2014年8月30日土曜日

あっという間にENBD

大学病院消化器外科外来での作業は迅速だった。採血,CTのあと緊急入院手続き終了して病棟に上がる。夕方内視鏡。通常の観察、EUS、ENBD用の少なくとも3本の内視鏡を挿入されたはずだけれど、サイレースとオピスタンのおかげで、口から鼻へENBDチューブを移す瞬間まで眠っていた。その日はそのまま爆睡したけれど、翌朝、尿の色が改善したことに気がついた。日中暇していたら、消化器外科教授、消化器内科教授がそれぞれ別々にベッドサイドに挨拶にみえ、誠に恐縮・感激した。退院したらちょとだけ新病棟建設資金に寄付をしようとつい思ってしまう。

2014年8月26日火曜日

青天の霹靂

日曜日に山の上ホテルで天ぷらコースを久し振りに完食した翌日月曜日の夜に、尿の色がオレンジ色がかっていることに気づいた。そのほかには軽度の胃もたれ程度の症状がある。念のためと思って診療所のドライケムで測定したらAST600,ALT1000. A型急性肝炎かと思ったが、念のため腹部エコーしてみたら、急性肝炎の胆嚢は緊満不良・壁の浮腫性肥厚が常だが、気持ち悪いくらい緊満良好である。おまけに肝門部付近の肝内胆管拡張が軽度ではあるが認められた。上部総胆管径0.84cm。この時点で下部胆管の閉塞に伴う急性肝障害と診断し、大慌てで御茶ノ水MSで夕方MRI、MRCPを撮った。金曜日の病院外来を予約した。

2014年8月15日金曜日

ちょっとディープなイスタンブール

イスタンブールのガイドはアリさん。日本観光歴4回で、とても流ちょうな日本語を話す30ちょっとの若者だ。昨日までのビロさんが学者肌だったのと比べるとノリが軽いが、ブルーモスクを始め名所旧跡の案内説明はしっかりしている。この国の対日本人観光客ガイドマニュアルはかなりしっかりしてるんじゃ無いだろうか。ホテルがブルーモスクなど近い歴史地区にあるため観光はほとんど歩きだ。アヤソフィア、トプカピ宮殿、カーリエ博物館などなど、千数百年にわたって様々な国、民族に支配されてきた歴史的建造物とその内部の展示品は、政変に伴う略奪の被害もくぐりぬけて、さすが、と言わせるだけの迫力を持っている。街中は活気に溢れ、予想していたよりはずっときれいで、慣れれば住み心地は悪くないのだと思う。
人の活気が溢れているのがグランドバザールとスパイスバザールをはじめとする商店街。とくにこのバザールは一人で入り込んだら迷うのが確実な場所だ。ほとんどの商品には値札なんてついていないから値段は店との交渉次第。かなり値切って得をしたつもりでも、帰る時に小さなお土産をくれたりするので、もっと値切れたとちょっと後悔する。街の中では食べ物屋が目につく。大きい店でのドネルケバブの丈は1m位のものもあり圧巻だ。昼食は店頭の各種料理から選んでワンプーレートに載せてもらい、サラダをつけてアイランとミネラルウォーターでしっかり食べた後、独特の形のグラスに注がれたチャイを飲んで終了。ガイドさんと運転手さんは休む度に1TLのこのチャイを飲んでいた。ガラス製以外のはあるのか聞いたら見たことが無いという。
1300万人の人口を持つイスタンブールはボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾という水域の合流点にある街だ。日中は街中心の丘の上にある歴史的価値の高い塔の上からそれらを眺め、夜は家内の友人のドクター、ユフク君と、金角湾の入り口にあるレストランで湾と海峡を通る船を眺めつつトルコ料理を楽しんだ。金角湾の対岸の旧市街にはモスクやアヤソフィアの尖塔がそびえ、反対のアジア側には広い範囲にマンションが建っている。食後の1杯は、ボスボラス大橋を渡ったアジア側の小さい港町にある海辺のレストラン街で久し振りのコーヒー。地元ロコが集うなんとなくウキウキ感が漂う楽しいエリアだった。

