2014年9月30日火曜日
ドン・ペリの瓶の気持ちがわかった
月曜日のケモラジ9,火曜日のケモラジ10と順調に経過して調子に乗っていたら恐ろしいことになった。硬便。もともと環境が変わると便秘しがちだから、旅行が趣味の立場としては都合は悪いのだが、それが年齢を重ねるにつれて増悪傾向にある。家に帰って寝る分には外で何を食べようが家の食事がなんだろうが快便が続いているのだけれど、数日間以上の旅行は要注意のことが多い。今回、居場所が変わり、食事が変わり、運動量が変わり、それに加えて胆汁は全量外に排泄されるし、クスリもあるしで、すべてが変わって約1ヶ月経過したら、かなり固い便が続くようになってきていた。マグラックス(330)を1日3錠から開始して1錠づつ増量しているが効果なく、2日間排便なし。かろうじて便意を催したので、トイレでいきんだけれど、出ない。トイレ内に設置されている処置用のプラスチックグローブをはめ、蛮勇を奮ってこわごわ肛門を指診すると、あるある、石のように固い便塊が出口を塞いでいる。指で押しても全く変形せず、少し奥に引っ込むだけである。表面を少しづつでも削って小さくできるかと思ったけれど全く歯が立たない。いきむこと数回でギブアップし、看護師さんのお知恵を拝借することにした。最初の処置は浣腸だった。グリ浣よりマイルドという触れ込みの浣腸液を注入してもらったところ、数分後からものすごい排便欲求出現してトイレに駆け込んだ。でも排泄されるのは液体がわずかだけで、本体の排泄はなく、とにかくじっとしているのが辛いほどの症状である。映画館で火災が起きて観客が少ない出口に殺到したらこうなるんだろうなんてことは今だから書けることだ。必死になって担当の看護師(男性でよかった)の所にたどり着き相談したところ、次の手段として摘便しましょう、ということになった。数年前に外来に、前日バリウム検査を受けて便秘で来院した若い男性がいて、看護師に摘便を頼んだ覚えがあるが、その前後でこの単語になじみがない。トイレに座り、後方から看護師が肛門に指を挿入して内部をすごい勢いでかき回してくれる。こうやって便塊を少しづつ砕いているのだろう。ときどきいきんで排便しながら繰り返すこと数回、最大の便塊が大きないきみで押し出されたあと直腸内容がほぼすべて排出された時の快感と言ったらない。思わず快哉を叫んでいた。この気持ちよさと言ったらなんだろう、コルク栓を開けたあとのドン・ペリの瓶の気持ちだろうか。そういえば、脂肪便のため固いくせにコルクのように水に浮かんでいた。もう二度としたくないのは確かだ。
2014年9月27日土曜日
甘く見てはいけない
石焼きビビンバ風夕食を完食して寝た真夜中に心窩部痛で目が覚めた。仰向けはもちろん右向いても左向いても膝を折っても軽減しない。一番楽なのはベッド上に座り込むか歩くかと言う状態だ。なんだろう。不安が頭をもたげる。cholangitisの再発?、radiationによる消化管障害?、chemoの副作用?、中途半端な知識が不安を増幅する。少なくともperforationではなさそうだ。ナースコールで駆けつけてくれた看護師さんが言ってくれた。少し様子を見ましょう→もう少ししたら血圧を測りに来ますね・・・。2時間経過して痛みに変化がないと申し上げたら、鎮痛剤を出しますとのこと。どう考えても消化器系の症状と思えたので、「ロキソニンにしましょう。ムコスタもつけますよ」と言われた時には気が遠くなりかけた。別に何かありませんかとお願いし、しぶしぶ?ロピオンDIVにしていただき、開始約1時間で入眠したらしい。6時に目が覚めて生きていて良かったと思うと同時に痛みがなくなっているのに気がついた。結果オーライだったのだけれど、なにか引っかかる一晩だった。
腹単、エコー、採血に何も変化がない。胆汁流量ももちろん一定。診断:食べ過ぎ?!☆。お騒がせの罰として禁食と2リットルの点滴追加が科せられた。
