2016年5月21日土曜日

井の頭三鷹散歩

4時半に井の頭公園駅で妙齢豊満美女と待ち合わせて、我々じじばばを加えた3人で今日は公園巡り街巡りだ。井の頭池の南の畔をブラブラ歩く。同じようなブラブラ歩き、犬の散歩、ジョガー、スマホを握りしめた東洋人、ブルーシートを敷き始める奴ら、ベンチで語らう人々などなど、働いている人以外のほとんどすべてが集まっているようで楽しい。この時間なら空いているだろうと思って、第一候補の公園内エスニックレストランにチャレンジしたところ、なんと5組待ちだった。5月いっぱいまでの繁忙期は予約をとらないのが痛い。と言ってそれだけ待つほどの店でも無く、あっさり引き下がって七井橋を渡ったところにある居酒屋に向かった。花見紅葉狩りに絶好の場所にありながら、何故か冴えない外観の店だけれど、毎年桜シーズンには予約を取っておいて花見を楽しむという同年配グループの話を聞いて下見を兼ねて訪れた。店名は英語、料理は居酒屋風、雰囲気も居酒屋、アルコールを飲みながら料理が出てくるのを待つパターンの店で、焼き空豆と分厚いホッケだけが印象に残った。この場所でこの形態は全くもったいない。
いつの間にか過ぎた時間に気づき、公園内最奥お茶の水井戸付近から動物園際にのぼって御殿山の住宅街を西に向かう。落ち着いた静かな町並みの中に3人組の喋り声がひびいた。三鷹駅前での最初の目的は公共のギャラリーでの展示会で、美術グループの作品発表会の内容は日本画、水彩、油、テンペラ、彫刻、写真いろいろありで、一部の作品は実に素晴らしく、思わず手に入れたくなったくらいだった。ぐっとこらえて次の目的地に向かう。距離にして100メートルくらい、場末のスナック風ジャズ屋。観客は良くも揃ったジジババで、ヴォーカルは境界年齢、カルテットが若手でホッとした。最後の曲で数十年ぶりのチークダンスをして、オ・シ・マ・イ。

2016年5月20日金曜日

なんと早い

数日前に息子さんから訃報が届いて以来、気持ちがブルーになった。当初のメールによると背部痛腹痛での発症が2-3月頃、胆管の閉塞が4月上旬で、その時点で切除は不能と診断とのこと。連休明けに食事をしようと決めたのが4月下旬で、緊急手術と食事キャンセルが五月の連休中、死去が17日とはなんと早い病状の進行か。20年以上前に入院患者膵癌の統計を取ったとき、診断後の生存月数が3ヶ月であったことに驚いた覚えがあるが、診断の困難さは相変わらずだ。このケースと僕の場合の違いは、おそらく僕の場合、発生場所がほんの数ミリか1cm胆管側にあり、胆管の閉塞が早く出たことと、経験が幸いしたかその閉塞症状を数日以内に検査に結びつけたことだろう。でも、この病気はstage 1でもメタしますよと言うとおり、再発した。とは言え、現在まで1年半日常生活ができるのはとてもありがたい。精神面肉体面にわたる家族の気遣いと、職場のスタッフ、先輩・同僚・後輩、医師会をはじめとする様々な方々のお気遣いがこの体調維持におおいに役立っているのは確実だ。当然だけれど、いろいろな治療の効果も明らかだ。扱いにくい原発巣とその周囲の再発を、手術と先だってのケモラジは見事に阻止してくれたようだし、門脈内直接注入28日間は肝メタを多分防いだのだろう。TS-1はイマイチだったけれど、現在のnab-PTX + GEM は検査所見は改善し、症状はほとんど無しということで今の所有効だ。とは言ってもまだたかだか4ヶ月。OSS、PFSなどが数ヶ月の世界だからまだ、いつ何が起こるかわからない。とくに、治療耐性細胞が発現してからの、病状の進行はおそらく数週間単位だろう。食欲と運動が大丈夫な間にいろいろ進めなければならないことをしよう。四つ葉のクローバーをいただいた。ありがとう。

2016年5月15日日曜日

久し振りの同期会

毎年行われてきた同期会に出席するのはおそらく10年ぶりくらいだろう。昔はホテルオークラの向かい側あたりで行われていたように記憶しているが、今回は三田倶楽部。高級ホテルの地下にあるくせにスナックか居酒屋のノリなところが気楽でよいのかもしれない。今年の出席は総勢35名。メールを使ったりなんなりでの事前アナウンスがやたら頻繁だったし、こちらも来年の出席可能性は限りなく低いから、何が何でも出席することにした。同日に予約してあった歯科の定期チェックを受けて時間が余っていたので泰明小学校前のAUX BACCHANALES でハイネケン飲んで時間をつぶして、現地には定刻に到着。顔が変わったねとか、髪の毛ふさふさとか言われたものの、35人のうち名前を思い出せなかったり、最後に会った時の顔とどう考えても結びつかない同期生が数名いた。ゴメンナサイ。自己紹介の時間に現在の病状をcoming outし、お別れの準備とした。