2014年8月14日木曜日

トルコ中央部をひた走る

パムッカレでの暑いけれど至極のひとときを過ごした後、トルコ中央部からエーゲ海沿岸都市への強行ドライブが始まった。さすが食料自給率100%の国だけあって、国道の両側には、中央部では小麦やジャガイモの畑が広がり、エーゲ海地方に近づくとひまわり、オリーブ、ザクロ、イチジクの畑が増えてくる。広大な作付面積と比べると、道路を走る物流の車両が少ないと思うが、そのあたりがこの国の産業の特性をあらわしているのかも知れない。でも、そのお陰でベンツは快走し、夕方と言ってもまだ陽が高い時刻に聖母マリアの家、エフェソスの遺跡を歩くことができた。さらにエーゲ海で一泳ぎして、イズミールのホテルに到着。前夜と異なり良いお部屋で爆睡。
翌日14日もドライブは続いた。途中トロイの遺跡を観光。シンガポールのマーライオン、ブラッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫の像はすべて見たが、これら世界3大がっかりに匹敵するのがトロイの遺跡の入り口広場にあるトロイの木馬。でも、これはあくまで看板みたいなもので本来の見せ場は要塞都市トロイの遺構であるからまあいいでしょう。クルマは平均時速80kmで快走し、昼食は途中の村の中央にある緑陰の広場の周囲に並ぶ、まさに食堂で摂った。ヨーグルト飲料のアイランとソーダウォーターでサラダ、肉料理を楽しんだが、子供は日本人見慣れてないらしく珍しそうに見つめている。
午後にダーダネルス海峡のフェリーを使い、ヨーロッパ側に到達。300km走ってようやくイスタンブールに到着した。

2014年8月13日水曜日

ヒエラポリス

夜通しエアコンの調子が最低で、寝不足ではあるけれど、遠くにパムッカレの石灰棚を見る屋上での朝食は気持ちが良い。この国では野菜の新鮮さがことのほか嬉しく、肉と野菜を主とする料理の味付けに使われている香辛料の多彩さは目を見張るものがある。でも、どれも似通った味のイメージでちょっと飽きを感じることもある。チーズはとても美味しい。
以前からテレビで取り上げられてきているパムッカレの石灰華段丘をようやく訪れることができた。純白の石灰で彩られた段丘は確かに美しい。陽光を浴びて本当に輝いている。景観を楽しみ、一部立ち入りが許可されている棚の中を裸足で歩いている観光客の一部がビーサンとビキニ海パンであることに最初驚いた。
後でわかったのだが、棚から500mほど歩いたところに温泉プールがあって、そこで遊びながら観光するという古代ローマ帝国時代のここでの遊び方が復活している、ということのようだ。温泉プールの中には帝国時代に建造され地震で水中に没した石柱が多数転がっている。往時は人口10万人に達した温泉保養地として栄えたヒエラポリスは石灰棚の上部に広がる高原を中心に広がり、劇場、会議場、温泉保養所などがいろいろあったらしい。2つの大地震で破壊されきったらしく、現在復活させる工事が行われている。
劇場跡の最上段に立って見下ろすとわかるのだけれど、山の中腹の高原に作られたヒエラポリスは広さは数平方キロで中心に各種石造建造物があり、中心に泉を配しその下部に温泉が湧出する。さらにその下方に石灰華段丘があり、ここからはるかに見渡す平原は広く豊かであり、パムッカレの語源となった綿などの栽培に適していたのだろう。その更に先には山脈が連なり、まさに地上の楽園といえる。古代ローマ帝国の人々が支配者としてこの絶景と環境を享受していたことは想像に難くない。

