2011年12月31日土曜日
蟹パーティ
息子夫婦と新宿高島屋地下食料品売り場に集合して、夕食の食材を買いあさった。と言っても、3人の意見が一致したのは蟹とサラダだったから、タラバと毛ガニとお刺身盛り合わせ、お吸い物の具のハマグリと野菜もろもろという、ヘルシーこの上ない材料が集まった。我が家の食事の場合、アルコール飲料の比率が大きくなるので、材料はこんなもんで充分だ。帰宅して、早速嫁さんが調理スタート。缶ビールをシンク脇に置いてと言うのが勇ましい。サラダはきわめてシンプルでレタス・タマネギ・トマト、ドレッシングはoil & vinegarの組み合わせ。後でご飯とお吸い物だから、vinegarはMailleの酸味を生かし、Chardonnayベースのやや甘口Forvmは不採用になった。お食事は紅白とほぼ同時にスタートし、ヱビスビールから始まって鹿児島「匠の華」のお湯割りが巡航速度のアルコール飲料である。予想していたとはいえ、きずな、がんばろう、ニッポンが並ぶ紅白歌合戦と、よくもここまで何も考えていない風の内容に終始する裏番組の並列は、選択の自由が保証されているテレビ番組だから許されるのだろうけれど、テレビを見ず、スマホかインターネットで見たいものを見る、あるいは感じるものを感じる、そういう層の存在を増やすことになるのだろう。それはさておき、美味しいサラダ、刺身、蟹、お吸い物と新潟特選コシヒカリのコースの最後のデザートは、だじゃれではなくめでたい紅白のイチゴとチョコレートだった。あと1時間で2012年が始まる。A happy new year。
Infernal affairs
以前からぶっ続けで見たいと思っていたInfernal affairs 3部作をようやく見終わった。さすが香港映画の傑作と言われ、ハリウッドでリメイク(Departed)が作られただけあって、久しぶりの堪能感である。第一部の最後では、潜入警察官のYanが死んで香港マフィアから警察に潜入したLauが生き残ってのうのうとしているという、フィルムノワール万歳的な終わり方をして、正義派としては納得いかない終幕だったが、第二部さらに第三部に進むに従って、生きていりゃいいと言う訳ではないんだよ、そっちの方がよっぽど辛いんだよ、というコンセプトがじわじわ感じられるようになってきた。ストーリーの時系列が輻輳してわかりにくいときがあるのと、最後のほうでのLauのパニクり方が慌ただしすぎる印象はあったが、とにかく面白かった。Negresco (Itarian red wine)の3/5ほど飲んだころに第三部終幕。精神科医Dr.Leeを演じるKelly Chenが美しい。
2011年12月29日木曜日
農道走行
AGCからの帰り道で柏ICまでの抜け道を教えてもらった。AM(英)とMBSLK(独)の後について行き、大型車絶対通行禁止のために建てられたのだろう太い鉄柱の間をそぉっとすり抜けてまっすぐな農道を利根川沿いにひた走る。AMが通れたのだからマイカーは当然ゆとりで通れたのだけれど、その先の農道は当然ガードレールもなく、夜は結構危険だと思う。ナビで見ると拡大してようやく道があることがわかるものの、広域だと何もないところを走っているみたいだ。途中混雑なしでIC近くの16号?にでた。でも、もう一回一人で走れと言われてもまだわからない。
2011年12月28日水曜日
打ち上げ
内視鏡のお仕事がなかったので、1年のうち最初で最後の本日1回だけ午前中の内科外来をやったところが、年内最後の診療日とあってか、結構混雑した。多くは風邪と胃腸炎だったが、もしこれを心療内科の先生の予約の合間にお願いしていたらえらいことになっていたと思う。何とか終わらせて、午後はみんなで打ち上げパーティだ。総勢12名(うち赤ちゃん1名)が狭いスタッフルームに集まって、ケータリングのお寿司、パエリヤ、和風おつまみ、などなどをつまみつつ、わいわいがやがや。ドンペリで乾杯したあとのお酒はスーパードライ、ポメリー、都農ワインの赤スパークリング(辛口で結構いける)、〆張鶴大吟醸、生酒。1年間お疲れ様でした。
2011年12月27日火曜日
大腸内視鏡
今年の内視鏡のトリは今日の大腸内視鏡ということになった。各週でお願いしていた名人が産休育休で夏前からお休みになったために、仕方なく自分自身で外来の合間を縫って月数例やってきたが、驚いたことに、上手くなってきた! 盲腸までの到達時間が、多少の波はもちろんあるけれども確実に少しずつ短縮してきている。消化器内科を標榜しているし、いろいろ専門医資格も持っているので、消化器病の診断ツールは一通り備えて出来るように、というコンセプトで仕事を始めてここまできたが、正直言って大腸内視鏡はどなたかにやっていただいて、こちらはその間何人もの患者さんを診るのがいいだろうと思ってはいた。自分でしなければならない状況に追い込まれた今、その時間帯には患者予約をなるべく入れないようにするなどの工夫をして、なんとかやっているが、ひょっとして、もっと経験を重ねればもっと上手くなるのかな?いい年こいてがんばってみるのも良いのかもしれない。もちろんボケ防止のためだ。
2011年12月25日日曜日
LED
家の中の照明を少しずつLEDに変えている。今日は居間の40ワットランプを450lmの斜め取り付け型LED照明に変え、日本間の灯りをコジマデンキで安売りしていた、あと残5個の天井取り付け型照明をゲットして取り付けた。LED照明の商品をみていると、最初は真下しか照らせず照度も大したことないものがほとんどだったが、すぐに全光束と照度が増した商品が出始め、さらに真下だけでなく周囲にも光が行くように設計されたのが出てきた。同じ頃に斜め取り付け型が登場した。居間の8個ある小型電球のうち4個は斜めに取り付けてあるために、斜め取り付け型電球でないとお話にならなかったが、この斜め取り付け型はなかなか優れもので、これでもって真下の照度が格段に増えた。最近急に出始めた居間の天井取り付け型もまたよく考えてあるみたいで、リモコンスイッチで白色調から昼光色調に無段階で可変である。中を見るとLEDが何十個か光っている。光が部屋全体に行き渡るようになっているのはカバーの性能によるらしい。薄い造りなのでヘッドクリアランスが広くとれて狭い部屋が少し広くなる。LEDの性能向上と単価の下落はすごいので、これからもいろいろな製品が出てきそうだ。たとえばミラーボール型とか、プラネタリウム型とか、
2011年12月24日土曜日
わたすげの祈り
銀座の画廊で気に入って購入した絵が届いた。上海でも活動を活発化させている伊澤真弓画伯の最新作である。朝なのだろう、尾根の稜線の近くにしか陽の光が届いていない時に、わたすげの花がそこかしこに咲く湿原の景色が描かれている。中央に立つ鳥が咥えているピンクのリボンはわずかな風にたなびき、同色の球体が浮かぶ中空には、何だろう、ジャイロみたいな物体が浮かんでいる。季節は5月か6月か、新緑の緑から夏を前にした少し落ち着いた木々の緑は、早くも空を覆いつつある雲の下でそよ風ぐらいでは微動だにせず、地の滋養、田代の水の栄養、梅雨前後の大気のエネルギーを受け、更なる飛躍を待っているのだろう。白い鳥が咥えるリボンが導く地はどこか、球体が漂う先はどこか、ジャイロみたいな物体は何処を指し示す。尾根の上を飛翔する鳥たちはいまだに行き先を決めかねているようだ。
