2012年11月17日土曜日

ココ・ファームのワインは美味しかった。

足利市郊外、山の斜面の林には椎茸栽培の切り木が並び、開けた南斜面は葡萄畑。てっぺんにはワインボトルの大風船が浮かんでいる。自家用車では行けないので、足利駅前からのシャトルバスに乗車して向かったここ、ココ・ファーム・ワイナリーは、結構インタナショナルな雰囲気が醸し出されていて、楽しそうだ。エントランスではダウン症のおじいさんおばあさんが出迎えてくれた。迎える人も迎えられる人も、同じ早さで流れる時間の下で、一緒に静かに年を取り、それぞれの人生を過ごしていく。葡萄畑に広がるブルーシートの下では皆が楽しくワイングラスを空けている。そういうポジションも良いけれど、我々のためには広場のテントの下のテーブルを早くゲットしてくれて頂けていた。働いている彼を中心に皆が集まって、ヌーボーで乾杯。爽やかな酸味と甘みのミックスされた新酒の味が口の中に広がった。旨い。新酒のワインはこういう風にして畑のとなりあたりでみんなで飲んで母なる自然に感謝するのが良いんだと思う。つまみはグリルされたチキン、ピザ、etc,etc。手作りのピクルスも美味しいなぁ。
ここで働くこころみ学園の方々が汗を流して作り上げたワインなどの品質を維持し、しっかりした商品としてマーケットで消費者に販売する、ここの仕組みは、知的障害者が関与するビジネスモデルとして素晴らしいものだと思う。親族の方々の協力体制も大変なものだと思うが、超長期おそらく一生をそこで過ごす仕組みを作った創始者は賞賛に値する。
トイレに行こうと道を下っていくと、突然葡萄畑の斜面から若い女性が転がり落ちてきた。でこぼこの土の急斜面でのハイヒールは、そりゃ無理だ。軽いねんざだと診断して、救護班にお任せした。

2012年11月6日火曜日

大学不認可

3つの新設大学の申請が不認可になった。らしい。大学新設を申請すると文科省からの助言が得られて申請はほとんどそのままパスして大学が出来る、という仕組みは何かヘンだ。認可されてない時点で校舎の工事がどんどん進んでいるというのも、どう考えても認可の仕組みそのものが形骸化、形式化しているとしか思えない。もちろん、大学新設が認可制でなく、申請すれば良いとする考え方もあると思う。全国津々浦々に出来てしまった大学の競争により、最終的に良い大学が残り、ダメな大学は淘汰されて消えていく、と言う仕組みももちろんアリだろうが、数年しか在学しない学生にとって、将来消えてしまう大学に在籍し卒業するという人生はかなり厳しい。そんな大学を作る人は、学ぶ学生の人生を思うよりは、自分が作った道具としての大学を思うのだろうか。メディアは、今工事中の大学に入る予定の若者のがっかりを伝えていたが、ヘンな大学に入ったらもっと不幸な気がする。もちろん、今回話題に上っている大学の質がどうこうと言うのではない。おそらく、既存の大学に優るとも劣らない優れものだと信じる。今までの大学にない新しさ素晴らしさがなければ認可されるとは思えないから。それにしても、やはり、文科省が大学の質を維持するコンセプトを持つべきではないか。新しい文科大臣の健闘を祈る。

2012年9月15日土曜日

vietnam in Yoyogi

週末の代々木公園にベトナムがあった。炎天の下で開催されたベトナムフェスティバルは、ベトナム現地に行ったことがないので正確な比較ではないけれど、きっと同じくらいの暑さのもとでなんだろう。日本語に混じってベトナム語が飛び交い(これも本当にベトナム語かどうかわからないけれど)、アオザイ服がすれ違う。参加者はもちろん日本人が圧倒的に多いけれど、いろんな国の人がいて面白い。ベトナムもまた、海の上での国境を隣接する大国との諍いを持っている点で我が国と環境が似ている。この際なかよくやりましょう。
昼食はガパオライスとフォー。店員は日本人でもベトナム人でもないもうちょっと西方のお兄さんである。インターナショナルでわけがわからない。ディスポのスチロールお皿によそってもらって、出店の裏の椅子に座り、商品の梱包箱をテーブル代わりにして食べたのだけれど、これがなかなか美味しい。ベトナム万歳。国境線を守れ。

2012年9月10日月曜日

合掌 HDD

思い返せば、数週前から予兆はあった。windowsの立ち上がりの度に立ち上がり方がビミョーに違っていて、何でだろうと思ったのと、何よりも、異音がし始めたのだった。その時点でデータを移すべきだった。2世代前のPCが、冷却ファンが外枠にこすれて止まっても異音だけで何とか動いているのと同一視して放置していたら、ある朝突然立ち上がらなくなった。operating system not found, MBR error などというコメントが何度やってもでてくる。付属の復元ディスク、購入時に作ったリカバリCD、どちらも全く受けつけられない。メーカーのサポートのサジェスチョンもだめだった。HDDを取り出して、今使っているPCにUSBで接続しても、やはり認識されない。HDDの分解も考えたが、ふたを開けるために必要な星型ドライバーは結構特殊で、そういうパーツを使っていると言うことは、多分、素人は立ち入っちゃいけませんよというメーカーの意思表示のような気がしてまだ踏み出せないでいる。しかし、you-tube をみると、結構皆さんHDDを開けたり壊したりいじっている。偉い。今回は現役を退いていたPCのクラッシュだったのでまだ良い方なのだと思う。それでも、家計簿ソフトと住所録ソフトのデータが回収不能になった。数年間の画像データも失われた可能性が高い。明日から、散らばっている保存メディアの回収作業が始まる。HDD分解修理の試みはその後だ。

