂れ下がっていた。1年間の研究生活の成果が上がることを祈る。
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