2014年3月28日金曜日
医師会会合3部作
整備委員会兼理事会、休日応急診療所連絡協議会、総会の三つが一つの週に重なった1週間だった。しかし、会長、前会長はこれらに加えて介護のなんとかでさらに1日、週に4日も顔を合わせているわけで、こちらがぶつぶつ言える筋合いでもない。お疲れ様。敵対する方々でないのでまだいいけれど、これがアンチの集まりだったらもうやってられないだろう。新世界菜館は診療所の忘年会で毎年甕入り紹興酒を割る恒例の場所で、上海蟹の美味しいコースを堪能している。この季節のウリは何かと思っていたら、季節の野菜だった。でも、今日記憶にとどまったのはフカヒレの姿煮と紹興酒だった。他の二つの会議はいずれも医師会館で開かれた。成り行き上、協議会の司会を務めたが、その場の誰にとっても初体験の連続で、司会がいろいろ言うこともほとんどは報告事項になる。幸い経営が極めて順調で今の所は問題もさほどはないが、何かあったら二つの医師会内で解決する事になるのは当然で、そのためにも両医師会担当者間の意思疎通はとても大切だ。一方、総会は法人格の変更があって、理事会での承認事項を報告する形になったのが果たして良かったのかどうか。というのは、医師会の会員になるべく多くジョインして頂きたいという理事理事会の考えがさらに遠のく結果にならないだろうか。
2014年3月23日日曜日
お宮参りとお食い初め
病院の管理職にいた頃は徒党を組んで初詣に歩いて参った明治神宮の神楽殿。厳寒の季節だったので内部の床暖が妙にありがたかった。今日は孫のお宮参りとお食い初めで明治神宮から明治記念館へのツアーを計画した。奥方達は春の着物を身にまとい、父親たちは変わり映えのしないスーツ姿で原宿駅から砂利を敷き詰めた参道を神楽殿に向かう。途中、奉納された日本酒の酒樽と、反対側にフランスワインの樽を見つつ歩くこと約10分、御社殿を正面にみて右折する。お日柄がよろしいのか結婚式のグループも多く、外国人旅行者も混じってカメラとケータイカメラの放列である。神楽殿でのこの種の参拝は予約がきかないとのことで、その場で申し込んだが、初詣よりははるかに空いていてすぐに中に入ることができた。礼拝、神楽の奉納など、こちらにはよくわからないけれど有難い時間が過ぎ、外に出た。タクシーを神楽殿脇に呼んで乗り込み、次は明治記念館に向う。
信濃町関連の研究会、季節例会ではおなじみの記念館だけれど、レストランの個室に集まったのは初めてだ。一階から階段で下に降りたはずだけれど窓際には明るい陽がさしこみ、本当に良いお日柄だった。食事に先立つ記念写真撮影でのカメラマンの乳児目線の神業的なレンズへの合わせ方に感嘆し、庭でのプチ撮影会ののち、こちらは生ビール、母親はノンアルコールビールで乾杯。年長者から口元へ一箸づつ料理を寄せる儀式も無事に終了した。
次は5月の節句だと、じいじばあばは張り切っているがヤングパパママは冷静そのもので、JR信濃町で解散したのだった。
信濃町関連の研究会、季節例会ではおなじみの記念館だけれど、レストランの個室に集まったのは初めてだ。一階から階段で下に降りたはずだけれど窓際には明るい陽がさしこみ、本当に良いお日柄だった。食事に先立つ記念写真撮影でのカメラマンの乳児目線の神業的なレンズへの合わせ方に感嘆し、庭でのプチ撮影会ののち、こちらは生ビール、母親はノンアルコールビールで乾杯。年長者から口元へ一箸づつ料理を寄せる儀式も無事に終了した。
次は5月の節句だと、じいじばあばは張り切っているがヤングパパママは冷静そのもので、JR信濃町で解散したのだった。
2014年3月20日木曜日
熟成肉は美味しい。未熟成肉はいろいろなのかな。