2012年8月16日木曜日

2012年8月1日水曜日

久し振りの先進医療研究会。数日前の理事会で会長から「今度あるよ」と言われて、えっ?!という話から始まったくらい、こちらにとっては急な話だった。数日たってから担当MRが急遽来院して案内状を置いていったけれど、内科系の先生を主体にお声をかけておりまして、というせりふはこちらも答えに困る。場所は神楽坂の洒落たホテルで、こじんまりとした会合にはぴったりの場所だ。話の内容もこじんまりとしていて、その後の情報交換会も、4月以降の方針に沿った簡素さであった。幸い、参加者がなじみのメンバーであったから、講演をお引き受け頂いた先生が所属の病院の会で早めに退出された後も、楽しい会話が弾み、中締めとなったけれど、以前のような楽しい会は今後望むべくもない。開催する側の考えも今ひとつ読めないヘンな会だった。

2012年7月24日火曜日

専門医セミナー

久し振りの砂防会館。消化器内視鏡学会の関東セミナーである。400名を超える参加希望者があり、参加できない人もあった由。このところ、専門医制を持っているすべての学会が、申請・更新の条件に講演会・セミナーへの参加義務を相次いで打ち出している。確かに、学会総会の総合受付で参加費を払ってどこともなく去って行く会員は決して少ないわけではないから、専門医の質を高く保つために必要なことであることは確かなんだろう。学会の発表は、最新のデータではあるが、それが事実真実として普遍性永続性を持つかどうかはその時点では未確定だ。一般会員にとってそういう発表を聴いて見るのは楽しいものではあるが、日常の診療に生かせる知識とは言いがたいことも事実であり、すでに確立していることをまとめて教えてくれるセミナーは大切なツールである。ということで、会場に到着。10分前だったが9割5分の入場状況で、前過ぎず、後ろ過ぎずの所の空いた椅子に座ったら、隣が東海大学時代の若手のホープで、近況はといえば実家に帰って消化器の開業医していた。数席後ろには、やはり大学時代に仲が良かった前某病院副院長、現付属クリニック院長がいて、それぞれ名刺交換をして今日のお仕事の2/3は終わった感覚に捕らわれたが、セミナーはそんな甘いものではなかった。確立された事実を、その人なりの味付けをして、わかりやすくプレゼンするという行動のシークエンスを、それぞれのスピーカーについて吟味するのは聴く側の権利だと思う。言い換えれば、しゃべる側は何をどう伝えるかプレゼンするかをわきまえた上でしゃべるべきだ。概して良いプレゼン・レクチュアだったと思うが、聴衆にわからせる努力を最も感じたのが、慶應系の病院で長らく内視鏡をしていた医師と、大学でがんばっている医師だったのはちょっと嬉しい。なかには、自分の主張を言いたいだけとしか思えない人もいたし、ペーパーの表紙コピーを乱発して時間を浪費した人もいた。しゃべる側、聴く側の両者にとって、セミナーはきわめて有意義だったというのが今回の結論である。ああつまらない。

2012年7月14日土曜日

ロンドン オリンピック

オリンピック、パラリンピックの期間中ロンドンで仕事をする人を成田で見送った。開会まではまだ時間があるけれど、到着数日後からお仕事が入っているとのことで、現地時間で日勤は08:00から18:00までのシフト表が見事に作成されていた。それに従って期間中会場・選手村を動き回るとのことだけれど、ただでさえ緊張しているだろう競技関係者の間を周りながら任務をこなすのは、バックグラウンドの組織の力があったとしても、大変な気苦労のはずだ。英語、日本語だけならまだしも、あらゆる国の言語が飛び交うなかでの間違いが許されない仕事の遂行は、本当に大変だと思う。営利がらみの仕事ではないから強気に出ることも出来るかもしれないが、寅さんではないけれど、それをしたらおしめぇよ、で、しっかり場数を踏んでいるとしても結構ストレスがたまることも多いな。本当にお疲れ様。期間中、こちらは水割りかワインでも飲みながらスポーツ観戦するつもりだけれど、いままでよりちょっとだけスポーツの見方が変わったかも。

2012年7月1日日曜日

横浜中華街の栗売り

久し振りに横浜中華街で昼食しようとでかけた。日曜日昼時の混雑は相変わらずだけれど、昔と変わったのがひとつは店頭の料理写真がやたら増えたこと。小さい新興の店も、堂々とした老舗菜館も、とにかくすべての店が陽にあたって少し色あせた料理の写真を店頭に並べている。そして、その店頭メニューの中に、食べ放題がほとんど必ず載っていることに気がついた。そんなに沢山食べる気もないのでスルーしたけれど、少なくとも今よりは店の前が視覚的に静かだった以前の雰囲気の方が僕は好きだ。もう一つが、栗売りの若い店員たちのしつこいこと。昔も栗売りの店は確かにあったが、客引きはなかった。大きくて美味しい栗をサンプルでくれるけれど、もらった若い女の子を引きずり回すようにして袋入りの栗を買わそうとした奴がいた。きっととんでもない栗がちょっとだけ袋に入っているのだろう。幸い、僕らの場合は、食べてやってもいいけど、というような態度を前面に出してのガン付けが効いたのか、栗をくれてそこで終了した。美味しかった。結局昼食は、これまた昔懐かしい四五六菜館のサンラーメン、海鮮ビーフン、北京ダック2枚(北京ダックの数え方は「枚」)で堪能した。

