2013年12月30日月曜日

伊勢屋とローリーズ

忙しい一日だった。午前中から池を渡って吉祥寺に出向き、あつらえたワイシャツの回収と正月食品のお買い物につきあい、帰る途中で伊勢屋で昼食。店内は煙たいのでもちろん吉祥寺通り沿いのカウンター席で食べる。カワ、ナンコツ、ネギ、もも肉に加えてとなりのお兄ちゃんのすすめに従ってカシラを注文したらこれがこりこりした脂身という歯触りでとても美味しく、正体不明の焼酎お湯割りレモン添えにとても合う。少し良い気持ちになって、池の弁天様の初詣の下調べをして帰宅した。数日前に大改造した家の外回りのうち、玄関の植栽の手入れをしてデッキブラシを使ってタイルの汚れを落とし、裏のモッコクと金木犀の枝を落とす。本当は金木犀の花が落ちた時にするべきことだったけれど、いつの間にか今頃になってしまった。
今日のメインイベントはもちろん、二人でのローリーズプライムリブでの夕食である。食の趣味が恐ろしいほどに合っているようなので、このプランには異論なく話はまとまった。早く食べ終わってGERD症状を少しでも軽くしようという算段で5時からの席を予約して定刻に到着。前菜とかクラムチャウダーなどは省いて、乾杯もシャンパンなどは無視して一番安いメルローを1本最初から頼んで1時間半でごちそうさまと思っていたけれど、最後にデザートを頼んだら、いつもの濃いアルコールがどうしてもほしくなってしまい、オーク樽で何年寝かしてどうのこうののグラッパを一杯オーダーして結局2時間居座ってしまった。とても嬉しかったのは、すでにお帰りになったとばかり思っていた総務ブチョーご一家にお会いしてご挨拶できたことだ。地区医師会のメンバーには初顔見せの家内であるが、珍しく口数少なく、多分ゴカイされたと思うところもちょっと嬉しい。

2013年12月23日月曜日

A家のクリスマス

資生堂パーラー2階に20人が陣取っての恒例のクリスマスパーティに初参加した。ほぼ全員とすでに他の機会に食事していて顔見知りなので、あまり違和感を感じずに着席。20人が一つの長机に会する場合の席次がどんなもんかと興味があったが、最長老を真ん中に、片側はベビー、チャイルドと母親のグループ。最長老の対面は大人になりたて前後の若人、母子グループの反対側は男を中心とした熟年グループという具合にきれいに分かれておしゃべりが始まった。オープニングリマークはなく、前菜→名物らしいスープ→イセエビのアメリカンソース→ステーキ、と定番の料理が運ばれるままに会話ははずみ、シャンパンの次に注がれるワインはカリフォルニアの白に次いでブルゴーニュの赤(シラー入り)と飲みやすい。ワインアドヴァイザーのDrのうんちくを聴きながら、向かいの社長、銀行の偉い所などとよもやま話に話は尽きない。日赤の専門医もこの日は飲んで眠らずに睡眠障害の話をしている。お土産の千疋屋のショートケーキのホールは、帰宅して食べたところ絶品の美味しさであるが、食べごたえ十分すぎる。数日間で食べ切れるか?

2013年12月22日日曜日

メリー・クリスマス!

突然サンタさんがインターフォンを押して来訪した。メリークリスマス!前日、表参道でハーレーダビドソンのサンタクロースおじさん・お兄さんの集団をお見かけして、今年はこれでサンタさんをみることもないだろうと思っていたらとんでもない、自宅への直接訪問である。聞けば、トナカイのそりも雪上車もなく、徒歩で150軒ほど歩いてまわり、プレゼントを配っているとのこと。我が家にも一回お寄り頂いたが生憎留守だったそうである。確かに多少疲れ気味で、3桁の家を回っているにしては鞄も小さく、失礼ながら神様のご援助もそれほどではないのでは、と余計な心配をしてしまった。
正体はこの夏の我が家の大改造に際して職人さんの指揮を執った親方のハレの姿で、思わず、ガンバってねと心の中で叫んだのだった。

2013年12月21日土曜日

年末恒例の組忘年会

恒例の忘年会がまたも、新宿のカンファレンスルーム付属のラウンジで開かれた。丸暴ではあるまいし、組はやめてよと頼んでいるのだけれど、命名者が頑として聞かず、数年が経過した。以前はメーカーの講演会を兼ねてスポンサー付きで開かれたが、昨今の情勢の変化で現在は会費制の気楽な会へと変化して現在に至っている。つまらなそうに立ったままで出入り口に集まっているMRさんの顔つきを見るたびに感じた不自然さがない分、楽と言えば楽である。大学病院数名、私鉄駅前救急病院数名、開業医数名~10名のこの会合、メンバーの近況報告を聞くのも楽しみの一つであり、以前は各々の仕事の話が多かったが、その後は子供の育児の話になり、現在では多くが医師になった子供たちの話も話題の核になっている。隠れ家的な場所のためか、それとは無関係に値段の関係か、つまみ兼料理は美味ではなく、飲み放題のアルコール類もなんてことない味だけれど、年に1度のこの会でお互いの仕事ぶりと幸せぶり、時に不幸せぶりが垣間見られるのは、自分がいつの間にか長老になった新興の医学部ならではのことなんだと思う。

2013年12月17日火曜日

中国飯店忘年会

移動理事会とか言っても、とどのつまりは夏は暑気払い、師走は忘年会で、やっぱり普通の理事会よりは楽しい、ということで今回は中国飯店が会場だった。前回までは、平理事それぞれが選んで未知の魅力に満ちた会場での会合でありそれはそれでとても楽しかった。超高級鰻やあり、銀行協会のメンバー用レストランあり、街のビストロありで、食べられるかどうかはまず口に入れてから決めるという主義の僕にとっては楽しいことこの上ない年2回の行事ではあった。自分の選ぶ番の時には、会員限定をキーワードに、交詢社、クラブ関東、三井倶楽部などを、会員でもないのに検討施設にしたもんだ。(三田倶楽部は居酒屋すぎ、1864は狭すぎて脱落した)
そういう奔放さは当然だけれど経費の漸増を招き、それで今回の普通と言えば普通すぎるところに落ち着いたのだろうか。下衆の勘繰りである。
12月末は例年地獄のラリーで医学部受験生の健康診断とフルワクチンと今年は激増の感染性胃腸炎で業務終了6時45分、タクシーで会場に向かい7時に到着し、待ってていただいた先生方の腹を空かせたハイエナの視線を感じつつ席についた。理事会は当然つつがなく瞬時に終了し、情報交換会の始まり。マシンガンと火炎放射器の使い方を工夫した国と、明らかに不自然な借用書を堂々と公表したり5000万円の札束大の紙包みをかばんに入れるにはどうしたらいいかを都庁で議論するという平和な国が隣り合わせにあるというコワさをビールのつまみにして会は始まった。ところが、遅い。人件費節約なのだろうか、廊下での小皿取り分けはド素人のような方々が一人二人部屋を出たり入ったりして頑張っているみたいであるが、ダッシュでサーブされるのはアルコール類だけで、固形物は前菜でさえ忘れたころやってきた。以前、医師会で、あるいは家族で訪れてそれなりの満足感で店を後にしたあの幸福感はどこへいったのであろう。黒酢をうまく使った料理は大好きで、今日も美味しくいただけたが、それにしても遅い。いつもながらの席順の妙で、うまく配置された理事の方々のトークが微妙な区切りを見せながらもキレなく続いていたから良いけれど、そうでなかったら酒量が激増してエライことになっていた気がする。料理がまあまあ(今日のは残念ながらまあまあレベルだった)だけに、もったいない。