2011年12月20日火曜日
忘年会4
毎年恒例神保町新世界飯店期待上海蟹瓶出紹興酒美味満足大酔土産付大満足逆行健忘付。
【解説】
恒例の診療所忘年会は19日神保町の新世界飯店で上海蟹と瓶だし紹興酒を主目標にスタートした。今年はH先生が初めて参加してくれた。週前半は都内でお仕事、後半は茨城の自院でお仕事という忙しいお身体なので、一週間きついなと思いながらも月曜日に決定。瓶だし紹興酒の包丁入れは来年こそすっごくいいことがあるように期待をずっしり込めてYさんがよいしょっ。おいしい料理にからめての紹興酒は特に最初の上澄みは本当においしい。お料理が進み、話も進み、さらに飲むほどに酔うほどに楽しい3時間余が過ぎた。明日の朝はお土産の肉まんあんまんを楽しみに、というところでお開き。クルマの中で酔いが回り、今朝の記憶では、名誉院長を下ろしたところが完全に欠落していた。診療所でもYさんは白山通りを歩いたはずだけど、記憶なし。パートのS君も、どうやって家に帰ったかわからない。
2011年12月19日月曜日
一周忌
13人が出席しての法要はいつもの住職さんに代わって勤務25年のお坊さんが務めてくださり、他に2名の若手が脇を固めた。なかなか豪華な本堂に入るときに入り口の香炉をまたぎ、着席。読経はおごそかにすすみ、途中、参列者一同は自分を先頭に焼香し、再び着席してその後の歌謡曲風読経に聞き入った。ここのところはいつ聴いても心が落ち着く不思議な作用を持っている。南無阿弥陀仏の全員合唱が締めくくりだが、このときに叩く各人の前に置かれた木魚のリズムをお坊さんの木魚の音に合わせるのが意外と難しい。微妙にずれる。言葉のリズムと木魚のリズムが全く関係ないようなのが原因かも知れない。終えて本堂の外に出ると、12月中旬の冬の日差しはことさら穏やかで、風もなく、ほとんど葉の落ちた木々の中におわす大仏様の漆黒の姿が目立っている。墓に参ってのち、たん熊に移動しての昼食は、診療所の理事会の夜の豪華さはないが、上品な味付けの懐石コースであった。
2011年12月17日土曜日
忘年会3
新宿南口での、東京病院消化器内科チームの忘年会。今年はついにスポンサーなしの気楽な会になった。大学病院副院長、駅前大繁盛大忙し中型救急病院の消化器内科部長、開業5年~15年の元消化器病医、育休中のママ先生などなどが集まっての近況報告は、経営の悩み、子供の経過、孫の誕生など、立場と世代の重みしがらみを一杯背負っての他の場所では話せない情報交換だった。毎度のことながら、この会はかなり飲んでもほとんど酔わず、お互いの話を聞きながら自分の相対的な位置を知る良い機会だ。帰りのタクシーの中で、今度久兵衛でまた飲みましょうよという話になった。
2011年12月12日月曜日
D-9
中野先生との二重読影委員会を速攻で終わらせて、(坪井先生甘いミカンをありがとうございました)、急ぎ帰宅したのは、荷物を届ける日本郵便さんとの時間約束があったのと、昨日TSUTAYAで借りてきたDistrict 9 を観たかったからだ。何故かDVDとBDの二枚組という豪華さ?のレンタルディスクは、Blade runner と込みで1週間350円の安さである。それはそうと、遠く離れた異星からはるばるやってきた巨大なspaceshipに乗っていたのが海老に似たalienで、故障した船から降ろされて難民キャンプに収容されている暮らしぶりは、ロケが南アフリカのスラムで行われたそうだけれど、ひょっとしてこれはアパルトヘイトを意識して作ったのだと確信できるほどの映画になっている。美術的、画像的にはindependence day、transformers、あたりを彷彿とさせるが、alienはpredator的な造りにも見える。血しぶきシーンもかなりあり、この映画は日本ではきっと流行らなかったろうな。
2011年12月8日木曜日
胃びらん、忘年会2
上部消化管内視鏡を受けた。術者は東海大学の講師で今一番安心していろいろなことをまかせられる人物である。スコープ先端が胃に入って送気して胃を膨らませての観察で一言、「先生、荒れてますね」。思わず見上げてモニターを見ると、確かに胃体部のfold上に発赤、浮腫、びらんが明らかだ。これに疼痛が加われば炎症の必要条件がすべてそろう。実は昨日のお昼は、今週末で産休の巣ごもりに入るミズTのリクエストで、診療所から下り坂を歩いて4,5分のエチオピアのカレーのテイクアウトランチをみんなで楽しんだのだった。立場上、(なんのこっちゃ?)、みんなより遙かに倍率が高い10倍豆カレーをオーダーし、スタッフの羨望のまなざしを浴びながら(エチオピアのカレーは辛さ倍率が高いほど絶対的に偉いのだ。疑うのなら、実際にお店に行って3倍か5杯のカレーを注文して静かにジャズを聴いていて隣の客が70倍!と言う注文を出したときの店の雰囲気と自分の至らなさを味わうと良い)、辛いそぶりを多少隠しながら食べたのだった。そして、その前日は忘年会1での四川家庭料理と紹興酒ロックで胃粘膜攻撃の前哨戦を果たしていたから、こんなものかと、妙な具合の納得感。そういえば、今朝の空腹感の強さはいつもの朝とは異なる次元だった。あれは、胃液が傷んだ胃粘膜を消化している勝利の雄叫びだったのかもしれない。
今夜の中華料理の忘年会は、誠に上品でおいしいビュフェだった。数年前、着席で同じ店での料理が超貧弱粗悪だったのと比べると、雲泥の差である。素晴らしかったのは、今までは何となく静かな雰囲気のこの会が、今までになく賑やかで、とくに、医師会理事ではない方々の、いろいろな楽しい話を聞くことができた点だ。
2011年12月7日水曜日
忘年会1
本郷の四川料理店での忘年会。オフィスから10分の距離にあるので雨の中歩いてしまった。MRさんたちが片隅に追いやられてちょっとかわいそうだったけれど、全体としてはとても楽しい会になった。BMの仕切りのもと、指定された席に着いて四方山話が始まり、さらに、四川地方の家庭料理というものが出てくると、ある会員は頭頂から汗が噴き出てスーツの襟をぬらし、他の会員は、辛い料理と辛さはそれほどでもない料理と水と紹興酒を辛さ除けにとっかえひっかえでたいへんだ。年間の成績に関しては、上位の方々がそれぞれ順調にご自身の地位を固めており、どじょうの私としては、別世界の出来事を山椒と唐辛子の刺激ガス越しに眺めていた。途中間近の交差点での衝突事故も刺激になってなかだれもせず、一番偉かった人の一本締めで中締めになった。
2011年11月21日月曜日
打ち上げ兼ボジョレーヌーボー飲み会
2011年11月20日日曜日
a happy birthday 2
2011年11月18日金曜日
a happy birthday! 1
2011年11月16日水曜日
2011年11月11日金曜日