2012年6月25日月曜日

六本木の夜は更けて

交差点そばのシシリアで、超薄切のキュウリとレタスのグリーンサラダが健在なことを確かめて、ライブショー聴きにバーに到着。友達同士が実に国籍豊かなようで、さらにゴージャス奥様方も大勢きていて、とても賑やかだった。こういう場所に来る度に自分の英会話の貧弱さがいやになる。不断の努力が必要なことは重々わかっているのだけれど、それが出来ない。聞けば、週1回native speakerと英会話して、newsweek読んで、ロンドンとのやりとりは当然英語とのこと。偉いなぁ。現在の世界の会話が、違う国と国との間では英語主体になっているのは世界の歴史の成り行き上仕方ない。100年後くらいには中国語が主な公用語になっているかもしれないけれど。社内での公用語を英語にしたIT企業があるけれど、日本人だけの会議でそれをやると、学芸会の英語劇みたいになるような気がする。
それはさておき、ライブとフロアの会話は盛り上がり、楽しいひとときを過ごすことが出来た。ちなみに、使った言語はほとんど日本語だった。

2012年6月18日月曜日

健診は当院のお仕事の太く大きい柱の一つである。その一つはもちろん通常の外来診療で、何十年来の旧知の間柄になった患者さんの診療は言うに及ばず、近隣の会社、学校、通りすがり、とにかくどんな方でもはじかず拒まず、時間内でありさえすれば何でも受け入れる。祖父の方針だったし、反面教師としての大学から、僕が学んだことでもある。もちろん、「何もこんなしょぼい診療所に来なくてもいいじゃないですか。とくにこの地区には立派な病院、医院が星の数ほどあるし、なんと言ってもこのニッポン、患者は医療施設を選ぶことが出来るんだから。ここで楽しくない思いをしなくても、もっといいところがいくらでもありますよ」と言って、帰った後、塩を撒きたくなるヒトは時々いるけれど、それはあくまで少数派だ。ところが、健診は多少事情が異なる。当所と企業との間で健診の契約が結ばれており、結果として、医師と受診者(患者ではない)との間に企業、更に健保組合が介在することになる。ところが、受診者は当所との直接の関係を、診療における医療施設と患者との関係と同じように見なしてくれる。受診日にすぐに診療に進みたくなるヒトはありがたく、そのご要望に応えたいけれど、よっぽどの重症疾患でない限り、後日改めてと言うことでお許し頂いている。一方、健診の結果にクレームがつくこともある。健診の結果によっては再検査・精査が必要になるが、重篤疾患の見逃しを防ぐためにはある程度の偽陽性がでることは避けられないし、加齢による変化もピックアップしてしまうのも当然だ。健診はそういうことをご理解頂いた上でしているつもりなのだけれど、見つかった異常が加齢に伴うものであると最終診断されて、そんなのひっかけるなとのお怒りを頂いた。やれやれである。

2012年6月11日月曜日

TV カンファレンス

TVカンファレンスと聞いて、いやな予感はしたが、せっかくのお誘いを断ってもと思い、内視鏡の復習だと思って参加した。出席者は多分僕が最年長で、大多数は近隣の中サイズ病院の若手医師だった。感度、特異度から切り込む内視鏡スクリーニングの考え方は、ほかのカンファレンスや教科書の多くがあまり教えてくれない点で有意義であったが、なにぶんつまらない。一方の大腸ポリプのサーベイランスの途中経過報告は欧米のリサーチとの比較も加えて、我が国の位置を再認識する上でよい発表であったとは思う。それぞれがPPT60枚以上の頁(スライド)を使っての大発表は、しかし、聴衆の理解を得るには多すぎる情報量であり、しかも、それがどこかからの画像をわびしいホテルの会議室でみるだけという寂しさに加え、「この人たち、多分内視鏡に精通しているのだろうけれど、この人から内視鏡を教わろうとは思わないな」という意見が必ず出そうな点でXであった。

2012年6月5日火曜日

区民健診説明会

保健所で開かれた今年度の区民健診説明会。保健所側は新しいスタッフも交えて主だったところが総出演だった。検査項目に関しては長年の検討でそれなりの完成度がすでに達成されているので、あまり大きな変更はない。区・保健所にとって区民健診はおそらく一番大きい年間イベントの一つだろうから、力が入るのは当然だ。医師会員の内科系にとっても、それなりの仕事であり、地元の人々への大切なサービスでもあるから、協力するのは当然だと思うのだけれど、全体的に今ひとつ乗りが悪い印象を毎年持ってきた。乗りが悪くなる原因のひとつは、用紙の記入しにくさだと思う。高齢者、社保、国保、等々、様々なグループに分かれて、成績のまとめ元が異なるのである程度は仕方がないのかも知れないが、検査を受ける区民は疾患構成から見れば年齢による違いがあるだけのはずだ。社保と国保と生保で病気が違うなんて怖い話があってはならないと思う。だとすれば、もうちょっと成績記入用紙を統一できないものか。更に欲を言えば、各自治体間での相互乗り入れ、理想を言えば、全国共通のフォーマットを是非作り上げてほしいと思う。フロアから、住所氏名を前もって用紙に印刷すべきであるとの要望がでたが、1人がんばっているかの感があるナイスバディT先生にしても、ドットプリンター以外の記名方法をお考え頂きたい。送り先はちゃんと印刷されているのだから、それを必要枚数刷って貼ってもらうなんてのはどうだろう。データを入力する業者に投げる手もあるのではないか。