2014年9月26日金曜日
ケモラジ8
最初のうちケモラジはどうってこともなくスルーできていて、食事も散歩も普段と同じだったけれど、回を重ねるにつれて少し影響が出てきているように思う。まず、その日の放治が終わったあと、ベッドに潜り込んで一休みというのがとても心地よく思えてきたこと。そのまま寝ないで動き続けても良いのだけれど、別にすることもないし、と思ったらもう身体が横になっている。もう一つは、空腹感が少なくなった印象があること。食事時には胃が物理的に空になっているから、食べれば病院食は完食できるのだけれど、食べなくてもいいかな、と考えることがある。今夜の病院食は炊き込みご飯とおでん種の煮込み?という献立だった。幸い、差し入れて頂いた今半の肉の佃煮があり、(M先生ありがとうございます)、とにかく濃厚な卵の半熟の差し入れがあったので、混ぜてみたら、なんとほぼ冷えた石焼きビビンバ風の料理に変化し、食欲アップして完食できたが、なければないでそれでも良いという発想が出始めたのは注意信号だと思う。この週末の休薬で回復すると良いが。
2014年9月25日木曜日
2014年9月24日水曜日
ケモラジ6
朝のうちに診療所の今後数ヶ月の外来体制について事務担当と打ち合わせ。長文はPCでのhotmail、短文とすぐレスがほしい場合はLINEと、PCを前にしてスマホを片手に結構手と眼を使う作業だった。つて・こねを頼っての外来代行を確保するのは、当たり前だけれど結構大変で、担当の苦労は想像するに余りある。やむを得ず、母校関連で医師人材取り扱いを仕事としている人の手も借りることにした。高いし手数料は取られるしで、ずっとお世話になる気もないがこの際仕方がないだろう。ある関係者は、都合がつかない日は閉めちゃえば、というけれど、それにはまだ抵抗がある。
放治は、前回言われたごとく今まで以上にあっという間に終了した。同じような治療を受けている同室者さんは、地方から1ヶ月半くらいの予定で入院しておられ、治療終了後東京見物におでかけ。東京東部の見所はすでに制覇し、今日は浜松町・芝近辺とのこと。こっちもヘパリンDIVとENBDチューブがなければ外来でも何でも可なのだけれど。
しゃくだから、ラウンドしているレジデントにガンにおけるヘパラナーゼ活性抑制の意義、でも質問してみようか。
2014年9月23日火曜日
ゴルフ日和
病室から見つづけた空は素晴らしい秋晴れで、まさにゴルフ日和の1日だったに違いない。バブブブルマスターさんの作る写真集がULされるのを見るのが楽しみだ。そんな祭日のこちらのささやかな楽しみは家内が作って持ってきてくれた牛肉の赤ワイン煮込み。数日前から宣伝していたとおり素晴らしい出来映えで、じっくり煮込んでくれたためにすでにタマネギはほとんど形がなく、ペコロス、マッシュルーム、人参は程よく味がしみこんで煮込まれ具合もちょうど良い。肝腎の牛肉は胆汁なしの消化管に合わせて脂身少なく、しっかり味がしみこんだ赤身である。何よりも素晴らしいのがこういった食材の旨みが溶け込んだスープで、あっという間に完食した。
2014年9月22日月曜日
ケモラジ5
放治の照射部位決めには今日までの5回の治療時の照射部位のデータが必要らしい。今日も看護師さんと技師さんによる微妙な身体のずらしに加えて装置本体によるおそらくミリ単位での微調整があったが、この次からは簡単ですよと言われた。照射自体は息止めもない数十秒が数回という印象だ。5人から10人いる放治待合室の面々は僕自身も含めて病人っぽいのが半分、健康そうな勤め人が半分といったところで、流行ってない医院の待合室といったところか。数メートル上の地上では大昔からあった6号館がほぼ取り壊されて新棟の建設準備が進んでいる。学3~研修医時代でさえ古ぼけた建物で足を踏み入れるのにも躊躇する有様だったから、今取り壊しが、と言われても、え、まだあったの?ぐらいしか言えない。次に取り壊される7号棟も今はすでに病室としては使っていないようだ。