2013年12月11日水曜日

新世界忘年会


 診療所の忘年会は恒例新世界菜館だった。昔からここで開かれ、お土産付き、楽しいひと時を過ごすが、数年前から、中華料理大好きかと思われる会チョーからの社長へのお声かけのためか、ひときわ上質の甕入り紹興酒を準備していただけることとなり、本年も甕割りイベント実行委員長を務めさせていただいた。社会保険統制経済の下であるから、いくつかのIT企業にみられそうな大儲けは不可能なかわり、無難に経営していれば多少の果実は実るだろうという予想の下、本来楽しい席であるから景気のいいことを喋りもして、特に今年は結婚と孫の誕生という出来事が重なった私が、ということでヨイショーの掛け声に合わせて甕を割る。最初にグラスに注がれる上澄みの美味であることはこの上ない。昨年はスケジュールの都合で男子会になってしまったが、今年は診療所美女グループが参加して、より華やかな楽しい会となった。元名誉院長にもご出席いただき、上海蟹尽くしの料理は全員完食であった。

2013年12月10日火曜日

就任祝賀会

総務部チョーの名司会のおかげで、理事会が30分を超えずにお開きとなったため、飯倉のホテルにはタクシーで8時前に到着できた。ご来賓の方々のあいさつに1時間はゆうにかかると思って安心して会場に入ったら、なんと既にお食事ご歓談タイムがたけなわで、お料理コーナーは黒山の人だかりである。同行した元会チョー程のお立場・世代であると前の方に席が作られており、コンパニオンが食事を運んでくれるが、一介の開業医の場合はたとえ介護保険証を持っていてもpriority seatは無い。実のところはそんな席に座りたくないので、心の中でほっとしながら周りを見渡すと、同年の他大学教授、有名病院長なども後ろの方でたむろしていて、そちらのほうが確実に面白いので、お座りになっている方々に挨拶して早々に後方立ち席テーブルに移動する。懇意にさせていただいている熟年美女副院長と懇談し、来年定年の国立病院院長と久しぶりにワルイ話に興じ、2杯目の特徴無しの赤ワインを飲み干すころに、早、新教授の感謝の言葉が始まった。当たり前だが不慣れなためか、多少朴訥とした喋りは何となく近づきやすい雰囲気を醸し出している。これから14年に及ぶ教授業の幕開けであり、どのような王国を作り出すのか興味深い。ワイン2杯のみで帰宅して食べたにゅうめんが美味だった。

2013年12月5日木曜日

プライムリブの夕べ

ゴルフの忘年会は2年連続で赤坂。先日、健診シーズン終了のお疲れ様会でスタッフを連れてお邪魔したばかりの店だったけれど、このての料理は得意な方なので大喜びで出席した。先日の会合ではトーキョーカットだったが、少し物足りなかったのと、その日スタッフのヤンママ、若奥様たちがワンサイズ大きいカットを軽々と完食していたので、今日は英国カットにさせていただいた。赤坂山王駅12番出口から1分、入り口前にはMRの背広姿が多数たむろしており、一人が貸し切りの個室まで案内してくれる。幹事の体育会系ご指導よろしきを得ているのだろうか。10分前の到着で部屋にはすでに半数を超えたメンバーが着席しており、席順係のMRさんが席順表をみせてくれた。このMRさん自身は僕のことをしらなかったみたいで、決められた席は二つ折りになった席順表の折りたたまれた面にあったが、いつも感心するのはこの席次の気配りさ加減の完成度の高さである。前回は年金受給グループとして楽しい席をご準備頂いたが、今年はグルメグループとしてまとめていただき楽しいひとときを過ごすことができた。シャンパンでの乾杯の後、カルパッチョ、スープ、サラダとコースは続き、ローストビーフのメインディッシュに落ち着いて、見事完食。でも、マッシュポテトの最後の一口は正直言ってきつかった。明朝起床時の逆流症状のご予約確定である。年金受給者様たちからじいじグループ入会記念のお祝いの言葉を頂き、一方、お近くのゴルフ諸先輩からは厳しい叱責のお言葉を頂き、今夜はラベルピンに甘んじたボウタイを、来年はモノホンにすることを誓ってポテトを飲み込んだのだった。この会を成功裏にお開きまで企画運営した幹事殿の、表面には決して表さない努力と能力に深く感謝しなければならない、と思う。ありがとうございました。

2013年12月3日火曜日

Hatsumago

予定日より二日遅れの今日、出産後母子ともに元気という新米パパからのメールを見て、新米じいじとしては正直ほっとした。やはり、自分の場合と同じように夫は出産には立ち会えなかったのだった。夫がそばにいても何もできないことは明らかで、若い助産師さんのほうがよっぽど頼りになるのは当然であるけれど、そばに付き添っていたいという希望を持つのも当然だろう。でも、父親になる年頃の医師にそんな自由な時間が十分あるはずがないのも当然のことで、それはそれで仕方ないのだと思う。出産おめでとう。
今夜は医師会の忘年会の予定であるが、欠席せざるを得ない。fb-messenger で総務部長にお断りの連絡を入れ、病院に向かった。地下鉄を降りて、公園わきのゆるい上り坂を急いで歩くこと6-7分、あまり新しくはないがゆったりした造りの病院入り口で、数分前に車で到着した妻が待っていた。二人で向かった病室では嫁さんのご両親がすでに到着しており、病室内でまず久しぶりの邂逅を喜んだ。実家に帰らず都内で出産すると聞いて最初は驚き、不安だったが、ご両親の良き理解と良い友達の存在でここまでこぎつけたのだから素晴らしいことだ。来週から自宅での子育てが始まると、母親に大変なご苦労をかけることになるが、せいぜい協力してあげたいと思う。ベビーは当然のことながらとてもかわいく、目鼻立ちもこころなしか格好良いように思えるから面白いものだ。こっちは1時間前まで風邪や腸炎のウイルスまみれになっていたので、抱くのもこわごわ、吐く息にも注意を払う。ママも元気だったので安心したが、さすがに疲れは隠せない状態だったので、お祝いを言って早々と病室をでた。
ケータイオフの間に会長から心配してくれての電話ありメールあり、徘徊か記憶障害を心配してのものかと思う。ご心配おかけしました。