2012年6月1日金曜日

喧噪の中のイタリアン

久し振りに訪れた麹町のイタリアン。玄関の重厚さ・静寂とは裏腹に、内部の喧噪たるやなかなかのものだった覚えがあるが、待ち合わせの6時半はまだまだ空席が目立ち、静かなもんだった。産地にこだわったメニューは裏メニューも含めて、新鮮で美味、ボリュームは今ひとつだったが、いいタイミングでサーブされ、カラブリア産の赤ワインもコストパフォーマンス良好で、いろいろな料理を1本で済ませるとするならば、こんなものだと思うミディアムボディの良品だった。嬉しいのは時間がたつほどに満席になり、客席の喧噪が楽しく、隣の席との距離が近いのだけれど、何をしゃべっても周りには聞こえない、そんな会話の場合には最高の場所だった。スタッフの目配り気配りも程よく、大切な人とともに楽しい時間を過ごすことができた。

2012年5月30日水曜日

評価委員会

久し振りの評価委員会。今回からは効果・安全性に加えて、いよいよK-M曲線の登場である。経過観察中が多いので、まだまだ将来予想はできないが、10年前の曲線と比較すると当然のことながら改善が明らかであり、治療の進歩には目を見張るものがある。問題は比較対照との間に差が生じるかどうかで、これに関しては予断を許さない。全身投与の治療薬と異なり、局所投与の場合には施術者の技量とコンセプトによって結果が左右されることもあるのは承知の上でスタートしたとはいえ、予後調査となると、糸の切れた凧状態を感じることもある。担当医の良心を信じていこう。

2012年5月26日土曜日

超音波医学会

学術集会に出席。相変わらずの分厚い抄録集を抱えての移動はちょっとめんどくさい。演題によってはさらに深度が増し、間口は狭くなり、日々超音波診断の何百点に期待をつないでいる当方としては、深さに目のくらむ演題が多くなった。もう一つ感じたことは、以前とは違ってco-medicalの方々の発表の比率が増えていることだ。疾患や臓器ではなくツールを軸としての学会はいろいろな職種の話が聞けるのが面白いときもあり、ちんぷんかんぷんで入って行けない時もある。

2012年5月24日木曜日

病診連携

新任の某病院副院長をはじめとする数名と会食。病院にしてみれば、患者増の手段の一つとして、病診連携を積極的に進めたいところであることはすごく理解できる。僕が院長していたときも、どうやって紹介頂く患者数を増やすかに腐心した。ご挨拶、病院便り、医師会会合への出席などでの近隣診療所での知名度アップ、受診報告、結果報告のスピードアップ、公開講座や医師相手の講演会での病院紹介などなど、自分なりに苦労したつもりではあった。それらが結実したのかどうか、結局よくわからなかったけれど、仕事場が変わったら一時病院の業績が落ちたらしいから、少しは効いていたのだろう。立場が変わり、もっぱら患者を紹介する側になって考えると、しかも、患者を受けたがっている医療機関が周囲にこれだけ沢山あると、紹介先を決めるのは、まず受け入れ窓口が懇切丁寧であること、そして優れた医師がいること、だと思う。副院長もいろいろ考えていたようで、大学関係者の都内リストを作って持ってきていたが、愛校心に訴えるこの作戦、確かに都内ではあまり積極的に進めていなかったことは確かで、うまくいくかも知れないが、いままでろくに連絡も来なかったくせに、と言われるリスクもありそうだ。ところで、酒の種類は多くて楽しい吟ばん、料理もまあまあだけど、固い板の間に薄い座布団の席は、高齢者には腰に悪い。

2012年5月20日日曜日

休日応急診療所勤務

今年度最初の休日応急診療所勤務は、5月中旬というよい季節にあたり、たぶん暇だろうと思っていたら、やっぱり暇だった。でも、朝、昼過ぎ、夕方の1-2時間は途切れぬ患者の来院が続き、特に、発疹性疾患の小児診察は、診断に苦労した。幸い、入院を要するような重症例はなく、患者が途絶えたすきに隣のスタバでストロベリーフラペチーノォをゲットして机で楽しんだ。それにしても、隣の歯医者さん、暇そうだったなぁ。

2012年5月19日土曜日

明六社

福澤諭吉協会の総会に出席した。出席者70余名。決算総会なので、昨年度の業績、行事の報告と決算内容の審議が行われ、大きい議論はなく全会一致で承認された。最近、会員数が減少傾向にあるとのことで、新会員の勧誘を、とのお話があった。なかなか難しい問題だと思う。
総会の後、筑波大学の先生による明六社についての講演。しっかり拝聴させていただいた。

2012年5月14日月曜日

久し振りの散歩



にに天気がよかったので、1時間の昼休みに久しぶりに界隈を散歩した。明大前通りを降りて、途中から裏通りに入り、前日例大祭が行われた太田姫神社に到着、神社前の提灯をチェック。何代か前からこの地で活躍されている偉い先生方のクリニックはちゃんと掲げておられる。さすが。記念写真撮影の後、和泉屋さんで、明日の利き酒会用に菊姫山廃仕込み純米酒をゲットした。昼食は医師会館に近い、最近できたみたいなラーメン屋デビットの醤油ラーメン。割とおいしい。支払はデビットカードではなく現金払いだった。そうそう、医師会館の工事が再開されており、解体の最後だろう作業が行われていた。隣家に近いコンクリ柱はまだ残っているが、あの柱に蔦をはわせ、遺跡風のイングリッシュガーデンにでもしたらどうだろう。