2014年8月12日火曜日

●メブラーナ博物館●インジェミナーレ神学校

前日現地のトラベルエージェント本社に怒鳴り込んだ甲斐があってか、早朝ようやくスーツケースが届いた。さっそく着替えてクルマに乗り込む。今日の行程は数百キロに及ぶ。まず、トルコ中央に位置するコンヤという街のメブラーナ博物館。独特の旋回舞踏で世界的に有名なメヴラーナ教団の創始者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。メヴラーナとは「我が師」という意味でジェラルディン・ルーミーを指す、ということだが、申し訳ないことにさっぱりわからない。6,500㎡の敷地にはメヴラーナをはじめとする教団の発展に尽くした名僧たちの霊廟、資料室、修行場などがある。立派な棺のうえに独特の帽子が載っていて、帽子の高さが位の高さをあらわすらしい。  
その後向かったインジェミナーレ神学校は先の博物館と比べると小さい建物で、中には古いイスラムのレリーフが彫られた石版が展示されているだけで、異教徒(というより無教徒)の僕にはそれほど興味をかき立てるものでも無かった。これらの歴史的建造物を有するコンヤは昔はこの地方の首都であったこともあり、比較的大きい地方都市といった趣で路面電車も走り落ち着いた雰囲気である。期間のながいトルコツアーではここに1泊することが多いらしいが、それはカッパドキアからパムッカレへの距離が600キロあまりで1日で移動するにはキツいからだろう。僕たちの弾丸ツアーではその日のうちに西に向かい、途中かつては旅人が安心して休める要塞みたいな旅の中継点のスルタンファン・ケルバンサライも見て、パムッカレのホテルに着いたのは日も暮れた9時頃だった。

2014年8月11日月曜日

洞窟ホテルで目が覚めた。スーツケースはいまだ行方不明で衣類が無いため、ホテルのランドリーで洗濯して、屋上のもの干し場に干した後、ホテルの裏口から出て周囲を散策した。ここに来る前は洞窟ホテルってレアものかとおもっていたけれど、歩いてみるとcave hotelと書いた看板があちこちにあって、そうではないホテルを探すのに苦労するくらいだ。ほとんどのcave hotelは客室の天井と壁が洞窟で入り口は普通の壁で作ってある。客室の前に広い共有部分があって食事はそこでとる仕組みだ。レストランからの眺めはさすがに素晴らしく、朝早くなら上空を気球が漂う。 食後ビロさんに案内されてクルマでカッパドキア観光。とにかくどこに行っても奇岩だらけ。大きい奇岩には居住用の穴が空いている。観光用にカフェとお土産屋が入っている洞窟住居や大昔の戦争時代の避難用に作られた洞窟都市にも連れて行かれたが、それにしてもよく掘ったものだと思う。地震がない地域のようだ。一日中走り回り、夕方は夕日が世界一きれいだというrose vallayで赤ワインを飲みながらの日没鑑賞。まあ、普通の日没だった。

2014年8月10日日曜日

ハットゥシャス遺跡

昨夜から行動を共にしている日本語堪能のガイドさんビロ君と、優しい太った50歳台の髭の運転手さんと我々を乗せてベンツVはアンカラから一路ハットゥシャス遺跡に向かう。ここに来て初めて聞くこの遺跡、紀元前17~13世紀あたりにこの地に君臨したヒッタイト帝国が築いた首都で要塞都市の一部であるが、標高1000mの高地にあり、周囲が広く見渡される高台に構築されている.残っているのは巨石で作られた建築物の一部だが、最盛期には数万人の居住人口だったという。世界史上初の鉄器を作り、エジプト王国との平和条約を結んだ帝国はやがてエーゲ海からの民族に滅ぼされることとなったが、トルコは常に東西の民族が勢力圏を広げる際の要として位置したのだろう。現在この地域に見られるのは広大な荒野と小麦畑などであり、往時の面影はない。

