忙しい一日だった。午前中から池を渡って吉祥寺に出向き、あつらえたワイシャツの回収と正月食品のお買い物につきあい、帰る途中で伊勢屋で昼食。店内は煙たいのでもちろん吉祥寺通り沿いのカウンター席で食べる。カワ、ナンコツ、ネギ、もも肉に加えてとなりのお兄ちゃんのすすめに従ってカシラを注文したらこれがこりこりした脂身という歯触りでとても美味しく、正体不明の焼酎お湯割りレモン添えにとても合う。少し良い気持ちになって、池の弁天様の初詣の下調べをして帰宅した。数日前に大改造した家の外回りのうち、玄関の植栽の手入れをしてデッキブラシを使ってタイルの汚れを落とし、裏のモッコクと金木犀の枝を落とす。本当は金木犀の花が落ちた時にするべきことだったけれど、いつの間にか今頃になってしまった。
今日のメインイベントはもちろん、二人でのローリーズプライムリブでの夕食である。食の趣味が恐ろしいほどに合っているようなので、このプランには異論なく話はまとまった。早く食べ終わってGERD症状を少しでも軽くしようという算段で5時からの席を予約して定刻に到着。前菜とかクラムチャウダーなどは省いて、乾杯もシャンパンなどは無視して一番安いメルローを1本最初から頼んで1時間半でごちそうさまと思っていたけれど、最後にデザートを頼んだら、いつもの濃いアルコールがどうしてもほしくなってしまい、オーク樽で何年寝かしてどうのこうののグラッパを一杯オーダーして結局2時間居座ってしまった。とても嬉しかったのは、すでにお帰りになったとばかり思っていた総務ブチョーご一家にお会いしてご挨拶できたことだ。地区医師会のメンバーには初顔見せの家内であるが、珍しく口数少なく、多分ゴカイされたと思うところもちょっと嬉しい。
2013年12月23日月曜日
A家のクリスマス
資生堂パーラー2階に20人が陣取っての恒例のクリスマスパーティに初参加した。ほぼ全員とすでに他の機会に食事していて顔見知りなので、あまり違和感を感じずに着席。20人が一つの長机に会する場合の席次がどんなもんかと興味があったが、最長老を真ん中に、片側はベビー、チャイルドと母親のグループ。最長老の対面は大人になりたて前後の若人、母子グループの反対側は男を中心とした熟年グループという具合にきれいに分かれておしゃべりが始まった。オープニングリマークはなく、前菜→名物らしいスープ→イセエビのアメリカンソース→ステーキ、と定番の料理が運ばれるままに会話ははずみ、シャンパンの次に注がれるワインはカリフォルニアの白に次いでブルゴーニュの赤(シラー入り)と飲みやすい。ワインアドヴァイザーのDrのうんちくを聴きながら、向かいの社長、銀行の偉い所などとよもやま話に話は尽きない。日赤の専門医もこの日は飲んで眠らずに睡眠障害の話をしている。お土産の千疋屋のショートケーキのホールは、帰宅して食べたところ絶品の美味しさであるが、食べごたえ十分すぎる。数日間で食べ切れるか?
2013年12月22日日曜日
メリー・クリスマス!
突然サンタさんがインターフォンを押して来訪した。メリークリスマス!前日、表参道でハーレーダビドソンのサンタクロースおじさん・お兄さんの集団をお見かけして、今年はこれでサンタさんをみることもないだろうと思っていたらとんでもない、自宅への直接訪問である。聞けば、トナカイのそりも雪上車もなく、徒歩で150軒ほど歩いてまわり、プレゼントを配っているとのこと。我が家にも一回お寄り頂いたが生憎留守だったそうである。確かに多少疲れ気味で、3桁の家を回っているにしては鞄も小さく、失礼ながら神様のご援助もそれほどではないのでは、と余計な心配をしてしまった。
正体はこの夏の我が家の大改造に際して職人さんの指揮を執った親方のハレの姿で、思わず、ガンバってねと心の中で叫んだのだった。
正体はこの夏の我が家の大改造に際して職人さんの指揮を執った親方のハレの姿で、思わず、ガンバってねと心の中で叫んだのだった。
2013年12月21日土曜日
年末恒例の組忘年会