2012年5月6日日曜日

お土産物ゲット



Changi 空港で診療所の皆さんへのお土産を探した。地元の産物をと思って探したけれど、結局MalaysiaThailand製のお菓子になった。お店の人に聞いても、無いとのことだった。言われてみれば、国民所得が周りよりずば抜けて高くしかも国土が狭いこの国で、高い人件費と土地を使ってのお土産作りはとても高くつくのだろう。食料の自給も産業空洞化も、かつての姿と今を比較してしまう我が国では問題になるし、下手な外交のスキルアップとも絡めて、議論しなければならない事項ではあるけれど、この国では端から方針自明のことであるに違いない。国の規模が違うので、単なる比較は意味がないが、そこら辺、国会での議論が聞きたい。

2012年5月5日土曜日

天上のプールⅡ

万が一震度7が発生したら絶対に屋上にも真下にも居たくない作りのビルだけれど、下から見上げるとその存在感は圧倒的である。3棟に分かれたホテルのそれぞれに1階にロビーがあり、このロビー階は一つ屋根でつながっているので自由に行き来ができる。コーヒーショップ、中華レストラン、バーがあり、コーヒーショップのマレー系美人の超横割れパンタロンと、バーの中国系美人の肩肌脱ぎドレスが素敵だ。いや、超横割れパンタロンのマレー系美人と、肩肌脱ぎドレスの中国系美人が素敵だ。

早く到着してしまったので、シンガポールスリングを飲みながらコーヒーショップで一休み。夜、ここでカジノへの出陣前の腹ごしらえをしたけれど、アジアとヨーロッパ・アメリカの料理ビュッフェスタイルで、結構おいしく、よく冷えた地元タイガー生ビールがしっくりきた。

ところが、さすが総部屋数2500超だけあって、中国系の泊り客が多いチェックインカウンターが混んでいた。並んでからチェックインまでに30-40分かかり、整理案内係の中国系男子社員が、ミネラルウォーターを無料で配りながら愛想を振りまいている。部屋まではポーターなしで勝手に行ってよかったが、荷物をポーターに頼んだら、いつ部屋につくかわからない。

ちょっと値が張るけどcity viewの部屋を選んだら、20階のマーライオン正面の部屋で、眺めはさすがによろしい。マーライオンの小ささが実によくわかる。世界三大がっかりのうち、人魚姫は大昔にバスで通り過ぎ、ライオンは近くとこれだけ遠くでみた。残る一つはどこだっけ?


ここに泊まる一番大きな目的は、なんといっても屋上の宿泊客専用崖っぷち風巨大プールなので、海パンに着替えてエレベーターに乗ったらみんな水着の上に部屋備え付けのガウンを着て、ほとんど船橋ヘルスセンター風である。プール入り口ではカードキーを見せて入場。200mの高みだけあって風もそれなりで、あいにく曇天ということもあって、ちょっと涼しい。
写真奥に小さく見える赤いパラソルは、クラブフロア宿泊客専用バーなのだけれど、実はそこの人口密度が屋上で最高だった。もちろんフリードリンクなこともあるんだろう。

プールが面するベイサイドの反対側を見下ろすと、6月に開場する植物園が見える。貝殻状の温室の中には、バオバブの木とか、キナバル高地特有の植物などが現地から運ばれて植えられるらしい。ほんとに6月にオープンできるの?というくらいの工事進捗状況に見えるが、これが完成すると、ホテルに隣接する巨大ショッピングセンター、カジノ、ミュージアムなどと並び、見どころの一つになるだろう。湾口の向こう側にゴルフ場もあり、シンガポールの市街地、ベイサイドとマリナベイサンズ界隈全体が大きなテーマパーク的なエリアになるみたいだ。
ショッピングセンター内には人工運河が走り、当然のことながらゴンドラが行き交う。竿をこぐゴンドリエーレは純東洋風顔貌で、カンツォーネは無し。
全体として、すごく健康的なリゾート都市が出来上がりつつある。これに、セントーサ・リゾートを加えると、さらにマレー半島観光も視野に入れれば、とっても楽しい地域になるのだと思う。でも、マリナベイサンズに限って言うと、お部屋代がfour seasons hotelの倍近くというのはとんでもない。HISの課長さんが1泊で十分ではと言ったのは正解でした。