2013年12月1日日曜日

床屋談義

床屋に行った。何もしないで座っているだけだし、見えるものといえば見飽きた自分の顔くらいだから、元来あまり好きな場所ではない。しかし、天パーの髪が2ウェイヴ見える位に伸びると、髪全体の落ち着きが悪くなり耳にかかって気持ち悪いので、しぶしぶ出かけることにしている。この地に引っ越してから3軒目のこの床屋は、話を聞いてみると、かつて3年ほど勤務した神奈川の大学病院に会った院内理髪店が、なんと兄弟の店であった。さらに、娘さんの修行先がこちらに引っ越す前に住んでいた文京区の通いの床屋であるなど、不思議と縁が深い店であることがわかり、以後通い続けている。と言っても無精者なので年7-8回行くだけなのだ。いつも過密状態の熱帯魚水槽、夏になると窓に生い茂るゴーヤの蔓、豪華ではないけれど白色を主体にした清潔な室内など、変わらない風景がそこにある。でも、18年位前には二人いた従業員は一人減り、また一人減りで今はマスターと奥さん、御嬢さんのさんちゃん床屋である。肥満体で元気がよかったマスターはある時から透析のやっかいになって、週3回半日透析クリニックに通っている。幸いなことに症状はなく、元気にカットしてくれるが、スタイルのセンスがやや古いのが残念だ。散髪中の話題は透析の仲間のこと、地元の知り合いのこと、食事療法の苦労など、他愛のないことであることはもちろんだ。奥さんの仕事は洗髪、髭剃り、フロアの掃除で、透析のご主人の食事を準備する苦労をいつもする。食事量が少ないと怒られる、塩分制限をようやく納得してくれるようになった、などなど。昔かわいかった御嬢さんは今は2児の母であり、父親似の恰幅の良さで椅子と椅子の間の狭い空間を占拠している。ヘアースタイルのセンスはベターである。話題は圧倒的に子供と学校のことが多いのは当然なんだろう。今日はマスターが散髪してくれて、最後に、めっきり白くなった髪を見つめて一言、「もう少しでパーフェクトですね。」意味がわからず聞き返したら、全部が白くなると素晴らしいんだそうだ。何万人に一人の確率で、多くはその前に髪がなくなってしまったり、黒い髪の毛が残ったりして「完璧」にはなりにくいとのことである。そんなの有難くないよと言い残して店を出た。

2013年11月30日土曜日

Burmese person には厳しい冬の寒さ

ミャンマーからのかわいい麻酔科医が4泊5日の強行軍で医療とは別のお仕事で来日した。一人での初来日で右も左もわからずに新宿近辺で動くのは大変なばかりか、ちょっとコワい。ということで、今日は3人で食事をしましょうと、夜の表参道を散歩した。ちょうど今夜から恒例のイルミネーションが始まっていたが、まだ時期尚早感が強くて割と空いており、表参道ヒルズの真ん前に路駐できた。街路樹のLEDイルミネーションはさすがにミャンマーではポピュラーではないらしく、それに原宿の街路樹イルミネーションは我々日本人にしてみてもきれいだと思うから、彼女は大喜びでスマホ(これは最新型)で撮りまくっていた。前日リクエストに応じて家内が連れて行った寿司は彼女の趣味としてはベストではなかったみたいなので、今夜は洋風にチャレンジ。表参道ヒルズでウインドウショッピングしながら上階に上がり、ピザのサルヴァトーレでピザ、アヒージョ、サラダを楽しんだ。帰り道は少し遠回りして青山と丸の内の夜景を見ながらホテルにお送りし、今日の行事は終了。朝七時中津川でのゴルフの後から継続の外回りで、ようやくの家への帰り道、案の定高井戸近辺で飲酒運転チェックあり。

2013年11月29日金曜日

1864

一昨日の神楽坂翔山亭の焼肉懐石もそれなりに美味しかったが、昨夜の1864は比較しては失礼なほどの格の違いというか質の違いというかだった。すし善の隣のドアを開けるとコックさんがお出迎え。6人のテーブル席と、その奥に7人が座れるカウンターがある。カウンターの壁にはビュフェのリト。
会はドンペリでの乾杯から始まり、和の皿が続く。ユリネのスープの底には生うにが隠れ、浮かぶジュレも良いお味だ。河豚、コンソメなどの皿は一箸一啜りで食べ切れてしまうくらいのボリュームで、出始めは物足りない気もしたが、シャブリが空くころに出されたトリュフで覆われたグリーンサラダを食べ終わる頃には、胃袋は肉のスペースとシャトーオーブリオンの空き地を残して満たされつつあった。松阪牛と熟成但馬牛のそれぞれフィレとサーロインから選べと言われても、どれも美味しそうだったので、全部を合計150gにまとめてもらった。乾燥醤油あるいは山葵で食べる遠赤外線調理肉は肉汁がたっぷりで、熟成肉のほうが味にコクがある印象だけれど、どちらもとてもおいしい。楽しんでいる最中に社長がご来室して、1945年のブルゴーニュ?をご開栓。さすがに味はそれなりの齢を重ねており、いまいちだったが、最後の和菓子とお茶の味を引き立てたと考えれば良いか。おみやのステーキサンドを食べているが、柔らかいままであるのにびっくりしている。

2013年11月24日日曜日

晩秋の秩父


晩秋の秩父をドライブするのは超久しぶりで、花園インターで高速を降りて秩父に向かう途中かなりの長さのトンネルを三つくぐるのに驚きながら盆地に到着。錦秋といえるほどの景色ではないが、褐色、くすんだ黄色、茶赤色と常緑樹の深緑とのモザイク模様が深まった秋を確信させる。花園インターから28kmというと秩父も山の中で、ひっそりとたたずむタクシー会社が親会社のゴルフ場は、だだっ広く不思議なレイアウトの寒々しいロッカールームと使われなくなった高天井の食堂に加えて徹底的な従業員削減の結果、コースの売店はすべて廃屋と化している。結果としてスループレイで、途中で缶ビール買おうとしたら、無いですねっ、と数少ない従業員に鼻であしらわれた。立ち寄った重曹泉で疲れを洗い流し、110円の瓶入り牛乳をぷはっと飲んで帰路についた。