2014年8月9日土曜日

吉祥寺から乗ったNEXが東京駅直前で停車したまま動かなくなった。昨年の夏の出来事が頭をよぎる。国道246三茶付近でお盆休みの恐ろしい渋滞に巻き込まれ、カーナビの成田空港到着時刻が離陸時刻より1時間遅くなる表示をみて頭が一瞬白くなり、道ばたのタイムスに車を駐めて田園都市線ホームに駆け込んで京成経由で離陸2時間前に成田空港駅に到着したのだった。又かよ、と思ってしばらく待ったところ、NEXの車掌さんはいとも簡単に「成田付近での信号機故障により東京駅で運行を停止します」とのこと。ようやく東京駅ホームでドアが開いた。この国の元国有鉄道はこんなレベルの仕事してるのかよ、と思いながら、のんびりしている外国人カップルに乗り換えの事を話して降車を促し、大慌てで山手線に乗り日暮里駅で京成に乗り換えた。切符売り場は外国人旅行者30人くらいの長蛇の列。suica、pasmoを使い改札通過して、すぐ来た成田空港行きに乗ってほっと一息ついた。 なんとかアワードとったトルコ航空の機内生活は苦も無く楽も無く、航空機機内用に編集されたビデオを見まくり、ワイン飲んでお休みの後、着陸直前のコース画面でクリミア半島をしっかり迂回してくれたことに感謝しつつイスタンブールに到着。乗り継ぎでアンカラまで身体は動いたが、問題はここからで、なんとスーツケースが届かなかったのだった。

2014年8月5日火曜日

四季の会

時期によっては出席者のほとんどが医師会理事だったこともあった四季の会も、今回は地域内3病院のドクターの出席が多く、まさに盛会であった。名前は知っていても普段は会えない方々との顔を見ながらの語らいは、おそらく診療情報提供書を介してのやりとりよりよほど施設間の連携に役立つに違いない。今回は特に3病院間の出席者数競争もあったようで、院長自ら出席されたS病院、K病院が気勢を上げている反面、地域医療部長の出席にとどまったM病院はちょっと静かな印象である。しかし、それぞれが若手のあるいは中堅の医師を伴っての登場で楽しい雰囲気である。常識的に考えればこの狭いエリアに3つの大学病院に加えて本日参加の3病院が存在することが不可思議であり、いつ淘汰が行われるかという所だ。病院毎の特色を生かして仲良くやっていくようなことができるとは思えない。3病院それぞれの後ろ盾があるだけに、なんとなくの存在が続いているが、いつまで続く事やら。 そういう事情はさておき、会はつつがなく進行し、食事とお酒を楽しみながらのご歓談タイム。料理の味はまあまあだと思う。以前の駿河台のホテルは素晴らしい料理の味を誇っていて人気が高かったが、最近は落ち目であるのが皆の共有認識である。今日の料理は味付けが濃い印象であったが、僕の好みにはあっていた。人によって好き嫌いはあろうが、所詮はビュフェスタイル、立ち食いの居酒屋レベルのことだから、どうこう言っても仕方が無い。雰囲気良く歓談できれば良いのさ。その意味では正解な盛会だった。出されたワインが、こちらが先日サミットで570円で購入したワインと同じだったのはご愛敬だ。あのワインはやはり飲みやすくC/Pが良好なんだ。建物と部屋のレベル、さらにスタッフの顔つきが良いのが気に入った。

2014年8月2日土曜日

ゴルフの後、松勘へ

〇ンダースのよどみからの脱出を図り秘密裏に購入したクラブでの炎天下のプレイは少しだけ底上げができたようには思うけれど、後半のプレイはとにかく暑かった。自宅から50分程度で確実に行けるここは、ちょっと狭くて昼飯は美味しくないけれど、夫婦でまわるにはちょうど良いのかもしれない。30分で行ける〇金井はとても手がでないし。近いゴルフ場の利点は夕方から夜を有効に使えることだ。3時前に帰宅し、4時に息子夫婦たちを迎えて家でおしゃべりの後、吉祥寺松勘に向かった。麻布の本店に以前お邪魔して、その際吉祥寺分店を紹介させて直後に1回訪れてから2回目の訪問。寿司やのフロアスタッフの良いところは、他の居酒屋、レストランと違って言葉がはっきりしていることで、これは聞いていて気持ちが良い。寿司の味は本店と比べると微妙に違っているのが気にはなるが、こちらは孫と楽しく過ごすのに夢中で、料理と酒は珍しく二の次だった。