2012年5月4日金曜日

China town, Little India, Arab road



シンガポールは地政学的には東南アジアのほぼ中心に位置しているうえに、貿易立国を掲げて奮闘してきたのだから、周囲から多くの民族や人種が集まっていることは当然だろう。中国系が7割を占め、その後にマレー人、インド人が続くらしいが、そのそれぞれが多くの民族の集合体であり、使う言語も30以上とのことであるから、シンガポールにおいては祖国統一、と言った概念はほとんど意味を持たないと思う。このような国家が現在の繁栄を誇れるのは、国民が国をよくするために努力したというよりは、自分が自分のためにするべきことをしたら、それが国家の方針と一致していた、ということなのではないか。民族や人種が異なっても、目的を同じくする者が集まったのがこの国なのではないか。
この国には同民族が集まる地域がいくつかあるとのことで、そのうち、china town、little india、そして、arab street を見学した。
Four seasons hotelの最寄り駅から乗ると乗り換えなしでいける地下鉄のRaffle's placeを降りてから西方に歩くと、Bank of chinaをはじめとする中国資本の様々な企業などの高層ビルが建ち並ぶエリアが広がっている。どの通りにも英語、たぶんマレー語に加えて中国語の名がついて表示されている。市中心部の駅をはじめとする様々な公共機関の文字表示は多くの場合英語、マレー語、アラビア語、中国語であるが、この地域に限っては街路表示は多くがアラビア語を除く3カ国語のようだ。東京で言えば丸の内から霞ヶ関に相当しそうなこのエリアでの中国資本のど迫力は、民族構成を考えれば当然のことなのだけれど、それでも恐れ入るところがある。このエリアを通り過ぎたところに高層ビルがない古い町並みの一角があり、そこがチャイナタウンである。中心に地下鉄チャイナタウン駅がある。土産屋と中華料理店が集まったごちゃごちゃの一帯であるが、となりに小さい飲食店がぎっしり詰まった集合ビルがあって、ここの熱気がすごい。

little indiaも同名の地下鉄駅から広がるエリアだが、こちらは日常の食料品、雑貨からお土産まで何でもかんでもが狭い一角にひしめいている地域だ。香辛料の香りが一帯に立ちこめている。ここの通りをぶらぶらしていたら、ヘンなインド人らしい中年男から「Are you hungry?」と話しかけられた。腹が減っていそうな中国人がいたので話しかけた。どこかで何か食べないか?と、優しそうな顔と声で近寄って離れないので、No!オレは中国人じゃないし、腹減ってもいないよ、ということで追い払った。怖くはなかったけれど、ちょっと気持ち悪かった。

次に別の駅に移動して、arab streetに向かった。歩く人々はがぜんアラブ系になり、街の景色も心なしか砂漠色である。本当はモスクまで行きたかったのだけれど、黄昏がせまってきたのと、もう一つhaji laneという小道がホテル備え付けの英文町紹介本に載っていて、それがファッショナブルな場所として注目を集めているとのことなので、そちらに向かった。確かに、小さなブティック、カフェなどが狭くて短い道沿いに並んでいる。でも、裏原宿などと比べると、さすがにしょぼい。

地下鉄の数駅を移動するだけで街と人々の性質がこれだけ変わるとは、どこまでも均質なニッポンから来て見て回ると、不思議の世界ではある。

天上の楽園プールⅠ



20階にある屋上プールは人影もなく、着替えてプールサイドに出ると係のおばちゃんがすでにデッキチェアにタオルを広げ、寝転がっていたらフレッシュオレンジジュース、冷えたミネラルウォーターとミストが傍らに置かれ、ほとんど極楽状態である。2-3週間の夏のバカンスだったら当然ここでは何もせず本を読むか昼寝をするかなので、2-3日の短期間バカンスなのに、限られた時間をついつい美味しいジュースを飲むことと読書に使ってしまった。この景色が自宅の庭のプールサイドだととてもかっこいいのだけれど。時々こんな風景の中に入るのがせいぜい、というのが分相応ということなんだろう。


夜は再び街に出て、並んでトレイに海老麺中盛りをゲットした。動詞を使わないおばあちゃんレジと、笑顔も見せず一心不乱に麺をゆでる多分孫娘の作品は充分美味で、大盛りにしとけば良かったと思ったくらいだった。ここのフードコートで行列が出来ていたのはこの店と、銀だこ、板長寿司、と言う具合で、ニッポンはそれなりにがんばっているのだ。

2012年5月3日木曜日

シンガポール


空港から市内に向かうタクシーからの景色をみて感じたことは、ドイツ車がとても多いことだ。とくにS の比率は日本より大きいのじゃないだろうか。国産車を持たないこの国の車は、もちろん100パーセント輸入品で、見た目日本、ヒュンダイ、ドイツの順番かな。クルマの綺麗さ新しさは日本並みで、軽と小型は目立たない。経済規模はまったくちがっても、この国は豊かなのだと思う。でも、CL, SLは見かけない。もっとも、AB も見ないけど。 

CX736


昴、YMCA、東京ブルースの中国語版が機内ミュージックChinese all time hitsチャンネルにはいっている。テレサ-テンの歌が三曲(東京ブルースの中国語版がその1つ)はいっている位だから、日本で言えば往年の、とか、懐かしのヒットメロディということになる。YMCAはアメリカ製だし、ということで、それではと日本人向けのj-popチャンネルを見てみると、韓国の歌手さんがちゃんといて、結局どこの国のヒトがナビゲーターをするかで対象国民が決まってくる構成だ。音楽に国境はないのは確かだけど、医療の国境ってあるのだろうか?医療と介護のノウハウはニッポンは早く訪れた高齢化社会で蓄積されるだろうから得意分野に成りうるのだけれど。

 


Four Seasons Hotel Singapore

たった3泊の弾丸ツアーではあるけれど、ホテルに関して言えば熱帯の植物に囲まれた静かなホテルにも泊まりたいし、今話題の空中プールの巨大ホテルにも泊まりたいということで、はじめはカード会社の旅行部門に頼もうかと思った。でも、今まで依頼してみて、そのたびに無難なところ、無理のない結果が出るような気がして、なんとなくつまらない、興奮しない旅になることが多かった。おそらく、こちらが知らないのと同じか、最悪、僕以上に情報を持っていないと言う結論になった。高い年会費に見合わない気がして、今回はパス。新宿高島屋向かいのHISに入って久し振りの窓口相談になった。相談が出発間近だったので、苦戦は予想していたが、何とか香港経由で希望時間のフライトをみつけてくれた。ホテルは更に一苦労で、ベイエリア付近は3日の宿泊が全然決まらない。いっそのこと海から離れていて静かな所を、と言うと、教えてくれたのがFour Seasons Hotel Singapore だった。Marina Bay Sands はHISではゲットできず、Internetで直接交渉してBay View sideに1泊することになった。結果としては、この組み合わせはなかなか良いものだった。