2か月ごとのAKぢんぎすが開かれた播磨坂近くには大昔あの早期胃がん研究会、腹腔鏡懇話会が盛んに行われた会場がある。入り口で会費1000円払った後、弁当代わりの志乃だ鮨のお稲荷海苔巻セットかサンドイッチセットと飲み物をゲットして会場に入り聞き入ったことを思い出す。近くにあったyesterdayに車を停めて会場に入ったこともあった。yesterdayはすでにないが、並びのサントクは健在みたいだ。懐かしい。今夜の会場の入り口はしゃれたスナック風だが、中に入るとほぼ精肉店の景色が広がっていた。未調理の肉を見て、美味しそう!という程肉の見方に長けているわけではないので、ショウケース内の各種肉を見てもへぇという程度。不思議だったのは客が座るテーブルがどこにあるのかわからなかったことだけれど、食肉貯蔵室としか思えない両開きの殺風景なドアをスタッフが開けて奥に先導してくれた先に、数部屋に分かれて思ったより多いテーブルがあった。数種肉の冷製とさっぱりめのサラダに続いてメインディッシュのグリル肉は、ショウケース内の肉から選ぶ趣向になっていた。最近の油味耐性の劣化自覚が著しいため、できるだけ脂身のないもも肉を選び、でもなんとなく寂しいため、ほかのメンバーが選んでくれたイチボなどを平等にシェアしていただくことにした。結論としては、どの肉もなかなかの美味で堪能できたが、やはり脂身系はちょっと胃に重い。赤ワインのボディを少しづつ上げて行って対応してきたがここに至って肉のパワーに押され気味になった。帰路が心配になってはいたけれど酔いにまかせてカルヴァドスを飲んでお開きになった。よその席の客の具合を見るのもこういった集まりでの愉しみの一つで、やや未成熟の勤め人さんは、今こんなの流行っていたっけ?的なボデコンで頑張っていた。
2014年3月18日火曜日
運営委員会
理事会の先生方に加えて、かつて理事会でご苦労なさった先生方数名を併せて年1回開催される運営委員会の司会を務めることになった。理事になって以来毎回出席しているが、どういう目的の会であるのか今までわからないでいた。司会をすることになって初めて会の定款・約款を読んでみたけれど、やっぱりわからない。会の運営を円滑に遂行することを検討する委員会だから運営委員会であるけれど、会の運営ってなんだろう?、と考えだしたら、本当なら、医師会の運営を検討する会なんだと気付いた。医師会員がいて、役員がいて、その中に理事会がある。運営委員会は理事会とは別に、役員その他で構成されて、なんとこの運営委員会に分担の各部が置かれているのだった。各部の部長には理事がなることになっているところから理事会と一心同体+αになってしまうのは仕方ない気もする。各理事は常日頃各部の部長としてご尽力なさっているのだから、改めて運営をどうしましょうと言われても、何とも答えようがない。するならば、各部の仕事の割り振りの検討あたりか。と言いつつ会は始まり、それほどおいしいとは言えないお弁当を食べてつつがなく1時間で終了したのだった。
2014年3月16日日曜日
米寿のお祝い
神谷町駅の出口のいくつかは休日は閉ざされていて、ホテルに向かう道の人通りもまばらであり、このあたりの夜間人口はかなり少なそうだ。30人は集まるだろう昼食パーティを鉄板焼きレストランでするのなら、どういう席順になるのかと勝手に心配していたところ、何のことはない7-8人づつのグループに分かれての着席であった。我々の席は酒飲みが集められたとはっきりわかるメンバーで、社長2名と大学教授2名も含まれており、案の定飲み食べながら話すのは当たり前的な人間がそろっていた。あでやかな桜のドレスをまとった主賓にご挨拶して数か月前にドレスデンに発注し、ぎりぎりで届いたピルケースをお渡しし、ご親族の方々とひとしきり歓談して記念の集合写真撮影ののち、着席して食事開始。シャンパン、シャブリ、ボルドーの合間に剣菱の樽酒がはさまれ、一方の食事は極上のサーロインを頂点に海の幸と山の幸のグリルが饗されて満ち足りた時間を過ごすことができた。
今まで、年に2回は海外旅行を楽しんできて、今年はまずアラスカ、次はケープタウンでトランスネットのブルートレインでの旅行を楽しむ計画というからすごい。いつまでもお元気で。
2014年3月13日木曜日
Ole!