2013年11月23日土曜日

ブラピ様も生き残れない悪の法則

久し振りに映画鑑賞。場所は吉祥寺オデオン座というプチシネコンである。マイケル・ファスベンダー、キャメロン・ディアス、ブラッド・ピットなどなど、映画をほとんど観ない僕でも知っている俳優陣が出演する映画で、11月15日封切りということで、しかも連休の初日でもあり大混雑を予想していたが、映画館はがら空きでだいたい1/3くらいの埋まり方だった。目立つのが高齢者の一人客で、題名といいR15指定といいカップルとか家族連れとかが喜んで観に来るものではないことはわかるが、それにしても空いているもんだ。シニア券で入った我々としては得した気になって一列をゆったり使って観ることができた。首が飛び、額に血の穴が開き、へんてこな道具で頸動脈が切断され、ごみの山に死体が放り出されるなど、R15でも甘いと思える内容ではあるが、それなりに面白く、こちらなりの期待に沿った内容だった。というのは、ブラピとディアスさんのお立場がどんなもんだろうというのが興味津々だったわけで、ブラピさんは予想通り友情出演的な出方で活躍し、死に方も外連味たっぷりだったし、ディアスさんは案の定の偉さを通していたのでした。
折も折、リュックに入った品物が海岸に漂着したニュースが昨日あり、余計に映画が迫力を増した。

2013年11月18日月曜日

密談

西新宿高層ビル街の47階での会合には、某区医師会内科部会長と元K大学病院長が出席した。都内S病院健診部長も出席の予定だったが、病院業務が忙しかったらしく、定刻をはるかに過ぎても来ないのでメールしたら、今お風呂に入ったとこよとのことで、3人での会食となった。話題が同期生の消息から始まるのは恒例で、とくに逝去者のリストアップは、年ごとに一人二人ずつ増えていくのは仕方がないことだろう。自分がリストアップされないように健康その他に注意を払いながら日々を過ごしていくために、こういう会合も意味あるのかと一瞬は思うが、結局は机の上にあるお飲物メニューに目が行ってしまう。取引銀行の関係だと思うが、この企業は以前からビールはASD一辺倒だった。現在もやっぱり同じ。大昔、J医科大学そばの割烹でASDを飲みながらYおばさん(と言っても同年齢)の芸者踊りを楽しんだことが懐かしい。同期の教授の退官記念パーティで5年ぶりくらいに会ったけれど、変わっていない、というより変わらないお顔だった。旦那はもう引退したの?とは訊けなかったけれど、わずかに年下の教授たちと楽しく歓談していたから、よい人生を過ごしているのだろう。というわけで、スーパードライを飲みながら話しは続く。内科部会長は、そろそろ現職を辞めて楽しよう、元病院長は次の院長職が決定していて、これからの数年間に後継を引っ張ってくるお役目があると言う。この病院長のこれからの苦労を思うと同情の念を抑えられないが、かといって替わってあげる能力があるわけでもないので、ただ、お疲れさん、とのみ言った。開業医は別として、勤務医の連中はちょうど定年その他立場が変わる年齢である。この仕事を辞めてしまったという情報はさすがに無く、他学部の同期との際立った違いがある。企業幹部の程よい会合場所だと思うし、料理も美味しいが、ものすごく印象的というほどでもないレストランだった。

2013年11月14日木曜日

バラ色の未来は本当か?

ペグインターフェロンとリバビリンの併用治療と同程度の副作用で、テラプレ併用3者治療と同等の治療効果が得られるとする新薬の講演会(何故か懇話会)を拝聴した。いままでテラプレの副作用に恐れをなして三者併用を逡巡していた患者、医師は多かったし、私もその一人であるから、発表通りのクスリであるなら本当に素晴らしいことだと思う。しかも治療期間が標準24週間とは更に有り難い。インターフェロン治療が始まって20年余の期間における遅々とした治療方法の変化の後での登場はC型肝炎患者にとってまさに福音である。しかし、この間に多くの患者が肝癌と肝硬変で死亡した。患者の平均年齢もそのまま高齢化している。この方々にとっての残された時間は余り多くない。次に控えるDAA治療とともに、耐性出現を押さえる治療方針の広報と、助成の継続が必要だ。

2013年11月8日金曜日

六本木のぶた

 約3年ぶりの中等部仲良し組の会合は六本木のぶた料理店。ビル2階にしつらえられたレトロ感満点の個室は、個室らしくない遮音効果ゼロの造りではあったけれど、聴力が多少落ちている4人組は気にせず大声で喋りまくり、後半になっての出ていけ催促の頻繁なお茶注ぎにようやく重い腰を上げる始末だった。
しばらく会わないこの2-3年の間に、東証一部上場企業執行役員と、大商社子会社副社長はリタイアして悠々自適の生活を送っていた。年に2回の海外旅行、庭での野菜栽培、黒靴は1足を残して全部捨てたとか、スーツはおろかネクタイも最近はしたことがないよ、とか、それは羨ましい、とも言い切れない暮らしは、そのまま今後の平均余命数十年にわたって続くのか。もう一人の都内超有名国立大学特任教授は、あと1年で非常勤になるとのことだが、海外との交流も多いようで、まだまだ当分の間社会との断絶はなさそうだ。一方こちらは病気にでもならない限り10年以上先までのお盆休みと年末年始の休みがすでに確定しているわけで、約50年前に三田の校舎でともに過ごした日々と現在の生き方の違いを見比べると、人生って面白いという歌謡曲みたいな感想が頭に浮かんでくる。
ぶたづくしの前菜がでて、メインはもちろんとんシャブだった。個人的には先週の土曜日から始まった肉食ツアーも1kgの体重増加と、時々の逆流症状をもたらして終了した。


2013年11月7日木曜日

長寿の秘訣?

ここのハラミは本当においしいと思った。各人の勝手な趣味で美味しいものを味あわせていただく本会の今夜は麻布の三幸園の焼肉。定刻10分前の到着だったがすでに開宴しているとはなんということか。ジャケットと鞄をビニール袋に入れて口を堅く縛り、遠くに置いて着席し、生ビールからスタートした。薄切りの牛タン、カルビ、ハラミ、次々に出てきてキムチも美味しく大満足。もっこりマッコリ、赤ワインなど、アルコール飲料も多彩である。
美味しい美味しいと言いながら遠くの席を見ると、老夫婦が静かに食事を召し上がっていた。こちらも介護保険証・年金証書ゲットの老人であるが、もう少し齢を重ねたお二人である。焼肉を二人並んで食べる利点はほとんどしゃべらなくても様になることだ。よく眺めるとご主人の飲み物がビールから始まって透明飲料、ウイスキー水割りなどどんどん変わっていく。こちらの宴半ばの時間にすでに飲み終え食べ終え、静かに店を去って行かれた。よい人生を!

