2013年12月1日日曜日
床屋談義
床屋に行った。何もしないで座っているだけだし、見えるものといえば見飽きた自分の顔くらいだから、元来あまり好きな場所ではない。しかし、天パーの髪が2ウェイヴ見える位に伸びると、髪全体の落ち着きが悪くなり耳にかかって気持ち悪いので、しぶしぶ出かけることにしている。この地に引っ越してから3軒目のこの床屋は、話を聞いてみると、かつて3年ほど勤務した神奈川の大学病院に会った院内理髪店が、なんと兄弟の店であった。さらに、娘さんの修行先がこちらに引っ越す前に住んでいた文京区の通いの床屋であるなど、不思議と縁が深い店であることがわかり、以後通い続けている。と言っても無精者なので年7-8回行くだけなのだ。いつも過密状態の熱帯魚水槽、夏になると窓に生い茂るゴーヤの蔓、豪華ではないけれど白色を主体にした清潔な室内など、変わらない風景がそこにある。でも、18年位前には二人いた従業員は一人減り、また一人減りで今はマスターと奥さん、御嬢さんのさんちゃん床屋である。肥満体で元気がよかったマスターはある時から透析のやっかいになって、週3回半日透析クリニックに通っている。幸いなことに症状はなく、元気にカットしてくれるが、スタイルのセンスがやや古いのが残念だ。散髪中の話題は透析の仲間のこと、地元の知り合いのこと、食事療法の苦労など、他愛のないことであることはもちろんだ。奥さんの仕事は洗髪、髭剃り、フロアの掃除で、透析のご主人の食事を準備する苦労をいつもする。食事量が少ないと怒られる、塩分制限をようやく納得してくれるようになった、などなど。昔かわいかった御嬢さんは今は2児の母であり、父親似の恰幅の良さで椅子と椅子の間の狭い空間を占拠している。ヘアースタイルのセンスはベターである。話題は圧倒的に子供と学校のことが多いのは当然なんだろう。今日はマスターが散髪してくれて、最後に、めっきり白くなった髪を見つめて一言、「もう少しでパーフェクトですね。」意味がわからず聞き返したら、全部が白くなると素晴らしいんだそうだ。何万人に一人の確率で、多くはその前に髪がなくなってしまったり、黒い髪の毛が残ったりして「完璧」にはなりにくいとのことである。そんなの有難くないよと言い残して店を出た。
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