2014年9月21日日曜日
さとうの肉
吉祥寺繁華街にある肉のさとうはメンチカツで有名だ。球形のメンチカツを買うためにできる行列はコピス方向に数十メートル伸びることもある。胆汁を体外に出している身にはメンチカツのあの油分は耐えがたいが、赤身の肉なら食べられそうと、厚さ1.5cmのひれステーキを作ってもらった。実はメンチカツ以外は客が並ぶこともなく楽勝で買えたとのこと。今日は何故か朝から食欲がもどり、倦怠感も少なく、息子夫婦とお茶したあと病室に戻って食べたが、結構なお味の黒毛和牛ミディアムレアだった。肉の味、岩塩、胡椒のそれぞれがそれぞれ主張して楽しめた。ここの病院食は、時々食べる和食堂というか日本料理の定食の店としては良い方だと思うが、それが毎日続くとさすがに疲れが出てくる。
2014年9月19日金曜日
ケモラジ4
数日遅れて放治LINACを再開。体調は良好。所要時間15分。病棟と放治センターの往復を加えて計30分で終わってしまうあっけないほどの治療である。1回目開始直前に撮影してあった照射位置決めCTをもとに皮膚に描いたマークを、LINAC装置周辺から照射されているLEDマーカーに合わせているらしい動作で身体の位置が微調整されてからLINAC開始する。数秒の息止めを数回してお終い。待合室には常時数人の患者が待っていて、室内の長い通路ですれ違うこともあるくらい数多くおこなわれているみたいだ。
治療中治療後を通じて症状はないが、治療を受けた日は夜の眠気が早く来る気がする。今回は胆管炎と連休で1週間の間が空いているので蓄積の影響は出ないだろうが、来週から連続になるのでどうなるか。
2014年9月18日木曜日
enterobacter cloacae
ドレナージチューブ機能が正常化した夜あたりから急に治療密度が濃厚になった。ドクターの病室への訪問頻度が急増し、医者がようやくドレナージバッグにも眼を向けて色と排泄胆汁量を見るようになった。さらに抗生物質がカルバペネム系に代わり、しかもfull dose。1本24022円もするぞ高価なベニロンも1回に2本の大盛りでスタートした。想像だけれど、ようやくascending cholangitisが何故medical emergencyと見なされているかが若手の脳みそにも入り、ちょうどその頃、血培でenterobcter cloacaeの陽性が明らかになったからじゃないだろうか。そんなこんなの治療の甲斐あってか、自覚症状はゆっくりとだが確実に改善した。でも、完全な解熱にはドレナージ正常化から3日を必要とした。やはり今回のエピソードはしっかりした全身疾患であって、一昔前なら助からなかったんだろう。ラッキー。明日からの放治が待ち遠しい、と言う発想は正常ではないとわかっていても、やっぱり元のコースに戻れて良かったと思う。
2014年9月17日水曜日
white bile から golden bile へ
ENBD入れ替え直後はgreen bileかとどきどきしてみたら、white bile だったので様子を見ることとした。よほど長い胆汁鬱滞がない限りすぐに胆汁色素の排泄が始まるはずだが、約1日経過しても変化なく、胆汁流量も100mlそこそこに止まっている。体温も下がらず調子は良くない。あtube dysfunctionだよと言ってもなかなか動いてくれないのがここのレジデントらしく、結局夜になって大所が登場して透視下に吸引、造影して直ちに一件落着した。1時間後にgolden bileになって流量も増えた。明日には解熱するだろう。
2014年9月16日火曜日