2016年5月7日土曜日

久し振りのメール

5年ぶりに友人からメールが来た。腹背部痛で精査したところstage Ⅳのpancreas head cancerで、胆管、膵管ステントを挿入したとのこと。そのほかの治療はせずに鎮痛剤で暮らしているという。返す言葉に苦労しつつ、こちらの病状を話し、細々だけれど長い付き合いに対する感謝の気持ちをメールした。まだ調子がよさそうだったので最後の食事の約束をしたが、その後腫瘍の発育のため胆管が再閉塞し、会うことは適わなくなった。残されたわずかの日々が穏やかでありますように。

2016年4月18日月曜日

総合評価はまあまあだけど、思ったより暑い

ようやく完成の電話がはいり、期待してオフィスを訪れた。個室での理容/美容の造りになっている部屋の椅子に座って、まず装着の手順からお勉強。奥の方に指を入れて後方からかぶるのがコツらしい。オーダーメイドなので左右非対称はもちろん、毛髪の色もいろいろ混ぜてある。茶色を入れた方がグラデーションが自然になるらしい。かぶったところでカットが始まる。ほとんどは梳きばさみで長さを調節していき、こちらが意見を出していく。切りすぎるとアウトなのでどうしても以前よりは厚く長くなるけれど仕方ない。「大丈夫です。15分で見慣れます」というお言葉を信じて待つこと15分。そう言われればそうかも。かぶり心地は冷たい風は防いでくれるし、4月の室温では心地よいが、夏場はかなり暑くなりそうなのが気になる。

2016年4月16日土曜日

面積は墓としては世界一

と、大昔に学校の授業で習った覚えがある仁徳天皇御陵にたどり着いたのは、堺のホテルから30分ほど歩いたころ  だった。たまたま堺に行くので近くにある有名なこの天皇陵を見たいと、大阪に単身赴任していた友人に話しをしたら、樹木の緑に包まれた小山ですと言われたが、まさにその通り、堀の向こう側に鬱蒼とした木立に覆われた山と、その周囲にこぶのように隣接する小墳墓の小山があり、前方後円墳の丸いところにたどり着いたためもあって建造物は何も見えない。正面までは約2.5kmの道のりで、途中の南海電車の駅ビルで生ビール飲んだりしながら小一時間で到着した。しかし、正面にあるのは小ぶりな鳥居と立て看板くらいで、結構寂しい。ボランティアのおじさんが、鳥居のところで撮るとどこで撮った写真かわからなくなるよと言って立て看板をバックに撮ってくれたけれど、余計わからなくなった気がする。しかも、自分でも見慣れないハゲとグラサンおばさんの組み合わせだから,後で見てもこの写真は何だろうということになりそうだ。1人は翌日の内科学会参加目的で急ぎ新幹線に、もう1人は翌日の仕事の準備と言うことで南海電車の駅で途中下車、ということで慌ただしい一日が過ぎた。

2016年4月12日火曜日

楽しい理事会

新しくなりつつある専門医制度に対しての医師会の対応に関する質問というか、うっすら提案みたいな監事殿の発言に、日医生涯教育制度の説明があったり、専門医ご辞退発言があったりして思わず言葉を失った。正統的学術部長のまともな発言が浮いて見えちゃうところがスゴイ。
引き続いての他職種NWの業者さんからの説明は、医師会側からの紹介・司会もなくいつの間にか始まる不思議な展開になった。以前に同様の話を聞いていたからよかったけれど、初めて聞いた方々には最初は戸惑ったことだと思う。もっとも、前回の説明の時も何が何だかわからずに召集を受けた気がする。採用するにしてもしないにしても、決議の決定宣言は必要だ。

2016年4月5日火曜日

神楽坂 やきとり

久し振りにぶんちゃんにお誘いをいただき、またも迷ってぎりぎり定刻に到着した時は他の3人はすでに着席しておられた。次の理事会が長びきそうだという総務部長からの情報があったということで、1週間早く集まりましょうというよくわからない理由での飲み会は前回いまいちだった別の神楽坂やきとりのリベンジだったのかもしれない。我が家がよく使う串若丸や伊勢屋のネタと違ってここのは実に見事に形がそろっている。料理が運ばれてくる時期も適切で、スタッフの姿勢言葉遣いがしっかりしているのがとても気持ち良い。これでお値段がもうちょっとお安ければ言うことがない。