恒例の忘年会がまたも、新宿のカンファレンスルーム付属のラウンジで開かれた。丸暴ではあるまいし、組はやめてよと頼んでいるのだけれど、命名者が頑として聞かず、数年が経過した。以前はメーカーの講演会を兼ねてスポンサー付きで開かれたが、昨今の情勢の変化で現在は会費制の気楽な会へと変化して現在に至っている。つまらなそうに立ったままで出入り口に集まっているMRさんの顔つきを見るたびに感じた不自然さがない分、楽と言えば楽である。大学病院数名、私鉄駅前救急病院数名、開業医数名~10名のこの会合、メンバーの近況報告を聞くのも楽しみの一つであり、以前は各々の仕事の話が多かったが、その後は子供の育児の話になり、現在では多くが医師になった子供たちの話も話題の核になっている。隠れ家的な場所のためか、それとは無関係に値段の関係か、つまみ兼料理は美味ではなく、飲み放題のアルコール類もなんてことない味だけれど、年に1度のこの会でお互いの仕事ぶりと幸せぶり、時に不幸せぶりが垣間見られるのは、自分がいつの間にか長老になった新興の医学部ならではのことなんだと思う。
2013年12月17日火曜日
中国飯店忘年会
移動理事会とか言っても、とどのつまりは夏は暑気払い、師走は忘年会で、やっぱり普通の理事会よりは楽しい、ということで今回は中国飯店が会場だった。前回までは、平理事それぞれが選んで未知の魅力に満ちた会場での会合でありそれはそれでとても楽しかった。超高級鰻やあり、銀行協会のメンバー用レストランあり、街のビストロありで、食べられるかどうかはまず口に入れてから決めるという主義の僕にとっては楽しいことこの上ない年2回の行事ではあった。自分の選ぶ番の時には、会員限定をキーワードに、交詢社、クラブ関東、三井倶楽部などを、会員でもないのに検討施設にしたもんだ。(三田倶楽部は居酒屋すぎ、1864は狭すぎて脱落した)
そういう奔放さは当然だけれど経費の漸増を招き、それで今回の普通と言えば普通すぎるところに落ち着いたのだろうか。下衆の勘繰りである。
12月末は例年地獄のラリーで医学部受験生の健康診断とフルワクチンと今年は激増の感染性胃腸炎で業務終了6時45分、タクシーで会場に向かい7時に到着し、待ってていただいた先生方の腹を空かせたハイエナの視線を感じつつ席についた。理事会は当然つつがなく瞬時に終了し、情報交換会の始まり。マシンガンと火炎放射器の使い方を工夫した国と、明らかに不自然な借用書を堂々と公表したり5000万円の札束大の紙包みをかばんに入れるにはどうしたらいいかを都庁で議論するという平和な国が隣り合わせにあるというコワさをビールのつまみにして会は始まった。ところが、遅い。人件費節約なのだろうか、廊下での小皿取り分けはド素人のような方々が一人二人部屋を出たり入ったりして頑張っているみたいであるが、ダッシュでサーブされるのはアルコール類だけで、固形物は前菜でさえ忘れたころやってきた。以前、医師会で、あるいは家族で訪れてそれなりの満足感で店を後にしたあの幸福感はどこへいったのであろう。黒酢をうまく使った料理は大好きで、今日も美味しくいただけたが、それにしても遅い。いつもながらの席順の妙で、うまく配置された理事の方々のトークが微妙な区切りを見せながらもキレなく続いていたから良いけれど、そうでなかったら酒量が激増してエライことになっていた気がする。料理がまあまあ(今日のは残念ながらまあまあレベルだった)だけに、もったいない。
そういう奔放さは当然だけれど経費の漸増を招き、それで今回の普通と言えば普通すぎるところに落ち着いたのだろうか。下衆の勘繰りである。
12月末は例年地獄のラリーで医学部受験生の健康診断とフルワクチンと今年は激増の感染性胃腸炎で業務終了6時45分、タクシーで会場に向かい7時に到着し、待ってていただいた先生方の腹を空かせたハイエナの視線を感じつつ席についた。理事会は当然つつがなく瞬時に終了し、情報交換会の始まり。マシンガンと火炎放射器の使い方を工夫した国と、明らかに不自然な借用書を堂々と公表したり5000万円の札束大の紙包みをかばんに入れるにはどうしたらいいかを都庁で議論するという平和な国が隣り合わせにあるというコワさをビールのつまみにして会は始まった。ところが、遅い。人件費節約なのだろうか、廊下での小皿取り分けはド素人のような方々が一人二人部屋を出たり入ったりして頑張っているみたいであるが、ダッシュでサーブされるのはアルコール類だけで、固形物は前菜でさえ忘れたころやってきた。以前、医師会で、あるいは家族で訪れてそれなりの満足感で店を後にしたあの幸福感はどこへいったのであろう。黒酢をうまく使った料理は大好きで、今日も美味しくいただけたが、それにしても遅い。いつもながらの席順の妙で、うまく配置された理事の方々のトークが微妙な区切りを見せながらもキレなく続いていたから良いけれど、そうでなかったら酒量が激増してエライことになっていた気がする。料理がまあまあ(今日のは残念ながらまあまあレベルだった)だけに、もったいない。