長年勤めてくれたママ看護師さんの退職と4月から産休にはいる事務担当ママの送別会壮行会は、渋谷のブラジル料理店だった。大人11名、子供3名の大所帯が騒ぐには絶好の場所で、大雨大風にもかかわらずほぼ定刻に全員集合して食べ放題飲み放題のパーティの始まり。センターテーブル上の煮込み、揚げ物、クスクスなどなど皿にとって食べていると、肉カット係が串に刺した肉塊を大ナタで切りに各自のテーブルに来てくれる。時々まわってくる焼パイナップルのカットが口直し的でなかなかグッドである。センターテーブルで野菜穀物をゲットし、肉カット係の串から肉をゲットするとバランスが最高の食事になる。1時間ごとに入り口から乱入してステージで踊るブラジルおねいさんのお腹は腹筋が見事に区切られて盛り上がり、その上部の盛り上がりは超立派で、その下部のおしり太もものお肉は大ナタで切ったあとトングで取り上げて食べてしまいたいくらいであった。
なんだかわからない類の料理を食べる場所としては代々木ひつじ屋が好きだけれど、ここの料理もそれに劣らない。肉はとてもヘルシーというか、なかには顎が疲れ切る塊もあるけれど、アブラが多ければいいというものでもないだろう。サーロイン、ハラミ、ソーセージ、ほかにもいろいろあるので、肉味の比較も面白い。
最初はおねいちゃんにあっけにとられていた子供たちもすぐに飽きて折り紙と鉛筆をだして勝手に遊び始めている。定刻の2時間を過ぎて、飲み物はラストオーダーになったが、30分過ぎても追い出されるわけでもない。眠たげな子供たちを抱えたママたちと一緒に外に出たら大雨もやみ、風も落ち着いていて、解散になったのだった。
なんだかわからない類の料理を食べる場所としては代々木ひつじ屋が好きだけれど、ここの料理もそれに劣らない。肉はとてもヘルシーというか、なかには顎が疲れ切る塊もあるけれど、アブラが多ければいいというものでもないだろう。サーロイン、ハラミ、ソーセージ、ほかにもいろいろあるので、肉味の比較も面白い。
最初はおねいちゃんにあっけにとられていた子供たちもすぐに飽きて折り紙と鉛筆をだして勝手に遊び始めている。定刻の2時間を過ぎて、飲み物はラストオーダーになったが、30分過ぎても追い出されるわけでもない。眠たげな子供たちを抱えたママたちと一緒に外に出たら大雨もやみ、風も落ち着いていて、解散になったのだった。
2014年3月12日水曜日
久しぶりのAppia
バブルが弾けても場所によっては元気のいいところがあるそんな時代だったと思うのだけれど、9時ごろからの食事に1回だけ訪れたことがあるAppia。その頃はその時間でも満員御礼で、業界人であふれていたのを思い出す。そのためか、オーダー受けが遅くて料理も遅くて、ワゴンを押して走り回っているフロア係に催促をしたもんだった。料理は実に美味しいが、値段を聞いて自前で来ることはないだろうと思っていたし、その後の世の中の景気の流れでそういう場所に行くのもはばかられた時代が続いていた。今回は第2回〇山会にお呼び頂き勇んで参加した。出発地→日比谷乗換→広尾駅降車後歩いて数分、あれっ、懐かしいプティポアンがないっ、と思いながら天現寺に向かう道すがらの他のレストランはどこもがら空きで寂しさがつのる。墓場を右にみて交差点左折、歩道をすれ違う人は小型犬を散歩させているおばさん位だが、とにかくフランス大使館への進入路に到着。レストランの窓から中を見ると暖かそうな満席状態である。以前と比べると、客の姿勢がよろしい。入口で、タクシーを丁度降りたS先生と合流して入店して予約席に向かい、聞かなくても上席がどこかをさりげなく教えてくれたスタッフに敬意を表して末席に座った。