2013年11月1日金曜日

肉づくし

 ジビエをはじめとする肉料理の店があるときいた。冬に備えて獣たちは体に栄養を蓄える季節であるから、その肉をいただけるのならきっとおいしいだろうと相談して予約して訪れた。商店街の緩い坂を登りつめたところにあるビルの地下。入口ではりっぱな鹿の首の剥製がお出迎えしてくれている。内装は山小屋風ビストロといったところか。ガラス張りの熟成庫内にはいろいろな獲物のもも肉とかあばらとか、ホールがぎっしりぶら下がっていて、壮観というか何というか、趣味が合わず二度と来ないと思う人もいると思うが、こちらはあまり気にならないので太いすね肉がぶら下がっている熟成庫のそばに勧められた席に着いた。メニューの勝手がわからないので、ビギナー向けの肉盛り合わせコースを二人分注文。ジビエのグラタン仕立て、バーニャカウダーで食べる野菜スティック(簡単な料理だが、軽井沢スコルピオンのと同じくらい美味しい)、エゾシカのカルパッチョ、イノシシのパテ、各種ブタの生ハム、熟成エゾシカと熟成牛のステーキ、などが登場し、食べ比べが楽しいひと時であった。国産のワインの種類が半端でなく、日本の獣の多い地域にこもって暮らすとこんな楽しみもできるのかな、と思える店だった。客層にも興味があったがほとんどが若いビジネスマン・ビジネスウーマンとカップルで、我々老夫婦はそれに負けないよう、大声でしゃべり、多飲・完食した。

2013年10月26日土曜日

第101回生涯教育研修セミナー

 
母校の卒業生を主な対象とするセミナーに始めて出席した。じつは母校からの通知が何ヶ月か前に来たようだったが無視して捨てた気がする。ところが、少し前にM先生から実地医家向けの雑誌の座談会への出席をお誘い頂き、多少の勉強をしながら日々が過ぎ期日が近づいてきて、ようやく自分の浅学非才さに気がついた時、助け船のようにCOPDをテーマとするセミナーがあることを知った。セミナーがあることは知っていたが、そのテーマが今まさに知りたいものであることがわかったのは医師会の会報だったのだから不思議なもんだ。
会場は新宿のホテルの宴会場で、主催は三四会である。出席者を見渡せば、自分自身は確実に平均年齢以下で、恐ろしい場所に足を踏み入れてしまったらしいと気づく。でも、とにかく話だけはしっかり聴いて、座談会に役立つ糧として頭にたたき込まなければならない。前座の若手のイントロ的なお話、真ん中の中堅どころの研究内容を中心とした講演、オオトリはもちろん教授の普遍・広範な講演という具合にセミナーは進行していった。質問者が全員教授より年上だったが、とんちんかん質問あり、ご自身の研究結果からでる超高級な質問ありで結構面白い。おかげで、疾患の基礎知識をしっかりゲットして会場を出た。

 

2013年8月15日木曜日

オスロ・フィヨルドをみながら

オスロ空港からたかだか30分くらいのドライブで到着したホルメンコーレンジャンプ場のジャンプ台は眺望最高の場所で、オスロ市街、郊外とオスロフィヨルドが一望のもとである。人口が百数十万人の都市ならば、道路網が整備されているこのエリアならわずかの時間で郊外に出て景観を楽しむことができる。友人のTore夫妻の家に3日間滞在することになった初日、彼らも珍しいという快晴の空の下、山の中腹のテラスで陽光を浴びながらコーヒー飲んだりして向かったジャンプ台兼展望台から見るオスロフィヨルドは、長い内陸水路を経ての最奥にオスロ港がある。実際にはフィヨルドではなくてリアス式の海岸だと思うが、港に至るまでの水路が実に狭くて長く、第2次世界大戦のおり、ドイツ軍が侵攻するのに難渋したのももっともである。感心するのは森の中に散在するとしか見えない街々の住宅群が近代的で小奇麗なことで、間を縫う軌道システムもしゃれている。この広さに少ない人口、豊かな石油資源と高率の消費税に裏打ちされた比較的優良な財政的基盤のもとであるからとはいえ、また、北欧の短い夏の一瞬という条件付きとはいえ、素晴らしい環境に思える。
 リタイアした警察官というToreさんは仕事はしてないみたいで、一方奥さんは何かの会社で事務仕事をしている。山中に所有するキャビンをベースキャンプにして狩りをするのが趣味とのことで、写真集を見せてもらったが、愛犬のポイントによりゲットした野鳥を持って得意げな姿はなかなかのものである。到着当日の午後7時、北欧の陽はまだ高い。家のわきのテラスでのバーベキューが始まった。狩猟犬のブロンコはとても人懐こくておとなしくて、日本語にも嬉しそうに応えてくれる。遠くを見れば、オスロフィヨルドが青く輝き、外海に向かうフェリーが白い船体を見せる。こんな場所でのグリルされた肉とビールとワインとアクアビットが美味しくないわけがない。

2013年5月26日日曜日

魚が一番美味しい店

駅の反対側のイングリッシュパブでエールを2杯飲んでから小さい商店街のあるこちら側に移り数分で到着した半地下の和食屋である。週の半ばの2日を休む代わりに土日営業とは、ほとんど趣味の世界に思える。そのせいか、まだ6時前の時間帯だったためか、カウンター客はわれわれだけであった。しかし、下の階には小人数の集まりが開かれているようでかすかにざわめきが聞こえてくる。コンピュータ仲間の縁で訪れたこの店のマスターは、寡黙ながらもさりげなく会話を繋ぐ。ほぼ同年配の彼が造る料理は、このエリアで一番魚が旨い店との評判通り、とても美味しい。締め鯖、カサゴの唐揚げ、鰹を使ったサラダ、などなど、奇をてらわずに素材の味を充分に生かしているというのだろうか、日本酒がすすむ。最後に樽出しの焼酎を飲んでかなり出来上がって家路についた。

レントゲン換装

2年ほど迷った挙げ句、現像機をCRに変えた。当診療所の場合、胃透視をどうするかと言う問題がセットで解決されなければならないのでなかなか踏ん切りがつかなかった。年間約50件の胃透視のために1千万近いDR入れてどうするの、と考えながらも、数百名の健診での胃疾患の拾い上げ方法を簡単に変えるわけにもいかず、今年もペンディングかなと思い始めていた矢先、レントゲン装置の部品保有期限が切れますという通知をメーカーから頂いた。これにて一件落着である。幸い、ペプシノゲンと血中ピロリ抗体を使ってのいわゆるABC法が普及し始めているし、当院の内視鏡はおかげさまで極めて評判がよろしい。放射線の問題もあるしね、ということで、健診での胃透視を終了することとした。内視鏡の料金は値下げしてハードルを下げ、便潜血反応を無料にし、ABC法のパンフレットを検診結果レポートに同封する。これで良いだろう。
まず嬉しかったのは、フィルムレスになってフィルム管理から解放されたこと、現像機にフィルムを入れる手間がなくなり、診療ブースですぐに画像を見ることができる。これからの問題は、現像機と胃透視装置が撤去されてできた空きスペースをどうするかだ。高い家賃払っているのだから、何かに使いたい。