2013年12月11日水曜日
新世界忘年会
2013年12月10日火曜日
就任祝賀会
総務部チョーの名司会のおかげで、理事会が30分を超えずにお開きとなったため、飯倉のホテルにはタクシーで8時前に到着できた。ご来賓の方々のあいさつに1時間はゆうにかかると思って安心して会場に入ったら、なんと既にお食事ご歓談タイムがたけなわで、お料理コーナーは黒山の人だかりである。同行した元会チョー程のお立場・世代であると前の方に席が作られており、コンパニオンが食事を運んでくれるが、一介の開業医の場合はたとえ介護保険証を持っていてもpriority seatは無い。実のところはそんな席に座りたくないので、心の中でほっとしながら周りを見渡すと、同年の他大学教授、有名病院長なども後ろの方でたむろしていて、そちらのほうが確実に面白いので、お座りになっている方々に挨拶して早々に後方立ち席テーブルに移動する。懇意にさせていただいている熟年美女副院長と懇談し、来年定年の国立病院院長と久しぶりにワルイ話に興じ、2杯目の特徴無しの赤ワインを飲み干すころに、早、新教授の感謝の言葉が始まった。当たり前だが不慣れなためか、多少朴訥とした喋りは何となく近づきやすい雰囲気を醸し出している。これから14年に及ぶ教授業の幕開けであり、どのような王国を作り出すのか興味深い。ワイン2杯のみで帰宅して食べたにゅうめんが美味だった。
2013年12月5日木曜日
プライムリブの夕べ
ゴルフの忘年会は2年連続で赤坂。先日、健診シーズン終了のお疲れ様会でスタッフを連れてお邪魔したばかりの店だったけれど、このての料理は得意な方なので大喜びで出席した。先日の会合ではトーキョーカットだったが、少し物足りなかったのと、その日スタッフのヤンママ、若奥様たちがワンサイズ大きいカットを軽々と完食していたので、今日は英国カットにさせていただいた。赤坂山王駅12番出口から1分、入り口前にはMRの背広姿が多数たむろしており、一人が貸し切りの個室まで案内してくれる。幹事の体育会系ご指導よろしきを得ているのだろうか。10分前の到着で部屋にはすでに半数を超えたメンバーが着席しており、席順係のMRさんが席順表をみせてくれた。このMRさん自身は僕のことをしらなかったみたいで、決められた席は二つ折りになった席順表の折りたたまれた面にあったが、いつも感心するのはこの席次の気配りさ加減の完成度の高さである。前回は年金受給グループとして楽しい席をご準備頂いたが、今年はグルメグループとしてまとめていただき楽しいひとときを過ごすことができた。シャンパンでの乾杯の後、カルパッチョ、スープ、サラダとコースは続き、ローストビーフのメインディッシュに落ち着いて、見事完食。でも、マッシュポテトの最後の一口は正直言ってきつかった。明朝起床時の逆流症状のご予約確定である。年金受給者様たちからじいじグループ入会記念のお祝いの言葉を頂き、一方、お近くのゴルフ諸先輩からは厳しい叱責のお言葉を頂き、今夜はラベルピンに甘んじたボウタイを、来年はモノホンにすることを誓ってポテトを飲み込んだのだった。この会を成功裏にお開きまで企画運営した幹事殿の、表面には決して表さない努力と能力に深く感謝しなければならない、と思う。ありがとうございました。
2013年12月3日火曜日
Hatsumago
予定日より二日遅れの今日、出産後母子ともに元気という新米パパからのメールを見て、新米じいじとしては正直ほっとした。やはり、自分の場合と同じように夫は出産には立ち会えなかったのだった。夫がそばにいても何もできないことは明らかで、若い助産師さんのほうがよっぽど頼りになるのは当然であるけれど、そばに付き添っていたいという希望を持つのも当然だろう。でも、父親になる年頃の医師にそんな自由な時間が十分あるはずがないのも当然のことで、それはそれで仕方ないのだと思う。出産おめでとう。
