2012年4月27日金曜日

定例連絡会

24年度最初の定例連絡会の保健所側出席者は部長、所長、特命担当部長、課長など新任の方々が多数おられ、開会前の名刺交換が案の定混雑で、そうなるかと思って多めに用意してきた名刺がほとんどなくなった。あまり名刺交換をしない職業なので、普段は最低限しか持ち歩かないが、この時期は要注意だ。幸い、医師会側メンバーは今年度は変更がない。会の討議事項は区民健診、予防接種、認知症関連などだった。区民健診は例年同様だが、外来診療をしていて思うことは、自治体間での共通性がないことは良いことなのか良くないことなのか。各自治体の経済事情があるのだろうが、健康の指標は狭い島国内でそれほど違わないはずで、最低限の健診項目は用紙共々全国統一して、地域毎の特性をカバーするための項目はオプションとして自治体あるいは個人が選択できると良いと思う。全国的に見た場合、各自治体が独自に検査項目を決め、用紙を作る業務量は決して少なくはない。無駄は省きたい。

2012年4月24日火曜日

IMF

G20で明らかになったIMFへの拠出がニッポンがダントツで多く、その結果他の諸国からも拠出表明が出て、欧州危機解決への時間的なゆとりが少し増えたらしい。普通の新聞ではあまり大きいニュースにはならなかったけれど、この行動は最近のニッポンにしてみると実に上手くやったもんだと思う。ニッポンの今の経済的な苦境は、輸出で稼ぐという旧来のやり方を、周囲の新興国や中国の発展を横目で眺めながら警戒感を持たずに昔のまま続けていたところが、襲ってきた円高のために、いつの間にか無くなっていた国際競争力がさらにダメージを受けて四苦八苦しているといったところだ。この20年というものは政治のエネルギーが国内の政争に費やされてしまい、国際競争力でがんばっても選挙では勝てない政治家が出来てしまったし、我々も選挙だけ勝てば良いと考える政治家を作ってしまった。資源が無く、マンパワーも少なくとも数に関してはこれから減少するこの国では、国と国との交渉をどうやってニッポンに有利に進めるかは、とても難しいけれど絶対必要なことだ。交渉自体には資源が必須であるわけではなく、必須なのはそういうことに秀でた頭脳をいかにゲットするか、あるいは育てるかだろう。残念ながら、選挙で国際問題を第一に訴えるような立候補者を最近見たことないし、ちょっと前までの政権における国際問題のプロみたいな人は、どうみてもUSAの使い走りみたいだった。USAにしてみれば、Japan as No.1とおだてることが出来た時代には、ニッポンが稼いだものをどうやって収奪すれば良いかを考えればよかったし、逆らえば恐ろしいことが待っているのはロッキード疑獄や、アメリカ国債を売っちゃうぞ発言をしちゃった人がたどった道をみれば明らかだ。大統領のまえで大歌手の真似をする(最初は真似とは思えず、踊った後反省する猿軍団のお猿さんかと思ったけど)ひとのUSAに対する気持ちがどのくらい屈折しているのかはわからないけれど、USAにしてみればとてもわかりやすいひとだったのだろう。与党と野党が入れ替わり、はじめの頃はtrust meとつぶらな瞳で言ってのけるひともいたけれど、現在の政権は海外から見ると、きっと今まで以上に何を考えているかわからない政権だと思う。TPPだって、USAが言うからいちおう参加しそうな雰囲気はみせているけれど、そこからの交渉はとてものんびりしていて、拙速を避けると言えば聞こえはいいが、やる気ないんでしょ、本当は、といいたくなる。でも、それはそれでいい。あれで喜ぶのは現時点ではUSAだけで、ニッポンがあれでいい思いをするには、もっと腰を据えて国内外の環境作りをしなければならないだろう。そんなとき、IMFへの拠出は、EUがこれで少しでも短時間でも安定すれば円高が弱まる可能性がある。一番良かったのは、ニッポンのプレゼンスを新興国と中国にちょっとだけ示せたことだ。何兆円をどぶに捨てるわけではないのだし、以前介入して買った外貨を使える機会でもある。安住財務大臣が株を上げた。