2013年4月22日月曜日

104歳おめでとう

武蔵新城を空腹時に通過することになったため、一度行きたいと思っていた越南料理店に寄った。もとは極小町工場かラーメン店だったかと思えるようなガラス戸が出入り口の小さな店に入ると、客は2歳くらいの男の子をつれたお父さんだけで、一緒にランチセットらしいトレイに載った食事を仲良く食べている。座ったカウンターの目の前に並べてあるボトルは読めない文字のアルコール飲料でなんだかわからない。料理の写真付きのメニューから鶏肉入りフォーを選んだ。ただのフォーにしてはゆっくりだなと思える時間がかかってお料理がでてきたが、見てくれはなかなか結構である。パクチーの好き嫌いを最初に訊かれ、普通に食べる旨伝えてあったので中央にパクチーの小山ができている。添
えられていたレモンをしっかり搾ってから食べたけれど、店構えに似合わず上品な味でなかなかいける。かなりのボリュームだったけれど、完食。帰ろうとしたら、デザートのライチのシロップ漬けが出てきた。
満足してクルマにもどり、一路北上して馬橋に向かう。45年ぶりのこの季節の寒さのせいか中原街道・首都高・水戸街道はがら空きで、予定の2時過ぎにホームに到着した。さっそく、少し前に到着していた兄と姉とホームのスタッフとともに、母を中央に記念撮影。今日が104歳の誕生日の母は、この施設ではもちろん最年長で、おかげでスタッフの皆さんもとても大切にしてくれている。もちろん、入所当初はスタッフの扱いも配慮がいまひとつで、手足にヘンな打撲痕があったりして、当家としても注文をつけざるを得ないこともあったが、数年前に胃瘻を設置したころからは取り扱いも慣れ、アクシデントはほとんどない。一方、母の病状というか状況というかは、残念ながら少しずつ確実に衰えてきているのは確かで、胃瘻からの栄養供給のパワーを持ってしても、寄る年波には勝てない、と言う言葉がすんなりと受け入れられてしまう昨今である。
いつの間にか寝入った母を残し、スタッフに挨拶をして松戸に戻った。母が愛したモッコウバラが満開であった。
 

2013年4月13日土曜日

第110回内科学会講演会から勝鬨かねますへ

今年の内科学会講演会が東京国際フォーラムで開催されたので、内科全般の最新知識をゲットしようと、勇んで会場に赴いた。土曜の午前中は会場もあまり混まず、巨大講演会場も3-4割の入りといったところか。もっとも、シンポのテーマが「幹細胞異常と内科系疾患」という、ホットではあるが難しそうなものだったせいもあるかも知れない。案の定、遺伝子用語が溢れる如くに用いられて、興味深くはあるけれどものすごく難解で、時々記憶が飛んでしまった。しかし、多くの疾患の研究が内科のどの分野でも細胞遺伝子レベルに進み、成果が上がっていそうなことを知って、結構興奮する2時間ではあった。地区医師会の講演会のクロージングリマークでしばしば使われる「明日からの日常診療に役立つご講演をありがとうございました」というセリフは使いづらいけれど、世の中の進歩と頭の中の知識のかい離を実感した2時間でもあった。一方、招請講演、教育講演は多少わかりやすい解説がはいっており、ホッとすることができた。昼休みに会場で配られたサンドイッチとペットボトルで空腹をしのぎ、ICカードで認定登録を済ませた後はフォーラムをさようなら。銀座に向けて歩く途中、コーヒーを飲みたくなったのでEAビル5Fのカード会社ラウンジに寄ってカプセルコーヒーを飲む。ちょっと前、さらに上階のイタリアンで食べる前に寄ったときはがら空きだったけれど、今日はほぼ満席なのに驚いた。客の年齢層も若く、サラリーマンらしくはない連中がiPadいじったり、雑誌読んだりしている。
銀座4丁目のデパートで買い物の後は晴海通りを東に向かう。途中の歩道は大混雑だったけれど、歌舞伎座が近づくにつれて和服を粋に着こなした男女が増えてきた。新しい歌舞伎座は連日満員御礼だと聞くが、一幕見席入口にも人が並び、何とも華やかな粋な風景であった。
今日の最後の目的地の勝鬨に向かう。東銀座を過ぎて隅田川に向かうとビルの間を吹く風は冷たく、土曜日の午後だけあって築地の場内場外もそれほど混み合ってはいない。本願寺を通り過ぎ、ドラマで人が刺されたり刑事が必ずいる川沿いの遊歩道を下に見て渡り終わって数百メートルのところに突然の20人ほどの人の列があった。4時直前に到着したけれど、すでに暖簾が出ているところを見ると、もう開店して客が入っているみたいだ。いやな予感。でも、仕方ないので列の最後尾に並んで待った。ただただ待った。夕方になって気温は下がり、高層ビルの間を吹く風はますます寒い。10分から15分に一組ずつ、一杯入って満足そうな赤い顔して客が店をでると、同人数が入れる仕組みである。10人くらい前の大学生風の6人組は結局3つに分かれて別々に入店していった。前が2組になったところで、空腹感強くなりすぎて近くのセブンイレブンでチーズケーキを買ってきて食べた。とてもおいしい。後のカップルはやはりコンビニでホッカイロを買って使っていた。ということで1時間半待った挙句ようやく入店を許された。
店内はカウンターのみで、椅子を置けば10人は入れるかどうかの広さに20人ほどが入って飲み食いをしている。椅子があるのかどうか混んでいてよく見えない。多分ないんだろう。メニューはB4くらいの黒板に達筆で書かれただけで、よく読めないところも多く、半分はあてずっぽうでオーダーした。アルコールはヱビス黒とハイボールと冷酒と熱燗各一種類。だから選ぶのに迷うこともあまりなく、頼みまくって待つ。この待ち時間は実に短く、あっという間に料理も酒も手元に出てくるのがグッドである。最初は生うにの牛肉巻。間にシソを巻き込んである。食材の不思議な組み合わせと思うし、健康的には結構ダメと思うが、実に美味しく一気に食べてしまった。栄養素的にはさみしいランチと明日の食事で帳尻を合わせようと勝手に計算を終了した。次に出てきたオコゼの刺身も、さすが築地が近いだけあってか新鮮で歯ごたえがあり堪能した。蒸しアワビに次いで筍の焼き物もホクホクしながら食べる。牛肉の煮込みを食べ終えるころには結構満腹感あり、アルコールも3杯入ったところでお会計は1人当たり5000円わずかに切った額というのは、待たされ時間と店内の立ち席という減点があっても安いと言って良さそうである。