Orchardから少し入ったところにあるこのホテル、周りを繁茂する木々に囲まれ、繁華街まで5分くらいなのにとても静か。チェックイン後早速夜の街を偵察に出かけた。夜7時頃街に繰り出している人々の年齢は20代前後が多く、若さが溢れれている。蒸し暑い歩道にも人は多いが、エアコンの効いているビル内にも人が溢れ、とくにフードコートの人気店は人だかり。美味しそうな店で細麺辛味の麺セットを食べたが、パクチーどっさりのピリ辛麺は実に美味しかった。

2012年4月27日金曜日

定例連絡会

24年度最初の定例連絡会の保健所側出席者は部長、所長、特命担当部長、課長など新任の方々が多数おられ、開会前の名刺交換が案の定混雑で、そうなるかと思って多めに用意してきた名刺がほとんどなくなった。あまり名刺交換をしない職業なので、普段は最低限しか持ち歩かないが、この時期は要注意だ。幸い、医師会側メンバーは今年度は変更がない。会の討議事項は区民健診、予防接種、認知症関連などだった。区民健診は例年同様だが、外来診療をしていて思うことは、自治体間での共通性がないことは良いことなのか良くないことなのか。各自治体の経済事情があるのだろうが、健康の指標は狭い島国内でそれほど違わないはずで、最低限の健診項目は用紙共々全国統一して、地域毎の特性をカバーするための項目はオプションとして自治体あるいは個人が選択できると良いと思う。全国的に見た場合、各自治体が独自に検査項目を決め、用紙を作る業務量は決して少なくはない。無駄は省きたい。

2012年4月24日火曜日

IMF

G20で明らかになったIMFへの拠出がニッポンがダントツで多く、その結果他の諸国からも拠出表明が出て、欧州危機解決への時間的なゆとりが少し増えたらしい。普通の新聞ではあまり大きいニュースにはならなかったけれど、この行動は最近のニッポンにしてみると実に上手くやったもんだと思う。ニッポンの今の経済的な苦境は、輸出で稼ぐという旧来のやり方を、周囲の新興国や中国の発展を横目で眺めながら警戒感を持たずに昔のまま続けていたところが、襲ってきた円高のために、いつの間にか無くなっていた国際競争力がさらにダメージを受けて四苦八苦しているといったところだ。この20年というものは政治のエネルギーが国内の政争に費やされてしまい、国際競争力でがんばっても選挙では勝てない政治家が出来てしまったし、我々も選挙だけ勝てば良いと考える政治家を作ってしまった。資源が無く、マンパワーも少なくとも数に関してはこれから減少するこの国では、国と国との交渉をどうやってニッポンに有利に進めるかは、とても難しいけれど絶対必要なことだ。交渉自体には資源が必須であるわけではなく、必須なのはそういうことに秀でた頭脳をいかにゲットするか、あるいは育てるかだろう。残念ながら、選挙で国際問題を第一に訴えるような立候補者を最近見たことないし、ちょっと前までの政権における国際問題のプロみたいな人は、どうみてもUSAの使い走りみたいだった。USAにしてみれば、Japan as No.1とおだてることが出来た時代には、ニッポンが稼いだものをどうやって収奪すれば良いかを考えればよかったし、逆らえば恐ろしいことが待っているのはロッキード疑獄や、アメリカ国債を売っちゃうぞ発言をしちゃった人がたどった道をみれば明らかだ。大統領のまえで大歌手の真似をする(最初は真似とは思えず、踊った後反省する猿軍団のお猿さんかと思ったけど)ひとのUSAに対する気持ちがどのくらい屈折しているのかはわからないけれど、USAにしてみればとてもわかりやすいひとだったのだろう。与党と野党が入れ替わり、はじめの頃はtrust meとつぶらな瞳で言ってのけるひともいたけれど、現在の政権は海外から見ると、きっと今まで以上に何を考えているかわからない政権だと思う。TPPだって、USAが言うからいちおう参加しそうな雰囲気はみせているけれど、そこからの交渉はとてものんびりしていて、拙速を避けると言えば聞こえはいいが、やる気ないんでしょ、本当は、といいたくなる。でも、それはそれでいい。あれで喜ぶのは現時点ではUSAだけで、ニッポンがあれでいい思いをするには、もっと腰を据えて国内外の環境作りをしなければならないだろう。そんなとき、IMFへの拠出は、EUがこれで少しでも短時間でも安定すれば円高が弱まる可能性がある。一番良かったのは、ニッポンのプレゼンスを新興国と中国にちょっとだけ示せたことだ。何兆円をどぶに捨てるわけではないのだし、以前介入して買った外貨を使える機会でもある。安住財務大臣が株を上げた。