2011年11月5日土曜日
お墓参り(八柱霊園)と松戸博物館
数ヶ月ぶりの千葉県松戸市八柱。いつもは外環経由で行くが、クルマのナビに打ち込んでみたら都心環状線経由のルートがお薦めだった。高井戸で首都高に乗ったら早速三宅坂が事故渋滞で中央環状にルート変更して、四ツ木に到着した。そこから先は国道6号線を北上するルートだった。一時間半弱で到着。外環ルートとほとんど同じなことがわかった。いつもの立花家さんでお花とお線香をいただく。自分が眠るであろう墓のことが気になる年になるとそうなるのかなと思うけど、広いお墓をゲットしたものだと思う。もちろん親の話。常磐線の拡幅工事で既存の墓を移転せざるを得なくなったのを機に、お寺を変えて公営墓地に墓を作ったのはいいけれど、ご先祖様の碑を建てたのもいいけれど、コンセプトを好みに任せて木沢山にしたので、手入れが大変だ。冬に予定しているのはサルスベリの枝切りである。
八柱霊園からクルマで5分のところにある松戸市が誇る大公園の一角にある松戸博物館は、おそらくバブル時期に計画されて作られた立派な建物だ。そこで開かれている「松戸の美術100年史」を拝見した。なんといってもそのパンフレットに板倉鼎の絵が引用されているのだから。今回の叔父の絵の展示は5点であったけれど、いつみても、20歳台でこれだけの作品を作る才能は素晴らしい。
2011年11月4日金曜日
風邪が流行っています
風邪が流行っている。それとは別に、ヘンな急性胃腸炎が流行っている。金曜日を休むと4連休になるので休む人がいて、そのために当院は今日は人手不足で、そんなところに外来が増えたので、受付スタッフと看護師さんは結構忙しかったのではないか。少なくとも院長はちょっと忙しかったね。夜の残業の前に、コンビニでバドとハイネケンを買って飲んだ。今日はホントにやれやれだった。
2011年11月3日木曜日
三楽病院医療連携特別研修会
東京ドームホテル、山の上ホテルでの同研修会に引き続く東京ガーデンパレスでの医療連携の会だった。今回の講演は整形外科部長・副院長の佐野茂夫先生。釘とかいろんな金属が写った脊椎のレントゲン写真がたくさん出てきたぞ。高齢者社会になって、整形外科患者は増えていく傾向はっきりしているみたいで、お仕事お疲れ様。整形外科学教室に進んだ息子の選択は結構正しかったのだろう。それはそうと、都教職員互助会が運営しているこの病院の事務方がきっちり仕事をしているのには感嘆する。地域医療連携室のスタッフとドクターが積極的に我々に話しかけてくれるのも、院長のみならず植野室長の方針に沿ったものであるような気がする。健闘を祈りたい。ところで、今日のお食事はガーデンパレスとしてはがんばった方だね。私学共済のHQも置かれているここは、大学時代から時々使わさせていただいたが、まあこんなもんだろう。
2011年10月31日月曜日
strangers in the night
夜、アポしていたM銀行駅前支店の渉外課2名の訪問あり。ちょっと前の昼間に赴任のご挨拶で来院した御嬢さんと、「私こういうこと初めてなんで、先輩是非同行お願いしますよ、ねえ、先輩ったら」「えっ!今日これから?っそだろ。だって今日俺今夜飲み会なんだよ。準備もしてないし」というような会話が銀行の奥の部屋でされたのではないかと思えるような勤務5年目くらいのお兄さんだった。資金が必要なら、喜んでお貸ししますよ、しかも場合によっては低利で。というのが主題で、あとはそれ以上でもそれ以下でもない内容だった。話の最初は低金利については何も言わなかったが、こちらがあまりに気のない返事をしていたら、だんだん条件を下げてきて、医院への融資は望み薄とわかったら、個人的な融資もOKですよとおっしゃった。どうせだから、TPP参加になったらロスかSOHOに分院を開こうと思うので、とか、南原に2億でいい物件があって、泉のほとりに笛を吹く天使の像が立っていて、そこに木漏れ日が差し込むとこの世の楽園でね、とかほらを吹いてみようかとも思ったけれど、御嬢さんは無口だし、お兄さんは言葉も態度も超軽量級なので、楽しいレスポンスも期待できなさそうで、やめた。何となく疲れた月曜日夜の30分だった。
2011年10月29日土曜日
三井記念病院グランドオープン披露会兼医療連携懇談会
千代田区にあるのだけれど、神田医師会や千代田区民からは何となく顔が見えないという評判の病院だ。今日初めて足を踏み入れた。さすが新築さすが新棟。それほど豪華じゃないけどきれい、清潔、さわやか、とでも言ったらいいのだろうか。エスコートする女性の方々も、病院受付というよりは財閥系一流株式会社の秘書室勤務みたい、というのは病院の名前に引っ張られた見方ではあるけれど、でも、なんとなくかっこいい。福内地域医療部部長先生が会場内を動き回って大活躍している。先生とは、医師会長、副会長、A理事と共に水曜、木曜に引き続いて今週3回目の顔合わせだ。皆様ご苦労様です。病院の地域連携室所属のスタッフは大勢いるみたいで、その方々の活動に期待したいが、診療所と病院の医療連携って、まず医者がお互いに電話でも、会ってでも会話をやり取りするのがとても大切なことだと思う。そこらへんをご理解いただいて連携を進めていただけると有難い。地区医師会のシンパの先生がweb上の診療・検査申し込みの便利さを褒めちぎっていたが、そのあたりの便利さは多くの施設がそれぞれ独自のやり方で努力しているので、あまり感動しない。それよりは、繰り返しでもいいから、働いているヒトの素晴らしさをもっと知りたいと思った。
2011年10月22日土曜日
2011年10月17日月曜日
言わんこっちゃない
全く乗り気がしなかったのだけれど、MRさんが有無を言わせない感じで迫ったので、出席したTVシンポジウム。神田地区出席者2名、うち1名は途中で退席。小さい会議室のでかいディスプレイとその上のTVカメラを前に、出席医師2名(後半1名)、機器操作1名、担当MR1名。全国で約80か所くらいでやっているとのことだったが、質問で数十秒映った東北の一室も、数名の出席者とほぼ同数の空席のお弁当がむなしい映像だった。何をいまさらの新発売PPIもよいかも知れないが、結局今の時代は誰もが動画像に慣れきっているわけで、それがライブであっても10年前の画像であっても同じこと、内容でようやく区別できるだけの世界だ。だから緊迫感ゼロ。一昔前アポロが月に着陸したのはやっぱり本当だったんだよと、数週前にNASAが月探索カメラで高精細にとらえた着陸地点の最新画像を公開したが、それだって、アポロの偉業はアメリカ政府の陰謀説を真面目にか冗談でか唱える人に言わせれば、月面の箱庭を作って50cm位上から写真を撮ったんだろうということになるだろう。
2011年10月15日土曜日
アウトレットツアー