2013年4月10日水曜日

審査協議会

区の感染症審査協議会の25年度が始まった。委員はその筋の大御所Y先生を会長とし、赤ワインのN先生、千代田区側からはM(株)診療所長のスポーツY先生、人権擁護委員のTさんというそうそうたるメンバーで、末席を汚す僕としてはただただ粗相の無いように努めている。今日は年度の初めということで保健所長のご挨拶と委嘱状をいただいたが、所長についてはあっと驚く新所長という具合で、新任であった。前所長におかれてはずいぶんと早い交代で、委員一同唖然として新所長のご挨拶を聴いていた。早い交代の理由を知る由もないが、そこら辺の人事がどうであろうと、保健所の仕事はスムーズに動いているように見える。おそらく、直接現場で働く方々の何割かが、路線の定まった仕事を淡々と、かつ確実にこなしているのだろう。協議会に出席している保健所スタッフを見ているとそう思う。

2013年4月8日月曜日

そこまでやるか

母校の病院の医療連携室と病院情報システム部のスタッフにおいで頂き、医療連携ネットワークを当院と病院との間で構築する打ち合わせをした。同期の病院長との雑談から生まれた話だが、ちょっと面白そうなので参加することにした。患者を紹介した場合、一昔前は旧来の大学病院そのものと言っていい返事の悪さに嫌気がさしかけていたのだけれど、最近は結構レスポンスが良くなって紹介しやすくなってきているとは思う。しかし、これから構築するシステムは、実現すれば大学病院外来の予約を当院PC上でおこなえ、紹介状を添付し、診療が大学病院で進めば、その進捗状況や画像診断データそのものを、こちらから見に行けるという機能をもつとのことである。本当なら相当の優れものだろう。他の病院にとっては脅威だとも思う。緊急での入院や診療要請には相変わらず応えてくれないところではあるが、それ以外の状況下の疾患なら利用させて頂きたいと思ってしまう。

2013年4月5日金曜日

新宿飲み会

ウイスキー会社系列の居酒屋がこちらにもあるとは知らなかった新宿東南口から歩いて一分の集合ビル。ほかの階の店には大学時代時々訪れていたが、この系列店のことは気にも留めていなかったので今日初めて知った。西口の同系列店と同様、こぎれいな内装と量が少なくヘルシーでまあまあ美味しいお料理だった。集まった10人の多くはアスリートか元アスリートの面々。スポーツの健全性を保つために、文字通り日夜汗水流して働いているのには頭が下がる。生ビールから八海山へとアルコールが進み、その後は飲み過ぎてよく覚えていないけれど、いろんな話題で盛り上がり、あっという間に時間が過ぎた。皆さん底抜けに明るいのがサイコ-。

2013年3月31日日曜日

日吉 松の川緑道と協生館

久し振りに日吉の協生館を訪れた。前回はなんと天皇皇后両陛下がおいでになり、お話を賜った数年前のことで、その日は今日以上に寒くしかも小雨交じりで、競技場全体に作られた仮設席に座ったはいいが寒くて寒くて、配られたホカロンと膝掛けと合羽で寒さをしのぎながら暖かいお言葉を聴いたことを懐かしく思い出した。今日の日吉は新年度の入学式の準備の張り紙・立て看があちこちに準備されているが、人はまばらである。協生館で開いているのもローソン、タリーズそしてHUBイングリッシュバーくらいであったので、当然のことながらバーでfish and chipsを肴に生ビールをドリンクした。地下の競泳プールと陸上競技場では部員がしっかり練習していた。それを横目に、東横線日吉駅に向かって信号を渡る。駅を抜け、1-2週間後には新入生コンパで商店街の飲み屋なんかは大繁盛だろうと思いながら、大昔あったウインザーやスイス、タンポポなんかを思い出しつつ、今日は浜銀通りを降りることにした。ほぼ下りきったところの未舗装の細い道を左折する。松の川緑道である。バス通りの手前約100メートルを、それとほぼ並行して、崖際を曲がりくねりながら伸びる細道は、崖側には様々な植物が生い茂り枝葉を頭上に伸ばしている。崖の反対側は住宅と駐車場と大学の運動場が並んでいるが、その雑然さはハンパではなく、猫屋敷ありゴミ屋敷らしい建物あり、駐車場のフェンスには所々穴が開いて通路となっていたり、かというと、鎌倉街道と書いた立派な石柱が道の端にあり、歩いていて飽きることがない。下田の方に行くと、慶應のラグビー場、ホッケー場、野球場がならび、どこでも部員が練習を続けている。金網越しに眺めながらそこからは緑道を離れ、下田の丘の斜面に立ち並ぶ住宅の間の細道を歩いたが、このあたり平地といえる場所がなく、高齢化社会には辛い場所だと思う。そのためかどうかわからないが、売り物件、空き家が数カ所あった。

2013年3月12日火曜日

気にくわないんですかと言われても・・・

インフルエンザ流行も収束した今日この頃、残った花粉症と感染性胃腸炎の山を見終わってやれやれ、と言う時に電話がかかってきた。某大企業の地域情報サイトの何とかの何とかさんとお名乗りになった。ずっと昔に、某通信大企業の名前を冠に関連の会社の社員らしい人が訪ねてきて、電話回線の乗り換えだかなんだかを勧められた時を思い出した。小一時間の説明を受けてもよくわからず、契約書に名前は書いたけれど、押印しないよ、と言ったら、あからさまにがっかりした顔をしてお帰りになった。その人は、がっかりしただけで何も言わなかったけれど、心の中は煮えくりかえっていたのだと思う。大事な時間を無駄遣いさせやがってと。でも、それはこっちのセリフだ。仕事が終わって疲れている時にアポなしで来院して訳のわからないものを押しつけて買わせる行為は、売りつけられようとするこちらにとってはいい迷惑以外の何物でもない。結局は大会社本体とは組織的に関係のない小企業の方々の苦労は察するが、それにつきあわされてはたまらない。電話を受けた途端に、この過去の記憶がよみがえった。ちょっと意地悪く、大企業本社の方ですかと尋ねたら、違います、何とかですと割と素直におっしゃったので少しお付き合いすることにした。結局、大企業作成のその地域情報サイトに載っている医院の基本情報だけでなく、それ以外の情報を有料で追加しませんか、ということらしい。おまけに、来週の水曜か木曜の夕方会いませんかと、時刻までご指定である。幸い、当院の知名度は地域では少しずつではあるがアップしていそうなので、ウチは基本情報だけで結構です、と申し上げたら次のセリフが「気にくわないんですか?」。これにはびっくりした。例えはヘンかもしれないが、食べ物だって、好きなもの、嫌いなものに加えて、それほど好きでも嫌いでもない、いわばどちらとしても良いもの、があるじゃないか。地域情報サイトなんて星の数ほどある。もちろん立派な企業の作ったサイトだからサイトとしての完成度成長性はしっかりあるのだと思う。でもこちらがほしくないのだから、食べ物でいえば好きでも嫌いでもないもの、たとえば僕にとっては塩昆布みたいなものだ。ということで、気にくわないわけじゃなくて要らないんです、と申し上げたが、納得していただけない。とにかく、このままで良いですよ、とお話しして電話を切った。自分の会社をよっぽど愛しているんだろうが、もうちょっと相手のことを考えてよ。