2012年4月21日土曜日

井上病院院長就任お披露目会

130年の歴史を誇るニッポンで一番有名な個人の眼科病院に、新しい院長が誕生したということでお招き頂いた大パーティは参加者数百人の盛会だった。井上理事長が院長を兼任して、いよいよ本格的な現体制が始まるということであろうが、益々の発展を祈念してやまない。明治の初めから病院を造り、経営して発展させて現在に至っているということは、親から子への事業の申し送りというか伝承というか、世代をつなぐ意志が脈々と続くことが必要なわけで、それを実現させてきた一族の方々すべての思考と努力はすごいものだと思う。そういう空気が家庭内に充ち満ちていればこそのことかも知れないが、一族の方向性について共通の目的意識を持ち続けている、そのことにかなり感動する。振り返って我が家のご先祖をみると、江戸時代から御殿医あるいは町医者を細々と続けてきたらしいけれど、進む方向の一貫性についてはなんとなくあやふやな感が否めない。一貫性の無いことを方向性として一貫して持つという選択肢ももちろんあるけれども、その場合、個人の満足感は満たされるかも知れないが、一族の一員として見た場合の達成感は減りそうだ。

2012年4月15日日曜日

甘く見た京都


桜が満開の京都を初めて訪れた。鴨川端、平安神宮、琵琶湖疎水まわり、インクライン、円山公園(円山公園から知恩院あたりの桜は残念ながら散り始めており、でも、新緑がきれいだった)、どこへ行っても美しい桜にあふれているこの古都のこの季節は本当に素晴らしい。桜の咲き方が何気ない。どう表現したら良いのかわからないのだが、都(みやこ)全体が春めいているとでも言えば良いのだろうか。東京にも桜の名所はいくつもあるけれど、多くの場合桜の花だけががんばっていて、周りがそれに同調してくれていない。そんな違いがあるように思う。内科学会でこれだけ講演をまじめに聞いたのが久し振りなら、合間にこれだけ歩き回ったのも初めてだ。歩いていて、京都が水に恵まれた街であることがよくわかった。これだけ大きな都市で中心部を流れる川の水がこれだけきれいなのに感嘆する。昨日夕方通った弁財天近くの白川の流れとその周りの町並みの粋なことといったらない。近くの割烹で旬の食材だけを使ったと言ってもいい楽しい美味しい食事を食し、カウンターの客同士楽しいひとときを過ごした。後で調べたらミシュラン二つ星。ふーん。今日は、午前中はしっかり講演を聴いて勉強し、午後は知り合った陶芸家の作品を楽しむことと醍醐寺のしだれ桜を見るつもりでいたのだが、京都駅周りが恐ろしい混雑で、荷物を預けることもままならず、結局昼食後まもなく新幹線に乗ってしまった。宿題が残った旅行だった。

2012年4月11日水曜日

AED

ガミラスの戦闘機のように波状におそってくるCMの間隙を縫って、地上波初上映のキムタク君の宇宙戦艦ヤマトを見ている。荒唐無稽な青春映画と言えば良いのか、どんな素晴らしいCGを駆使していてもコミックにはかなわないと言うべきなのか、star wars や matrix はかけた金の桁が違うからすごいのだ、と言うべきなのか、なんとも中途半端と言う印象の映画だ。テクノロジーも血も涙も笑いもマジメに全部均等に入れるとこうなるのだろう。そのなかでAEDが一瞬ではあるが登場した。極道の妻の足を洗って女医になったタカシマさんが、心肺停止状態の今は幸せ一杯のメイサさんのところに駆けつけるところだ。キムタク君の愛情で生き返ったために使わずに済んだが、Mission impossible や Casino royale でも結構重要なところで登場するAEDは、死ぬか生きるかを問題にする映画では結構重宝するアイテムみたいだ。

2012年4月7日土曜日

東海消化器研究会

6,7年前にお招きを受けて当院開業時のもくろみやいきさつについてPPTを使って1時間もお話しさせて頂いて以来ひさしぶりの参加だった。この間少しずつではあるが着実に進化し、業績も上向き調子なので、開業先輩の諸氏と楽しく語らうことが出来た。残念なのは、数年前に第6内科のM教授が逝去しその温和なお顔を見ることが出来なかったことである。講演の内容はきわめて質が高く、まれな症例の報告と、慢性肝炎の治療についての最新の知見を網羅した発表であったが、後者はあくまで第3者としての偏らない講演であったために、研究当事者の発表に見られがちな独善的な味付けが全くなく、現在・過去・近未来にわたっての現実と希望が明らかにされた名講演だったと思う。
講演後の会では、今回の診療報酬改定にあたり、処方すべてを一般名にしたという話がでたが、その処方箋を受けた薬剤師は大変だ。薬探しと窓口での説明で参っちゃうのではないかな。それにしても、レセコンがまだ完全には対応できず、一般名入力ができない薬剤があるという話は、あちこちで聞く。昔あった診療5分間ルールではないが、小手先の技が多いのは厚労省の体質か。

2012年3月26日月曜日

梅の花

坪庭の梅が例年よりちょっと遅く満開である。冬には直接の日差しがほとんどないために、周りの家々の梅よりいつも1週間くらい遅く咲くのだが、今年は周りも遅くあまり差がなかったみたいだ。昨年は初夏と秋にかなりきつい剪定をしたのが良かったのかもしれない。「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」と母が元気な頃毎年この季節になると言っていたのを思い出す。葉が無いこの時期にみえる画面右下の鳥の巣は昨年夏に作られたものだが結局使われずに今に至っている。草の葉と荷造り用の白い紐で作られた巣は度重なる暴風雨にも壊れず残っている。我が家より丈夫かも。