2012年4月21日土曜日

井上病院院長就任お披露目会

130年の歴史を誇るニッポンで一番有名な個人の眼科病院に、新しい院長が誕生したということでお招き頂いた大パーティは参加者数百人の盛会だった。井上理事長が院長を兼任して、いよいよ本格的な現体制が始まるということであろうが、益々の発展を祈念してやまない。明治の初めから病院を造り、経営して発展させて現在に至っているということは、親から子への事業の申し送りというか伝承というか、世代をつなぐ意志が脈々と続くことが必要なわけで、それを実現させてきた一族の方々すべての思考と努力はすごいものだと思う。そういう空気が家庭内に充ち満ちていればこそのことかも知れないが、一族の方向性について共通の目的意識を持ち続けている、そのことにかなり感動する。振り返って我が家のご先祖をみると、江戸時代から御殿医あるいは町医者を細々と続けてきたらしいけれど、進む方向の一貫性についてはなんとなくあやふやな感が否めない。一貫性の無いことを方向性として一貫して持つという選択肢ももちろんあるけれども、その場合、個人の満足感は満たされるかも知れないが、一族の一員として見た場合の達成感は減りそうだ。

2012年4月15日日曜日

甘く見た京都


桜が満開の京都を初めて訪れた。鴨川端、平安神宮、琵琶湖疎水まわり、インクライン、円山公園(円山公園から知恩院あたりの桜は残念ながら散り始めており、でも、新緑がきれいだった)、どこへ行っても美しい桜にあふれているこの古都のこの季節は本当に素晴らしい。桜の咲き方が何気ない。どう表現したら良いのかわからないのだが、都(みやこ)全体が春めいているとでも言えば良いのだろうか。東京にも桜の名所はいくつもあるけれど、多くの場合桜の花だけががんばっていて、周りがそれに同調してくれていない。そんな違いがあるように思う。内科学会でこれだけ講演をまじめに聞いたのが久し振りなら、合間にこれだけ歩き回ったのも初めてだ。歩いていて、京都が水に恵まれた街であることがよくわかった。これだけ大きな都市で中心部を流れる川の水がこれだけきれいなのに感嘆する。昨日夕方通った弁財天近くの白川の流れとその周りの町並みの粋なことといったらない。近くの割烹で旬の食材だけを使ったと言ってもいい楽しい美味しい食事を食し、カウンターの客同士楽しいひとときを過ごした。後で調べたらミシュラン二つ星。ふーん。今日は、午前中はしっかり講演を聴いて勉強し、午後は知り合った陶芸家の作品を楽しむことと醍醐寺のしだれ桜を見るつもりでいたのだが、京都駅周りが恐ろしい混雑で、荷物を預けることもままならず、結局昼食後まもなく新幹線に乗ってしまった。宿題が残った旅行だった。

2012年4月11日水曜日

AED

ガミラスの戦闘機のように波状におそってくるCMの間隙を縫って、地上波初上映のキムタク君の宇宙戦艦ヤマトを見ている。荒唐無稽な青春映画と言えば良いのか、どんな素晴らしいCGを駆使していてもコミックにはかなわないと言うべきなのか、star wars や matrix はかけた金の桁が違うからすごいのだ、と言うべきなのか、なんとも中途半端と言う印象の映画だ。テクノロジーも血も涙も笑いもマジメに全部均等に入れるとこうなるのだろう。そのなかでAEDが一瞬ではあるが登場した。極道の妻の足を洗って女医になったタカシマさんが、心肺停止状態の今は幸せ一杯のメイサさんのところに駆けつけるところだ。キムタク君の愛情で生き返ったために使わずに済んだが、Mission impossible や Casino royale でも結構重要なところで登場するAEDは、死ぬか生きるかを問題にする映画では結構重宝するアイテムみたいだ。

2012年4月7日土曜日

東海消化器研究会

6,7年前にお招きを受けて当院開業時のもくろみやいきさつについてPPTを使って1時間もお話しさせて頂いて以来ひさしぶりの参加だった。この間少しずつではあるが着実に進化し、業績も上向き調子なので、開業先輩の諸氏と楽しく語らうことが出来た。残念なのは、数年前に第6内科のM教授が逝去しその温和なお顔を見ることが出来なかったことである。講演の内容はきわめて質が高く、まれな症例の報告と、慢性肝炎の治療についての最新の知見を網羅した発表であったが、後者はあくまで第3者としての偏らない講演であったために、研究当事者の発表に見られがちな独善的な味付けが全くなく、現在・過去・近未来にわたっての現実と希望が明らかにされた名講演だったと思う。
講演後の会では、今回の診療報酬改定にあたり、処方すべてを一般名にしたという話がでたが、その処方箋を受けた薬剤師は大変だ。薬探しと窓口での説明で参っちゃうのではないかな。それにしても、レセコンがまだ完全には対応できず、一般名入力ができない薬剤があるという話は、あちこちで聞く。昔あった診療5分間ルールではないが、小手先の技が多いのは厚労省の体質か。