ascending cholangitis
14日の肝機能が悪化した。dysfunction of ENBD tube vs. drug-induced hepatitis。前者の可能性の方が圧倒的に高いが、US・CTで変化がないので、ひとまず様子見をしていたら、15日午前中に心窩部痛、夜39.3度Cの発熱し、当直医を呼んだ。半信半疑の当直医に、ここまで来たら診断確定だよと言って何とか血培と抗生物質の投与をしてもらった。今日の午後にENBDの入れ替えが予定されているから良かったけれど、そうでなかったら不安と恐怖の夜が続くところだった。
2014年9月12日金曜日
時間のつぶし方
ケモラジ3も何事もなく過ぎた。TS1を飲んだ後すこし胃もたれが強いような気もするけれど、病院食完食後八王子道の駅で買ったという濃厚プリンもデザートで食べたから評価不能。明日から3連休でケモラジも休みなので、変化を見ましょう。
大昔、やせていた頃気胸で1週間入院した時は症状が取れたらテレビを見る以外することがなくて困った覚えがある。同じ年頃の病院の看護婦さんから借りた心理学の本を読みながら頭が痛くなった。今日日は入院していて症状がなくても時間つぶしに事欠かない。Wifi装着したPCでインターネット環境は完璧だし、DVDもオーケー、LINE,FBはスマホで楽しく、眼が疲れたらipodで一休みだ。もちろんテレビも視聴可能だが、この状況で見るとテレビ番組の劣勢が著しいことに驚く。PCとスマホで診療所との連絡も密に取れる。これで患者の診察ができれば言うことはないのだけれど。
2014年9月11日木曜日
ケモラジ2
制吐剤に引き続いてのシスのdivは何事も起こらずに終了した。投与量が少ないからかもしれないが、実に平和な1日だった。点滴量が多くなったのと飲水量を多くしたので尿量が多い。ポンプを従えての移動が面倒くさい。夕方は面会に来たスタッフと年内の外来の打ち合わせ。かなりまとまってきたけれどまだ穴があちこちに空いているので頭が痛い。それにしてもこの稼業、経営面から言えば一人何点x一日何人x月何日x12で収入が決まり、経費は人件費、家賃+光熱費、検査費用、薬剤費用などで支出が決まる。しかも収入のかなりの部分は保険診療という統制経済のもとにあるし、その統制は医師が何分働いていくらという計算が基礎にあるのだと思う。その抜け道を探すのにもそろそろ飽きてきた。
2014年9月10日水曜日
2014年9月9日火曜日
神宮外苑散歩
明日からのケモラジラリーが始まると当分外出がむずかしそうな気がするので、天気の良い今日は家内を誘って神宮外苑を散歩した。信濃町駅前交番の前をとおり外苑に入る。デング熱患者がここからも出たはずなので、林や藪には近づかずに車道脇の広い歩道を時計回りに歩く。権田原交差点近くの林間ビアガーデンは以前行った時でさえ蚊除けスプレーを渡されたくらいだから今商売になっているんだろうか。しかし、テニスコート近辺では全力ダッシュの学生たちとすれ違い、それに加えてマラソンランナーはいるし、デング熱の恐怖は全く無視されている。子供連れ、乳母車がいないのが以前と違うところだろうか。神宮球場を過ぎると隣接する第二球場。この季節はゴルフ練習場である。付属のカフェでホットハニーレモン、グラスワイン白、シフォンケーキを頼んで味わいながら二人で将来のことを相談した。カフェをでて球場入り口側に歩き、日本青年館、国立競技場前を通り高速入り口前の歩行者信号を渡って水明亭を通り過ぎる。学生時代は週一回くらいランチを食べた店だが、健在かどうかは別にしてまだある。建物はそのままですっかり古びているから、儲かりもせず、つぶれもせず、といったところか。建て替えれば洒落た場所の洒落た店になりそうだが、建築規制でもあるのかも知れない。歩行者専用の跨線橋を渡り、病院3号館前に到着。これもまだ存在しているCOOPの下を通ってキャンパスの裏門に入った。久し振りの信濃町界隈めぐりだった。