午前7時15分、時折冷たい小雨がぱらつく空の下、新宿を出発、途中で二人とダックスフンド1匹を乗せて、総勢7名(老人1人、美女5人、赤ちゃん1人)と1匹が乗ったレンタカーのノアは一路関越自動車道にあがって軽井沢を目指した。外から見るとそれほど大きくはないボックス型で、本当に8人乗りなのかなと思えたノアだけど、内部は思ったより広くて女の子が多いせいもあってかなりゆったりした乗り心地でドライブが出来た。横風には弱そうな車型なので時速100㎞をキープし、高坂SAでたっぷりと小休止など、いつもの運転とは全く違う優良ドライバーに徹して丁度開店時間に合わせて軽井沢ショッピングプラザに到着した。運転中の行く気を削ぐほどだった雨は、軽井沢ではすでに上がって時間もたっていたようで歩いても靴もぬれない状態だ。しかもそれほど寒くなく、ただちに解散。みなさん連れ立ってあるいは一人で、あるいは一人と一匹で、専門店街に散って行った。広いので、1.何を買うかは決めずにとにかく見て歩く、よりは、2.ゲットするものをあらかじめ決めておいて、それがあればあまり迷わず買ってしまい、残り時間をぶらぶら見て歩く、というやり方がよいと思うのだけれど、(1.)もそれなりに、とくにここが初めての人にとっては楽しく、かつ、大切なプロセスのはずで、みているとすべての店のすべての商品をチェックしそうなノリでショップサーフィンしている。
午前11時30分、予約しておいたトラットリアに集合でお昼。食べる席にペットが入れる店は当然のことながら少なく、この店もペット同伴だと、正面入り口は使えず、裏口から荷物置き場みたいなところを通って2階のテラスに案内してくれる。ワイワイガヤガヤのおいしく楽しい小一時間だった。
午後12時30分、再び解散。久しぶりに行ったエリアの端のほうのウイングに入っているテナントは以前とはずいぶん違っていた。aignerは男物の扱いがなくなっており、店員さんも男物があることも知らないようなそぶりだった。中央に戻って明日のゴルフコンペ用の小物と久しぶりにネクタイを買い足して今日のマイショッピングは終了。
午後3時、旧軽をぐるっと回って中軽を通り、ツルヤで食料品をゲット、帰路に就く。運転を任せた美女は結構大胆で、120㎞で車線変更のたびにほぼ真後ろを向いて直接後続車を確認して車線を変えていた。
午後5時、星の王子様PAで一休み。
午後6時、三芳PAで夕食。久しぶりで回転ずし。赤ちゃんの立派な食べっぷりに一同感激。
午後7時、都内、ここから皆を送って吉祥寺のレンタカーに着いたのが9時12分。店に入ろうとウインカーを出しているときに店からの督促の電話が入ってぎりぎりセーフだった。
2011年10月14日金曜日
先進医療研究会
今までの同研究会と異なって、今日はしっかりとした講演会がメインの会だった。日ごろ接するご病気の方々のなかには、内科的な症状で受診されてはいても心療内科あるいは精神科の専門医が診るのもありだろう、という方が少なからずいるものだけれど、そちら方面の専門医のお手を煩わせるまでもなさそうで、とりあえず私が診てみましょうと言うときに、不安・イライラ・落ち込みの3兄弟のどれを一番にたたけばよいのか迷うことがある。そのような状況でのクスリの使い方のヒントをご教授頂いた有意義な会であった。でも、会のすべてがうまくいくというのは本当に難しいもので、昔は上品な食事の代名詞みたいだった銀座のM会館の食事はすべていまひとつ。まいったのは白ワインとそのあとの赤ワインの温度が何故か同じ冷たさで、こうなると供されたワインもグラスの隣のコップのお冷と同じレベルになるから不思議だ。
2011年10月10日月曜日
休日応急診療
通常のウィークディと同じ時間に家を出て、休日の中央線快速に乗る。4駅目が四谷、総武線各停に乗り換えて市ヶ谷で都営地下鉄に乗り換え、九段下で降りたのが午前8時45分だった。十円玉が足りないという情報があったので自販機とコンビニで#10円の品物を買って百円玉数個でおつり各10円玉4個をゲット。普段は小児患者が多くて現金の収受があまり発生しないのだけれど、昨日は成人患者が多くて金銭のやりとりが多く、小銭が不足したのだそうだ。昨夜メールでそのことを聞いて、十円玉を獲得するために九段下を歩き回った。
というわけで、午前11時過ぎまではなんやかやで忙しく働いた。確かにいつもの休日応急診療と異なって成人患者が多かった。その後はだらだらの約10時間であったが、看護師さんや受付スタッフとの楽しい会話で何とか時間をつぶし、夜10時半帰宅。やれやれ。分かれた元気な二人は人形町まで歩くとか言っていたけど、すごいね。
というわけで、午前11時過ぎまではなんやかやで忙しく働いた。確かにいつもの休日応急診療と異なって成人患者が多かった。その後はだらだらの約10時間であったが、看護師さんや受付スタッフとの楽しい会話で何とか時間をつぶし、夜10時半帰宅。やれやれ。分かれた元気な二人は人形町まで歩くとか言っていたけど、すごいね。
2011年10月9日日曜日
久しぶりのダイ・ハード
株式会社ナカトミのアメリカ支社タカギ社長がでてくる(映画が始まって15分くらいでハンスに撃たれて死んじゃうけど)ダイ・ハードを久しぶりにテレビでやっているので見ている。毎週連続でシリーズを4つやるみたいだ。シリーズの最初のこの映画を観たのは、大昔、学会で出かけたオーストラリアのホテルでだった。セリフなんてあんまりわからなくてもとにかく面白かったので、いまでもよく覚えているくらいだ。思えばあの頃は、ニポンの株式会社とか大金持ちとかいろんなのがアメリカのいろんな建物や会社を買って資産を増やしており、世界でいちばんの金持ち国になって、なんてことがホントに思えた時代だった。そんなことを某大国が許すはずもなく、いつの間にかグローバルスタンダードとかいうマイルールを作って身の程知らずの極東の島国を懲らしめ、身動きできないようにしたつもりが、その後の9.11、さらに欲まみれでの金融工学の利用で金融危機が到来して、大国自身の地盤沈下がはっきりしてきたのが現在だとすれば、ニポンのバブルはパクスアメリカーナが揺らぎ出す初動に一致している。日本はそのまま元気が出ない状態に押し込まれており、そこから抜け出るのは容易でない。震災のショックをレバレッジとして、さらに今の円高を生かして、昔の轍を踏まずに立ち上がれるか。それはさておき、当時のアメリカ人の心の奥に、ロサンジェルスで大きな顔しているニポン企業のビルがさんざんに壊されているのを観て「ざまみろ」の気持ちがあったとしてもおかしくないと思う。
2011年10月6日木曜日
三浦屋でのお買い物