F夫妻との会食

赤坂見附の小料理屋で会食して以来、数年ぶりの食事会である。その数年の間に、こちらはPPPD、nab-pax、Gemなど結構盛りだくさんな治療歴ができたしまったけれど、話を聞くとご主人は冠動脈バイパス、頸動脈治療など、奥さまはアブレーション治療など受けていた。そんな闘病の自慢話ではないけれど、経験談が話題の最初にでてくるのはいかにも同年代の会合という気がしないでもない。とはいえ今日の食事は近江牛の鉄板焼きで、ビールから始まり菊姫をすすりながらボルドーを楽しむという病人グループにはふさわしくない食事かもしれないが、お互いこれだけの病気をもてば、今更の食事制限などばかばかしいのが本音だろう。吉祥寺の有名な肉店と同系列の築地のこの店の夜は楽しかったが、深夜の胸焼けに久しぶりに苦しんだ。

2016年3月30日水曜日

医療連携懇談会 in 九段坂病院

4月から、残っていた病棟も開くということで、区内に数ある中小規模病院のひとつの医療連携の会である。両医師会の会員多数と病院勤務の医師の交歓は医師会員にとってもこの病院を知る良い機会で、喜んで参加させていただいた。脊椎の整形日本一をめざすだけあって、整形外科・リハビリに関しては質量ともに素晴らしいものみたいだ。古い病院の時代に何例か紹介して的確な診断治療をしてもらい、安心した記憶があるが、そんな状態が続くことを期待したい。一方、高齢者総合サポートセンターが同じビルに入っているわけで、それをサポートする立場の医療施設としてどこまでがんばれるか、見守る必要があるだろう。
ホテルオークラのケータリングサービスはさすがに美味しく、ライトアップがなくて夜桜も見えない窓の外の景色の「残念」を償って余りあった。

2016年1月9日土曜日

矢切のラーメン

兄のテレビデオが壊れたとの報告があり、ちょうど家にあって今は全く使わないビデオデッキが使えないかとクルマに積んで首都を横断した。都心環状と中央環状のそれぞれで事故があり1時間半かけて到着。到着後早速現物をみると、地デジが始まったときに外付けでTVに付けた装置がくっついている代物で、さすがにどうしようもないことがわかった。早めにギブアップして近隣の電器屋さんに連絡することに決定、昼食がてら電器屋に向かった。電器店の隣は激派手のラーメン店で、迷うことなく入店し、名物らしい麺王麺、餃子に加えて、酸辣湯麺、パイコーローをオーダー。細麺へのスープのまとわりつき方と餃子の大きさに感激しつつ3人でほぼ完食。サイゼリアしかないと思っていたこの土地で神様に会った気持ちになった。帰路は外環を三郷南から大泉まで気持ちよくクルーズして本日のお仕事終了。

2016年1月7日木曜日

懐かしい

ここに来て良かったことのひとつに、MRさんの無用な面会を避けられることがあげられる。周囲のすべての薬局がK病院、N病院、S病院の門前薬局として存在しているので、当院で時間をつぶしても実績には役立たないことがおそらくの理由で、最近の面会は主にC型肝炎の新しい治療薬を発売して威勢の良いメーカーと、薬局のはんばい実績とは関係のないインフルエンザ診断キットのメーカー、それと、紛れ込んでくるSEOとかHPの売り込みに限られていた。お互いにとってとても良いことだと思っていた矢先、突然のアポがはいった。ご持参の話題は昔からのクスリでの治験成績と、新しい方向性に関するいくつかの文献である。インターフェロン、DAAが素晴らしい成績をあげるまでの長い間、肝炎についてはUDCAとともに治療薬の双璧をなしていたものだった。そういえばまだあったんだ、というのが正直な感想。ゴメンナサイ。お持ちいただいた文献の内容にしても、それをもとに再び使い始めるにはあまりに貧弱だった。昔の話、恩師の話などを伺ってお引き取り頂いた。

2016年1月1日金曜日

元旦は忙しい

元旦朝の環八外回りは関越道・外環に向かう分岐を除いて空いていて赤塚大仏のある乗蓮寺には30分程度で到着した。境内の駐車場には入れないので少し離れた時間決めに停めてお墓参り。本堂にもお参りして次に向かった。通常家から八柱霊園までは外環全線を使うが、乗蓮寺からは浦和入り口から三郷までの区間通行で済む。詰まるほどではないが交通量は思ったより多い。兄が風邪で欠席のため、とりあえず自宅にお年賀のケーキを届け、そのあと霊園でその他全員が集合した。霊園の混雑は通常午前中なので、参道にもさしたる混雑なく、全員が速やかに実家に再集合し、1Fにテナントとして入っているカプリチョーザで定例の食事会が始まった。ワインは2000円以下、パスタ、ピザなどもとっても安い。クアトロフロマージュに必須のはちみつは見事に断られたが、一人当たり単価2000円以下ではあまり文句も言えない。解散後の帰り道の外環西行きは多少こんざつしていたが何とか1時間半で帰宅できた。明日は新幹線で伊豆に向かい別の新年会。
今年の年末年始は休んだ気がしない。