2013年2月21日木曜日

節約的勉強会

配合降圧剤を巡るD社の勉強会に出席した。演者は某T大の講師で、講演内容はなかなか面白くて、珍しく途中で眠りもせず最後まで聴き通し、ディスカッションにも少しだけ参加できた、ような気がする。こういう形式の会も良いのかもしれない。
会場は本社ビルの会議室で、会場の一室は10人も入れば一杯になる小会議室である。聞き手は、フレッシュマンの時からお世話になっているE先生、後輩のN先生、同期のO君、中央区で開業しているT先生、以上。座長席も演者席もなくて、中央の机を囲み、壁から下がるスクリーン上のPPTを見ながらのディスカッションは、演者と聴衆との距離がほぼ0であるからして、眠るどころではないし、症例検討みたいなところもあって、皆でわいわいがやがやと楽しい時間が過ぎてしまった。会社側が準備したお弁当は結局お持ち帰りになったのにはびっくりした。会社側の連中は若手ばっかりで、挨拶もクロージングリマークもなし。おそらく、企画としてはもう少し多人数のつもりだったのだろうけれど、キミタチの仕事の仕方では出席する気にもならないよと言うセンセーが多かったのではないかと推測する。最近のこの手の研究会勉強会は企画がイージーだね。

2013年2月9日土曜日

津軽海峡、冬景色


函館空港から南下して海沿いに函館市に向かう漁り火通りを歩いた。温泉駅からバスに乗り、啄木小公園バスストップで降車。さすが小公園と言うだけあって、実にこじんまりとした海際の広場で、啄木像が立っていなければただの空き地にみえるけれど、津軽海峡の海景色は最高である。証拠写真を撮影後函館市街方面に雪道を歩くこと約1km、あまり人を怖がらない海鳥が道連れだった。噂に聞いたグルメ回転寿司にたどり着いて早速熱燗で寿司を食べる。そい、めごち、たこ、やりいかなど地元のネタを重点的に注文して堪能しまくり、腹一杯で一人2200円はとても安い。
お陰で、4km離れた五稜郭まで歩いてしまった。大昔、スキー場で活躍したスノトレがまた役だった。

2013年2月6日水曜日

ダイ・ハード

テレビでダイ・ハードを見ている。25年前の作品。最初にみたのはゴールドコーストのシェラトンミラージュのスイートでのテレビだった。内容も日本がバブルに浮かれていた頃のものなら、見たこちらもバブルで浮かれた旅行先である。今見ても佳作だと思うが、日本資本の所有するビルに鎧あり畳あり、金庫には6億ドルの米債券ありで、このあたりは今見ると結構恥ずかしい。一方、これからの日本の人口・人口構成、諸国の状況を見れば、あの時代は未来永劫二度と訪れない可能性が高いわけで、そのことに関してはすごく悲しい。結局あの浮かれ騒ぎにアタマに来た大国が金融工学と称して基軸通貨を操り、少し背伸びをしすぎた日本の政治家の首をすげ替えて、押さえ込んだわけで、更にそうこうするうちに別の大国が図に乗ってきたのが現状だろう。図に乗ってきた大国の挙動にかつての我が国の行動が時々重なってみえるのは致し方ないとしても、それではこの大国の間で我が国はどうするか、と言う問いの正答がいまだ出されていないところが問題だと思う。3年余の期間での政権の移動は、一般人の目からは政治家も少し利口になったようにみえるのだけれど。

2013年1月28日月曜日

圧倒的な存在感

高村薫氏にニュースキャスターのF氏がインタビューをしていた。その小説の緻密さ重厚さでは圧倒的な高村氏と、頭の回転はかなり良さそうなF氏との会話と言うことで、アルコールも控えめにして頭をクールにして聞き入った。現状の把握が、ご自分自身も含めて困難になってきているのが現在ではないか、と言う風に僕には聞こえたが、もしそうだとしたら、それは、過去の総括がなされない、できない状態が続いていることを意味するのではないか。徹底的に調査をし、執筆に際しては推敲に推敲を重ねてあの素晴らしい小説群を作り出してきた高村氏にして、そのように考えているのであれば、僕を含めて多くの人にとってわからないことが多すぎるのも無理はない。ここで視線をF氏に移すと、このお人は、数十秒単位で話を切り替えることを生業にしてきたようなもので、時間が来れば把握も総括もなく、悲劇の次は喜劇でも天気予報でも同じように振ることで仕事をしている。圧倒的な存在感の高村氏に比べて、その存在感の希薄さが目立つばかりだった。そういえば、スタジオでF氏の問いかけに答えるコメンテーターの方々も、「そうですね」「そうですよね」でセリフを始めてやはり数十秒で切り上げるテクニックを身につけてしまっており、同類なのだと納得する。もちろん僕もその影響から逃げ延びているはずもない。でも、このあたりで自分と周囲を見直し、多少なりともまとめを作って次のステップに進むことが必要なのかと思う。

2013年1月24日木曜日

首長選白熱

元自民党推薦の現区長と、現自民党推薦の元副区長との対決の図式になった首長選が白熱しているみたいである。細かいところはよくわからないが、3期を勤めて実績を誇る現区長に、その現区長と議会との間の意志の疎通の欠如を是正するとして元副区長が挑む構図らしい。先の衆議院選の結果を受けて、挑むと言うよりは優勢をそのまま持続させていきたい側と、実績を武器に4期を勤める意志を固める側との対立というべきか。推薦政党との繋がりが破綻した原因を知らないが、深い何かがあるんだろう。結果、区長の提出する予算の批准もままならないという現状は行政にとっては困ったことであるが、かといって、議会との繋がりの良い首長というのは、結局議会与党の言いなりになる可能性が高い。選挙公約は両サイドあまり違いがないように思えるものの、そもそもどちらの主張も抽象的でよくわからない。こういう場合にどちらを支持するかの結論は安易に出すべきではないし、ましてや、メンバーのコンセンサスを得ないで決めるのはアブナイ、と思う。

2013年1月3日木曜日

SNS

年末に至る最近の数か月間、スマホで見るFBはスポンサーの投稿がやたら多くてつまらなかった。PCで見るFBと違ってスマホの場合は画面の制約が厳しいから、広告を入れるとなると画面全体が一つの広告投稿になるのは仕方がないとは思う。スマホでFBを楽しむ人が増えた場合のFB会社の広告収入がどうなるかという議論だか心配だかがあったように記憶しているが、年末までの状況は、スポンサーサイドの投稿を多くするとスクロールの手間が多くなって困ったことになったというのが第一印象である。受けを限定すれば良いとは言っても、たまには見たくなるスポンサー投稿もあるので悩ましい。収入といえば、LINEの場合は本当にスタンプ販売の収入でやっていけるのだろうか?どちらもそれなりに便利なツールなので、何とか長生きしてほしいけれど、どうなるか。