武蔵野マダムの御用達スーパーマーケットとして有名だった三浦屋に行った。かつては吉祥寺駅から近いサンロード沿いのビルの地下と、駅ビル地下の酒店とに分かれていて、酒店ではずいぶんとワインを買って店長さんのおすすめでのおいしいワインを楽しんだものだった。現在はコピスの地下にまとまって入っているのだが、このところ元気がない(ように見える)。行くたびに、いつもこんなに客が少なくていいのかなと思う。駅ビルのガーデンと比べると、品物をあさっている客密度の違いは明らかだ。ガーデンに比べると通路が広くてゆったりしているので、客が多くても目立たないし、ガーデンは若い人が多く、三浦屋は年配客が多いようなので、購買単価が違うだろうから、一概に経営状態がどうと言えないことはわかってはいるが、どんな店でも賑わってみえる方が客にとっては楽しい。棚に並ぶ商品は郊外の大型スーパーより種類は少ないものの、生鮮食品については質の違いが僕でもわかるくらい良好だ。ちょっと高いけど。ガーデンと比べると質の差は縮まるが、種類が多いので選べるのがよい。今日も酒コーナー担当のKさんとワインの品定めで話を伺う。できのよい2009年のフランスワインがいいですよということで、ブルゴーニュを一本購入し、ついでにお気に入りのイスラエルの2009年シャルドネを追加した。品物をカートに積んでレジで精算して気づいた。ガーデンのレジが若い人とおばちゃんのミックスチームなのに比較して、三浦屋は若い人だけなのだけれど、暇なためにこの連中が雑談しながら仕事をしている。これはいけないね。当然パートで時給も安いだろうから、別な意味での安かろう悪かろうになっている。高級スーパーの綻びを見た気がした。成城石井、紀ノ国屋なども経営形態が変わっているこの時代に、三浦屋はどう進むのだろうか。がんばってほしい。
2011年10月2日日曜日
PC更新
Windows® 7 Home Premium with Service Pack 1 (SP1) 64ビット
•インテル® Core™i7-2630QMプロセッサー•モバイル インテル® HM65 Expressチップセット
•NVIDIA® GeForce® GT 555M•4GBDDR3memory •750GBHDD + 64GBSSD
•LED バックライト付 15.6 型 HD 液晶 (1,366×768 、1,677 万色)•Blu-rayDD
•USB3.0 (2),USB2.0(2)(1つはUSB2.0/eSATAコンボ)•200万画素カメラ•JBLスピーカー
というlenovo ideapad y570 を購入、ATOK、office home & business、nortonをinstallして、使い始めた。desk top:google、mailer:outlook。
ベンチマークのカンダースHPの写真集が、光回線にしたときにサクサク動いたと思ったら、今度はサクサクどころか瞬時に描出されて驚いた。同時に購入したUSB3.0対応2TB外付けHDDも活用して楽しいパソコンライフが過ごせるかどうか。先日の香港ではホテルのPCに日本語のエディタがなく残念な思いをしたが、このPCなら2.7kgで何とか持ち運びできそうで使えそうだ。
•インテル® Core™i7-2630QMプロセッサー•モバイル インテル® HM65 Expressチップセット
•NVIDIA® GeForce® GT 555M•4GBDDR3memory •750GBHDD + 64GBSSD
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ベンチマークのカンダースHPの写真集が、光回線にしたときにサクサク動いたと思ったら、今度はサクサクどころか瞬時に描出されて驚いた。同時に購入したUSB3.0対応2TB外付けHDDも活用して楽しいパソコンライフが過ごせるかどうか。先日の香港ではホテルのPCに日本語のエディタがなく残念な思いをしたが、このPCなら2.7kgで何とか持ち運びできそうで使えそうだ。
2011年9月29日木曜日
羊のおいしいレストラン
誘われて行ったレストランは代々木駅から近いビルのM2Fにあった。店員さんはほとんどが男性で、漆黒の肌が真っ白い制服とのコントラストで美しい。この肌を100年くらい晒しておくとオバマ大統領くらいの皮膚になるような気がする。コース料理の最初は肉とピーマン炒め?、サラダ、その後羊のスペアリブ?、ご当地風餃子?、チョリソみたいなの?、クスクス、などなどでるわでるわで満腹感は最高だった。面白かったのはアルコールで、最初に世界各国のビールをみんな好き勝手に頼んでエンジョイし、その後選んだワインの産地がすごい。チュニジアから始まって、キプロス、レバノン、アルジェリア、トルコ、ギリシア、ブルガリア、グルジア、など古代ローマ帝国時代にブドウとワインの豊かな産地だった国々のワインが勢揃い。フランスのような当時の後進国のワインなどはないし、新世界のワインもこのようなレストランには珍しくほとんどない。なるべく多くの種類のワインを飲もうと「ハーフ」を頼んだら、フルボトルの半分を空けたのが登場したのにはびっくりした。味?、気にしない、気にしない。
2011年9月26日月曜日
恒例西新宿酒飲みの会
恒例の西新宿酒飲みの会が、今回も49階で新宿を見下ろしながら開かれた。テーマは「ワイン+梅酒」。30分以上遅れて到着すると、駆けつけ3杯でワイン3種類の産地国あてがセットされていた。チリワインの味デザインの精密さと、フランスワインの勝手さ、そしてイタリアワインのなじみ深さを信じて答えたら見事正解で、以後は美味しい酒の肴とともにわいわいがやがやの飲み会に突入。圧巻は茨城で浸けられた4年物の自家製梅酒で、甘味を控えめにしてアルコール度数は高いというとんでもない酒飲み用の作品だが、実に美味しかった。写真向かって左から、オーストラリア、チリ、フランス、イタリア、イタリアが生産国だが、右端のピサの斜塔風ボトルの中身はなぜかシシリア産だった。
2011年9月23日金曜日
秋の彼岸
秋の彼岸の墓参り。連れは同年輩の超熟女3名である。はるばる名古屋からおいで下さったアクティブTさん、都内在住のパワフル奥様Kさん、神奈川からおいで下さったゴージャスNさんと私鉄の駅で待ち合わせてお寺に向かった。かつては板橋宿にあったその寺は幹線道路造成に伴って赤塚の地に引越し現在に至っているという。大きな大仏様で有名なお寺は、春の桜から始まり、蓮の花、曼珠沙華、紅葉と境内の季節の移ろいを示す樹木草花に事欠かない。台風一過であったが寺門、境内は掃き清められて折れ枝落ち葉もなく、境内は彼岸の墓参に訪れた人々でにぎわっていた。当家の墓に着いて直ちに清掃開始。水をかけ、大根は用意しなかったので寺備え付けの雑巾で表面を拭く。花受けを洗い、水で満たし、持参の花を活けた。故人が好んだカサブランカと蘭の花は彼岸の花らしくはないかもしれないが、彼女にぴったりだと思う。墓参後社務所そばにしつらえられたお茶のみ場で一休みし、元気なときの彼女の話、健康の話で盛り上がった後東京駅までお送りし、再開を約してお別れした。皆様のご健康と、ますますのご活躍をお祈りします。
2011年9月21日水曜日
再び帰宅困難者をエンジョイしてしまった
台風15号が列島を縦断して、地域によっては避難勧告が数十万人を対象に出された。ところが勧告に従って避難した人がごく少数だったとのこと。自治体職員の方々が思うようには住民は動かなかったということだろうが、大事にならなくて良かったね。大事になっても、自治体側にしてみればするべきことはした、と言う道がある。しかし、なぜ住民が自治体側の勧告に従わなかった、あるいは従えなかったか、を検証する必要があるだろう。避難勧告そのものの妥当性についての検討ももちろん必要だと思う。