2014年9月8日月曜日
3回目のCT
ようやく水底に沈む便になった。色調も正常。ENBDチューブが胃内で切断されて胆汁が腸内に行くようになったから当然と言えば当然であるけれど、消化吸収(とくに脂肪)における胆汁の重要性を再認識した。体重も増加傾向にある。4週間のケモラジラリーに備えてもう少し増やしたいところだ。
昼過ぎに放治に呼ばれて照射位置決めCTを受けたが、今回のは呼吸連動性撮影みたいな気がする。入院当日の診断CT,PETCTに引き続いて3回目になった。ここでしばらく打ち止めだから良いが、1回目と3回目、それぞれサーフロー(あるいはその同等品)2回刺しっていったいどうよ。放治ローテーションの研修医さんがんばっているし、注射ってこうやって少しづつうまくなるのだと言うことはわかっていても、度重なると疲れる。
夜になって、オランダのど田舎に学会発表に行ってきた息子からチョコレートのお土産の差し入れがあってほっとした。
2014年9月7日日曜日
いろいろ楽しいこと
4週間のケモラジを控えての外泊だ。10時に迎えに来てもらい、帰宅後たまっていた郵便物処理と机の上処理して昼食後、定例のジムで汗を流す。腹部のトレーニングは、心理的に少し弱めになった。10日間程度の入院でも脚力のレベルが少し落ちているのに驚いた。院内での朝のエクササイズのメニューは一工夫が必要だ。ジムの風呂場で手足を伸ばして充分暖まった後の自宅での夕食メインは、義母上からいただいた最高級の牛肉でのしゃぶしゃぶ。当然のワインは残念なことにグラス1/2に制限されたが、長く続いた病院食に比べると極上の夕食だった。いつも普通にしていたことが、この状況だとどれも楽しいことに思えてくる。
2014年9月5日金曜日
Pub Med フリーク
治療方針が提示されて後、久し振りにPubMedフリークになっている。大病になった医者なんてこんなもんなんだろう。resectable pancreatic cancer で調べると、多くのペーパーがイントロを「死亡率がガンでは4位の・・・」で始まっていることが多い。コイツら、コピペだろう、と思いながら読み進めていくとうれしいことに割とポジティブなデータが多い。ネガティブデータは普通はペーパーになりにくいから当然のことなのだと思うが、それでも溺れそうな時に手でつかむ藁は多ければ多い程よいという考えなので、いろいろ読んでみる。同じレシピのペーパーは思ったより少ない。今はGを使って、新しい分子標的薬を組み合わせての治療のペーパーが多いのはノイエス目当ての当然の風潮だ。予定の治療薬はどれも耳たこなのがかえって頼もしい。
2014年9月4日木曜日
2014年9月2日火曜日
2014年9月1日月曜日
胆汁がもったいない
ENBDチューブは充分細くてしなやかなため、装着時の違和感は比較的少ない。当初、喉の症状を心配したのだが皆無である。鼻腔に異物感があるものの呼吸には差し支えなく、強いて言えば後鼻漏が若干増加したように思う。装着のお陰で最高6mg/dlを超えた総ビリルビンは数日で2mgにまで下がった。しかし、胆汁を全量腸管を通さずに排泄してしまうため、脂質の消化吸収障害がはっきりしている。油濃いものを食べる気がしなくなり、いわゆる土壁色の便は死海の観光客なみに水に浮く。1日1リットル弱の捨てられる胆汁は生体にとっては本来腸肝循環でリサイクルされる貴重品。病院スタッフと冗談で再利用について話したら、コーラと割ると何とか飲めるという返事が返ってきた。あの苦味はソーダウォーターで割ったらビールに似ないかと想像したが、試す気も無かった。
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