今夜は医師会の忘年会の予定であるが、欠席せざるを得ない。fb-messenger で総務部長にお断りの連絡を入れ、病院に向かった。地下鉄を降りて、公園わきのゆるい上り坂を急いで歩くこと6-7分、あまり新しくはないがゆったりした造りの病院入り口で、数分前に車で到着した妻が待っていた。二人で向かった病室では嫁さんのご両親がすでに到着しており、病室内でまず久しぶりの邂逅を喜んだ。実家に帰らず都内で出産すると聞いて最初は驚き、不安だったが、ご両親の良き理解と良い友達の存在でここまでこぎつけたのだから素晴らしいことだ。来週から自宅での子育てが始まると、母親に大変なご苦労をかけることになるが、せいぜい協力してあげたいと思う。ベビーは当然のことながらとてもかわいく、目鼻立ちもこころなしか格好良いように思えるから面白いものだ。こっちは1時間前まで風邪や腸炎のウイルスまみれになっていたので、抱くのもこわごわ、吐く息にも注意を払う。ママも元気だったので安心したが、さすがに疲れは隠せない状態だったので、お祝いを言って早々と病室をでた。
ケータイオフの間に会長から心配してくれての電話ありメールあり、徘徊か記憶障害を心配してのものかと思う。ご心配おかけしました。
今夜は医師会の忘年会の予定であるが、欠席せざるを得ない。fb-messenger で総務部長にお断りの連絡を入れ、病院に向かった。地下鉄を降りて、公園わきのゆるい上り坂を急いで歩くこと6-7分、あまり新しくはないがゆったりした造りの病院入り口で、数分前に車で到着した妻が待っていた。二人で向かった病室では嫁さんのご両親がすでに到着しており、病室内でまず久しぶりの邂逅を喜んだ。実家に帰らず都内で出産すると聞いて最初は驚き、不安だったが、ご両親の良き理解と良い友達の存在でここまでこぎつけたのだから素晴らしいことだ。来週から自宅での子育てが始まると、母親に大変なご苦労をかけることになるが、せいぜい協力してあげたいと思う。ベビーは当然のことながらとてもかわいく、目鼻立ちもこころなしか格好良いように思えるから面白いものだ。こっちは1時間前まで風邪や腸炎のウイルスまみれになっていたので、抱くのもこわごわ、吐く息にも注意を払う。ママも元気だったので安心したが、さすがに疲れは隠せない状態だったので、お祝いを言って早々と病室をでた。
ケータイオフの間に会長から心配してくれての電話ありメールあり、徘徊か記憶障害を心配してのものかと思う。ご心配おかけしました。
2013年12月1日日曜日
床屋談義
床屋に行った。何もしないで座っているだけだし、見えるものといえば見飽きた自分の顔くらいだから、元来あまり好きな場所ではない。しかし、天パーの髪が2ウェイヴ見える位に伸びると、髪全体の落ち着きが悪くなり耳にかかって気持ち悪いので、しぶしぶ出かけることにしている。この地に引っ越してから3軒目のこの床屋は、話を聞いてみると、かつて3年ほど勤務した神奈川の大学病院に会った院内理髪店が、なんと兄弟の店であった。さらに、娘さんの修行先がこちらに引っ越す前に住んでいた文京区の通いの床屋であるなど、不思議と縁が深い店であることがわかり、以後通い続けている。と言っても無精者なので年7-8回行くだけなのだ。いつも過密状態の熱帯魚水槽、夏になると窓に生い茂るゴーヤの蔓、豪華ではないけれど白色を主体にした清潔な室内など、変わらない風景がそこにある。でも、18年位前には二人いた従業員は一人減り、また一人減りで今はマスターと奥さん、御嬢さんのさんちゃん床屋である。肥満体で元気がよかったマスターはある時から透析のやっかいになって、週3回半日透析クリニックに通っている。幸いなことに症状はなく、元気にカットしてくれるが、スタイルのセンスがやや古いのが残念だ。散髪中の話題は透析の仲間のこと、地元の知り合いのこと、食事療法の苦労など、他愛のないことであることはもちろんだ。奥さんの仕事は洗髪、髭剃り、フロアの掃除で、透析のご主人の食事を準備する苦労をいつもする。食事量が少ないと怒られる、塩分制限をようやく納得してくれるようになった、などなど。昔かわいかった御嬢さんは今は2児の母であり、父親似の恰幅の良さで椅子と椅子の間の狭い空間を占拠している。ヘアースタイルのセンスはベターである。話題は圧倒的に子供と学校のことが多いのは当然なんだろう。今日はマスターが散髪してくれて、最後に、めっきり白くなった髪を見つめて一言、「もう少しでパーフェクトですね。」意味がわからず聞き返したら、全部が白くなると素晴らしいんだそうだ。何万人に一人の確率で、多くはその前に髪がなくなってしまったり、黒い髪の毛が残ったりして「完璧」にはなりにくいとのことである。そんなの有難くないよと言い残して店を出た。
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