今日は午後5時に診療所を閉め、みんなには帰ってもらった。嵐は3時頃から5時をピークに、6時過ぎには雨は小やみになり、風も少しずつおさまり、7時になったのでそろそろ帰ろうかと、JR御茶ノ水駅の改札口に行ったら、全線運行取りやめで、改札口から入れてもくれない。相変わらず冷たいね。丸の内線御茶ノ水駅に移動。入り口で医師会事務長さんに会った。遠くに帰るので、大変だと思うが、向かう方向が違うので、健闘を祈ってお別れ。荻窪行きの丸の内線は車両が止まっていたが多分絶望的な駅放送と車内放送のためにみんな降りて空席多数あり、乗って座ったらすぐ出発してくれた。うつらうつらしながら荻窪に到着し、降りてJRに乗ろうとしたら改札口が大混雑で、ホームも人で一杯でとても入れる状況じゃなかった。3.11に御茶ノ水から井の頭まで歩いた経験を思い出し、それ以上に歩くことは地理的にあり得ないので、多分動いているだろう頼もしい京王井の頭線を目指して出発。40分後富士見ヶ丘駅に到着した。数分で電車に乗れ、そのまま公園前駅まで数分。今回の反省点は、震災後診療所に置いてある歩いて帰宅用のスニーカーが台風対応でなかったことだ。通気性と耐水性はなかなか両立しにくいが、今度行くアウトレットで探してみよう。
今日は午後5時に診療所を閉め、みんなには帰ってもらった。嵐は3時頃から5時をピークに、6時過ぎには雨は小やみになり、風も少しずつおさまり、7時になったのでそろそろ帰ろうかと、JR御茶ノ水駅の改札口に行ったら、全線運行取りやめで、改札口から入れてもくれない。相変わらず冷たいね。丸の内線御茶ノ水駅に移動。入り口で医師会事務長さんに会った。遠くに帰るので、大変だと思うが、向かう方向が違うので、健闘を祈ってお別れ。荻窪行きの丸の内線は車両が止まっていたが多分絶望的な駅放送と車内放送のためにみんな降りて空席多数あり、乗って座ったらすぐ出発してくれた。うつらうつらしながら荻窪に到着し、降りてJRに乗ろうとしたら改札口が大混雑で、ホームも人で一杯でとても入れる状況じゃなかった。3.11に御茶ノ水から井の頭まで歩いた経験を思い出し、それ以上に歩くことは地理的にあり得ないので、多分動いているだろう頼もしい京王井の頭線を目指して出発。40分後富士見ヶ丘駅に到着した。数分で電車に乗れ、そのまま公園前駅まで数分。今回の反省点は、震災後診療所に置いてある歩いて帰宅用のスニーカーが台風対応でなかったことだ。通気性と耐水性はなかなか両立しにくいが、今度行くアウトレットで探してみよう。
2011年9月20日火曜日
香港国際空港
朝食後は、部屋で内田樹氏の「最終講義」を読み耽った。そんなことはなにもここまで来てしなくても、どこだってできるし、せっかくここまで来てもうすぐ帰るのに時間が勿体ないと思う気持ちは全然おきなかった。
目が疲れると遠くの島嶼に焦点を合わせ、一休みしたところでまた手元の活字を追う。時にはこういう暮らしをするために日頃一所懸命働くのか、一所懸命働けるようにするために時にはこういう暮らしも必要だ、と考えるのか。
ホテルのクラブラウンジでチェックアウトして、九龍駅からエアポートエクスプレスに乗って空港に着くまで、待ち時間も入れて約40分。みんなへのおみやげを買った後、航空会社のラウンジで昼食しようと思ったら、とんでもなく遠いところまで歩かされた。以前、香港の国営航空で帰ったときは、入り口から近いラウンジで設備も素晴らしかったが、今回は桟橋のはずれのテラス席みたいなところの航空会社数社の共同のラウンジで、設備も内容も寂しいの一言につきる。羽田出発時のラウンジと同等だと思っていくと思い切り期待を裏切られてしまった。
機内では、行きの機内で途中までしか見ることができなかったPirates of the Caribbean: On Stranger Tides を、途中から最後までようやく見ることができた。4時間半のフライトは、しかし、ワインを飲んでそれが醒めるには時間が短くて、羽田発吉祥寺行きのリムジンバス内でのねむだるさはハンパでなく、家に着いて元気が戻るまでは旅の疲れのためかと思ったけれど、深夜になってまた出かけられそうな気がしてきたので、酔い覚め時の症状だったみたいだ。
目が疲れると遠くの島嶼に焦点を合わせ、一休みしたところでまた手元の活字を追う。時にはこういう暮らしをするために日頃一所懸命働くのか、一所懸命働けるようにするために時にはこういう暮らしも必要だ、と考えるのか。
ホテルのクラブラウンジでチェックアウトして、九龍駅からエアポートエクスプレスに乗って空港に着くまで、待ち時間も入れて約40分。みんなへのおみやげを買った後、航空会社のラウンジで昼食しようと思ったら、とんでもなく遠いところまで歩かされた。以前、香港の国営航空で帰ったときは、入り口から近いラウンジで設備も素晴らしかったが、今回は桟橋のはずれのテラス席みたいなところの航空会社数社の共同のラウンジで、設備も内容も寂しいの一言につきる。羽田出発時のラウンジと同等だと思っていくと思い切り期待を裏切られてしまった。
機内では、行きの機内で途中までしか見ることができなかったPirates of the Caribbean: On Stranger Tides を、途中から最後までようやく見ることができた。4時間半のフライトは、しかし、ワインを飲んでそれが醒めるには時間が短くて、羽田発吉祥寺行きのリムジンバス内でのねむだるさはハンパでなく、家に着いて元気が戻るまでは旅の疲れのためかと思ったけれど、深夜になってまた出かけられそうな気がしてきたので、酔い覚め時の症状だったみたいだ。
2011年9月18日日曜日
ほとんど山登り
今日は朝は小雨も降ったようで、一日中薄曇りの天気だった。116階の窓から見ると目線のわずか上を灰色の雲が東方からこちらに向かって流れ、上方の視界は数キロメートルだろう。目線より遙か下に九龍半島の高層マンション群と香港島と、その間の海峡が見えるが、victoria peakからの景色よりは圧倒的に素晴らしいのは、ここから見る景色は海峡まで遮るものがないからだろう。
日中は中環から随分と歩いた。Queen's road, Wellington st., Pattinger st., Hollywood road, などを経てSOHOへ向かい、途中Midlevels escarator
で楽をしたけれど、通ってきた道の微妙なカーブととんでもない高低差は位置間隔を狂わせる。帰りはとにかく低い方へと足の向くままだった。途中の景色はブレードランナーに出てくる景色とそっくり、とは言わないが、9年後のこの映画の舞台のロサンジェルスよりは9年後の香港の方が似た景色になっているように思う。夕食は海南島風の蒸し鶏。メニューで名前を見るとわくわくするが、実際出てきたのは蒸し鶏がメインの定食のノりのお食事だったが、味はとても美味しい大逆転勝利の料理だった。ラウンジでチリとイタリアの赤ワインの飲んで部屋に戻り、夜はCATVでmatrix reloadedを観た。