到着時間、人品、ポケットの膨らみ具合などなど、さすが、目が肥えていらっしゃる。当然のことながらグラスシャンパンを頼み、飲もうとしたところに病院長到着、ミモザをオーダーして3人で飲み始めたら、数分のうちに全員がご到着したのが7時数分すぎであった。この会といい、AKといい、時間厳守は気持ちがいい。遅れるのが当然と思っていた大学時代が恥ずかしく思い出される。昔と同じく、実物を見せながらメニューの説明をするスタッフは、脳の深部のメモリーでは以前と同じ気がする。前菜4種、白マイタケの焼き以外は大正解。パスタ、美味しい。ラムのフライは、料理方法を間違えた。肉自体が超美味だっただけに残念だった。モンテプルチアーノ、トスカーナのメディアム~フル、シシリア、とあともう一種はなんだか忘れたが、美味しい赤ワインのラッシュを堪能し、最後は例のごとくグラッパで締めた。話題は何でもアリで、割と騒々しい店なので何を大声でしゃべっても他人に聞かれるのを気にすることもない。まことに楽しいひと時だった。
2014年3月6日木曜日
顧問会
医師会においてしっかりしたキャリアをお持ちの諸先輩から大所高所からの貴重なご意見をいただける顧問会の会場は昨年に引き続いての老舗の鰻屋である。スリムになられてどこにいるのかわかりませんでしたわ、と何度唱えられたかわからない女将のお言葉どおりの副会長のお口利きか、美味しい鰻三昧のひと時であった。長年の間に、伊勢川十、上野亀屋一睡亭、赤坂重箱、神戸青葉、日吉しま村など、鰻の名店をいつの間にかめぐっていることに気付いたが、この店の甘すぎずしょっぱすぎずの味付けと鰻そのものの固さ柔らかさは結構好みである。店構えもいかにも下町の料理屋風で楽しい。4人程度の小人数だともっと満足感が高いのだろう。20人の多人数だと、鰻の出方に時間が少しかかってしまうのは仕方がないのだろうが、飲み物の出方にも時間がかかったのは不可解だ。超高価紹興酒がなくてよかったね。顧問の先生方の近くに席をいただき、いつまでもお若い先生方のお話を伺いつつ楽しい時間を過ごしていたら、子供はまだか!の現会長の一声。勘弁してください。
2014年3月4日火曜日
上野の夜
十数年ぶりの上野駅だろうか、中央改札を抜けると、その名も恥ずかしいグランドコンコースには日本語の店の看板がほとんど無い。アトレがあるのはあきらめるにしても、ハードロックカフェが入っているとは知らなかった。東北地方の寒村から、蒸気機関車がひく二等客車に乗り、沢山の駅を過ぎトンネルをくぐり、鉄橋を渡って着いたあこがれの都会の玄関には、なんと「中央改札」以外の日本語が無い。なんだ、ウチの駅と同じじゃねぇか。というのがオチで、もう少し東京のターミナルらしい猥雑さがあっても良かったと思う。しかし、小さい駅前広場の前の信号を渡っていかにも歓楽街ふうの横町に入ると、飲み屋、パチンコ、どんぶり、キャバレーなど完全なごった煮の風景があった。やっぱり上野、ほっとする。向かった先の店頭には体裁を無視した張り紙、看板が所狭しと貼ってあり下げてあり、引き戸の開け口部分だけがタッチ可能であった。2階の畳の三畳部屋には椅子と机が年寄りに優しく置いてある。日本で最初に河豚の調理師免許を取った店とのことであるが数十年前の話で、それがどうしたの、というわけで、河豚料理は可も無く不可も無く、しかしながら、生ビールに次いで当然のひれ酒に話もすすみ、上野の夜は楽しく過ぎた。
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