日中は中環から随分と歩いた。Queen's road, Wellington st., Pattinger st., Hollywood road, などを経てSOHOへ向かい、途中Midlevels escarator
で楽をしたけれど、通ってきた道の微妙なカーブととんでもない高低差は位置間隔を狂わせる。帰りはとにかく低い方へと足の向くままだった。途中の景色はブレードランナーに出てくる景色とそっくり、とは言わないが、9年後のこの映画の舞台のロサンジェルスよりは9年後の香港の方が似た景色になっているように思う。夕食は海南島風の蒸し鶏。メニューで名前を見るとわくわくするが、実際出てきたのは蒸し鶏がメインの定食のノりのお食事だったが、味はとても美味しい大逆転勝利の料理だった。ラウンジでチリとイタリアの赤ワインの飲んで部屋に戻り、夜はCATVでmatrix reloadedを観た。
2011年9月17日土曜日
弾丸トラベル
明日は朝9時過ぎたらシャンパンとワインを飲んで寝ちゃうぞと昨日みんなに言って休みに入ったので、張り切って5時起きして、ポロのカブリオレに乗っているという運転手さんと車の話をしながら羽田に着いて、朝飯を食べてから搭乗、離陸してくれたのはいいが、シャンパンを飲めたのは離陸1時間後だった。香港までの数時間はしっかり飲んで酔っぱらってそれが醒めるには少し短いという中途半端な距離であることがわかった。さらに、機内のトイレにウォッシュレットがついているのを初めて見たけれど、さすがANAなのかな。大昔のような入国時の大混雑もなく、まあまあの時間でエアポート・エクスプレスに乗れて、30分後にホテルにチェックイン。世界一高いホテルというだけあって、眺望最高。高いのは値段だけじゃなかったんだ。3日間の脱日常が始まった。
2011年9月12日月曜日
やれやれ
前経済産業相の発言がその資質を大いに疑わせるものであったのは確かで、国の政を預かる者のセリフとしては全く不適だと思う。国の方針に従って無人の街とならざるを得なかった現地の風景を、人ごとのように、あるいは映画のワンシーンを見ての感想のように表現されては、住民はたまらない。まして、発言の主が現職の大臣であればなおさらである。これに追い打ちをかけたのがあの放射能発言で、これはもう「ばい菌ごっこ」のノリである。野党幹部の発言の通り、大臣としてとか議員としてとかより人間性の問題といわれても仕方がないだろう。任命責任もさることながら、選出した有権者の責任も問われるべきかも知れない。わからないのは、このひとが、話を聞きに周りに集まってくるメディアとどういうお付き合いをしていたのかだ。今のメディアが事実を公平性第一でアナウンスすることを信じているヒトは少数派だと思う。平穏無事無風凪な世の中は、メディアにとっては面白くも何ともない世界で、追求されているのは変化、異常、目新しさ、など何でも良いから退屈しないニューなものだ。それも、そういえばちょっと前に同じようなことがあったな、と思えるような過去の出来事との類似性があったほうがメディア自身にとっても受け手にとっても分かりやすくて受けがいい。メディアの鋭い嗅覚は大臣の一連の発言のなかに、組閣直後に始まる不祥事に進めていけそうという、ちょっと前に見た風景を感じ取ったのだと思う。そういう相手と遊び友達的なことをしてたら、それはまずいよ。
2011年9月10日土曜日
光回線
ようやく我が家にも光回線が開通した。数年前に一回その話が持ち上がったが、当時は開設に数万円を要し、なによりも土日は休日なんですから当然敷設工事はしませんよ、という具合だったので、それではまたの機会に、ということでほったらかしておいたら、今度は別の会社から電話がかかってきたので話に乗ることにした。それにしても、N○○系の企業は、独立しているのに、親的な会社の傘を借りて話を進めることが多いね。構造的に、キャリアを横断しての仕事ができないことはわかっているけれど、ちょっと寂しい。それはそうと、敷設工事代ほとんどただ、土日ももちろん工事はできますよっ!という世の中の変わりようだったので、今日の工事になった。所要1時間、新しいルータご持参、古いルータお引き取り。確か昔は梱包して送り返した覚えがある。工事会社さん、お疲れさまでした。設定は、途中でわからなくなったので、N○○のサポートセンターに電話したらあっという間に完了した。こっちサイドでしたことといえば、無線LAN親機の設定を一カ所変えただけである。ベンチマークのカンダース写真集も今まで以上にサクサク動き、快適そのもの。これで、次はサポートセンター費用が0円のうちにPCとOSを更新する事にしようと思う。
2011年9月3日土曜日
5km/45分
トレッドミルの欠点は、景色が変わらないので飽きちゃうところだ。ようやく時速7.5kmで30分以上走ってもHR130台に収まるようになり、筋肉の悲鳴も我慢できるようになったのだけれど、ジム内の殺風景さに愛想が尽きてギブアップすることも多かった。天井からつり下がっているTVの画面が面白ければまだましなのだけれど、地デジに移行した直後は雑音がひどくて音声がほとんど聞き取れず、見る気にもならなかった。スマホで音楽を聴きながら走ったこともあったが今ひとつだった。今日は、NHKでイラク特集をやっていたので、一番見やすいマシンに乗って番組が終わるまで走り続けた。
2011年9月2日金曜日
2011年8月31日水曜日
2011年8月28日日曜日
102歳
ゴルフでさんざん叩いてN先生、S先生、M君、幹事殿にご迷惑をかけた後、帰り道の脇の馬橋にいる母を見舞った。数年前に転倒して大腿骨頭骨折し、入院してから急速に進行した認知症で、102歳の現在は僕の顔を見ても僕とは全く認知してくれず(多分)、間近なヒトの顔なら誰でも、元気な時には一度も見せなかった穏やかな笑顔で反応する母を見舞うと、胃ろうのパワーに圧倒されると共に、自分が同じ立場になった場合どうするだろうと考える。この状態での胃ろうなら、導入時に拒否できる状態なら拒否するだろうなとも思うが、一方、周囲にとっては個人が生きていることが一番大切なことを実感している時だけに、自分がどんな状態であれ生きていることが周囲にとってハッピーであるのなら受け入れるかも知れない、とも思う。
2011年8月19日金曜日
GERD
後楽園裏の薄暗いビルでのE社のGERD関連講演会。遠路はるばるのM教授のご講演を拝聴した。なぜかピロリ菌のお話から始まり、今でもよくわからないのだが、突然GERDの話に突入して内容豊富な1時間が過ぎた。久しぶりに一睡もしなかった素晴らしい講演であったが、PPI不応性GERDの対策について質問したところ、1割にも満たないそんな患者は適当にやっとけばいつの間にか治っちゃうと言う内容のお答えをいただき、さすがガイドライン作成に携わった方の考えは違うなとびっくりしてしまった。エビデンスがなくても実際の診療での豊富な経験からのヒントを聴衆は期待していたのに。意外と豊富な経験は無いのかも知れない。
2011年8月14日日曜日
2011年8月5日金曜日
日本の中の外国?
甲州街道から少し入った路地裏にその店はあった。全面ガラス窓、窓枠は深紅
。客席の奥にオープンキッチンが見える。店の中に入ると若い店員が一斉に「いらっしゃいませぇ」と声をかけてきた。明らかな中国語なまり。店長だかマネージャーだかわからない男性も含めて全員が中国の人だった。mainlandあちこちから来ているらしい。店員同士の会話は中国語が飛び交っている。ジョッキのビールを人数分頼んだら、瞬時にピッチャーに入ったラップでおおわれたビールが到着した。飲んでみたらやっぱり発泡酒だった。ノミホなのであきらめて2、3ピッチャー飲んだあと、8年もののしょうこうしゅを頼んだら、これは美味しいホンモノだった。一方、料理は、北京ダックが微小過ぎて思わず笑ってしまったけれど、最後は食べきれないくらい色々出てきた。ビールとダックも含めて、あちら風の雰囲気を堪能してしまった。
。客席の奥にオープンキッチンが見える。店の中に入ると若い店員が一斉に「いらっしゃいませぇ」と声をかけてきた。明らかな中国語なまり。店長だかマネージャーだかわからない男性も含めて全員が中国の人だった。mainlandあちこちから来ているらしい。店員同士の会話は中国語が飛び交っている。ジョッキのビールを人数分頼んだら、瞬時にピッチャーに入ったラップでおおわれたビールが到着した。飲んでみたらやっぱり発泡酒だった。ノミホなのであきらめて2、3ピッチャー飲んだあと、8年もののしょうこうしゅを頼んだら、これは美味しいホンモノだった。一方、料理は、北京ダックが微小過ぎて思わず笑ってしまったけれど、最後は食べきれないくらい色々出てきた。ビールとダックも含めて、あちら風の雰囲気を堪能してしまった。
2011年7月30日土曜日
サポート
久しぶりにジムのサポートを申し込んで、ストレッチを受けた。してくれたのは、いつも笑顔を振りまいている真面目でかわいいAさん。ところが、開始早々の一言が「足首が固いですね」。いままで、自信とは言わないまでも、普通の人並みだろうと思っていた部位の柔軟性に突然のダメだしを受けてあせった。下腿から膝、股関節へとストレッチをすすめながら、診断を下される。股関節は比較的柔らかいとのこと。左の外反母趾のことを話したら、左の土踏まずは右のそれと比較すると少し筋肉が張っているとのことであった。下肢筋の一通りのストレッチの後は上半身に移ってのサポートだが、僕のルーズショルダーを知っている彼女は、上肢筋に対しては本当にそっと、壊れ物を扱うように優しくしてくれる。ほとんどストレッチにはなっていないが、それだけにとても気持ちがいい。うとうとしかけたところで時間切れ。今日はこれでおしまい。
2011年7月29日金曜日
リタイア前後
恵比寿のイタリア料理店で、中等部時代の仲良し4人で1年半ぶりの会合。4人の年齢合計250歳。都心で開業の医師、T大なんとか研の教授、Y電機元役員、MT元副社長という肩書きだが、現況から始まって中等部時代の遊び、悪行などなど話題がつきなかった。リタイアしている二人は二人ともなぜか庭いじりを楽しんでいる。一人は現役時代から続けている薔薇に始まり、今は野菜にも手を伸ばし、他の一人はお父上のサボテン・蘭には見向きもしないようで野菜育ての楽しさを語る。もちろん、庭仕事だけでなく、それぞれゴルフとテニスを楽しんでもいる。現役組は仕事に時間をとられているためかもっぱら健康の維持に熱心で、ジョギングと良い年をしての1kmクロールなど、フロアで騒いでいる若いサラリーマングループの話題とは絶対に相容れない内容で盛り上がってしまった。ここ、nostalgie tableは、ガーデンプレイスの洒落た区域を数十メートル離れた住宅街入り口に佇む店で、ライムのリゾットが絶品。メインディッシュも美味しくて、それほど高くないワインも合わせ、コストパフォーマンスは良い。シチリアとトスカーナのワインが素晴らしかった。イカスミを練り込んだパスタはインスタントお歯黒にならないのは良いけれど、やはり味が今ひとつだった。冬に極寒の京都で遊ぼうと約束して解散したがどうなるか。新盆を過ぎ、心の中では一区切りがついてなんとなく世の中での立ち位置がわからなくなっている自分にとっては楽しいひとときだった。教授も3年後の定年を楽しみにしており、こちらもそろそろそっち方向でいこうかとふらっとした。
2011年7月23日土曜日
2011年7月15日金曜日
2011年6月18日土曜日
18日
Toshikoが旅立ってから5ヶ月たった。板倉家・菊地家だけの家族葬、寺への入檀、墓の作成、納骨、偲ぶ会の開催、銀行での相続手続き、形見分け、などなど、時間とちょっとうるさい人々に追われての5ヶ月は、寂しさ悲しさは当然のことながら、たまには一人にして欲しいと思う位、頭の中のマイルームに土足で入り込む人とのお付き合いに疲労感を感じた期間でもあった。しかし、その喧噪が無かったとしたら、もっと辛い日々があったのかも知れないと思う。今でも、二人の想い出の品々のかなりは整理の手も入らず、時間が止まったままであるけれど、それらを少しずつ過去の時間軸から未来への延長線上に僕一人で乗せていく作業はきっと僕にとっては楽しいものになりそうだ。この5ヶ月間、一言声をかけていただき、その後そっとしておいてくれた方々には本当に感謝している。医師会の古参理事の方々、人づてに訃報を聞き連絡をくれた友人・先輩、長くお付き合いがある患者さんたち、ありがとう。
2011年6月11日土曜日
蒲焼き 青葉
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