2015年12月31日木曜日
空振り?
自院での休日応急診療を久しぶりに引き受けた。普段より早い9時に開院したが、早く来すぎたスタッフはビルの入り口の施錠に出くわして、朝の寒気のなか、立って待っていてくれた。ドアを開けて早々に電話が鳴り、数名の患者が来院。インフルエンザ1名、風邪・胃腸炎数名。子供4割、成人6割と言ったところか。十数名の診察終了後、九段下に休日応急診療所の12月分レセプトチェックに出向いたところ、元会長が一所懸命診療しておられた。大混雑ではないのでほっとして、キットカットをいただいて退場。今シーズンはインフルエンザの流行が遅く、楽をすることができた。
2015年12月30日水曜日
barrelの中に入ったような
赤坂にあったときは天井が高くて解放感のある宮殿風の店内だったローリーズプライムリブ、恵比寿に移ってから初めての訪問である。5時15分前に着いたらまだ入り口が閉まっていたので、向かいの三越の食品売り場で商品のお値段の高いのにびっくりしながら時間をつぶした。5時数分前に開場、バーで一杯飲みながら待つこと数分で息子夫婦も到着し、個室での食事が始まった。スタッフに伺うとワイン樽の内側をイメージした内装とのことで、確かに茶色の横板で壁と天井がデコレートされ、樽の中に入った気分。照明の暗さもあってとてもしらふでいられない。ローストビーフの味はとてもよろしく、ワインも進み、結局4人でワイン2本、そのあとブランデーとカルバドスもいただいた。孫は持参のママ特製弁当を食べながらおもちゃとトーマスのDVDに夢中で、後半は静かになり、大晦日近くの大人の時間が終わった。
2015年12月21日月曜日
都医懇親会
先週は外食が続きちょっと疲れ気味だったので、今日はビュフェスタイルをさらっと済ませようと思っていたが、600人を超える参加者のパーティともなるとこちらの思い通りにはいかなかった。圧力団体としての都医の存在感が議会の現場でどのようなものかは知らないけれど、集票マシンとしては意味があるのだろう。医師会長、自治体首領、国から地方までの議会の議員が多く参加して、圧力側としてはパワーの誇示が必要なのは当然で、なんのかのの紹介、一言などなどで1時間をゆうに超えた。区医師会のおなじみのメンバーと立ち話をしながら時間をつぶし、ビュフェスタイルとしてはかなり美味しい食事をつまんで、現場を後にした。帰る前に次期選挙での立候補予定の彼女とハグしたのが大きな収穫だった。
2015年12月18日金曜日
2015年12月16日水曜日
2015年12月15日火曜日
2015年12月14日月曜日
レントゲン二重読影
二ヶ月に1回の胸部レントゲン二重読影。本日の仕事量は88人分で、前回との比較が半分以上なので150枚弱の胸部レントゲンをN先生と二人で読影した。喀痰の細胞診とともに肺癌検診の重要な構成要素だからそれなりにマジメに取り組むと、消化器内科系の自分としては呼吸器科あるいは放射線診断専門医と共同でなければとても責をまっとうできないことが実感される。今日のこのくらいの仕事量でもそれが限界だ。肺癌検診受診率が低いからと肺癌検診を検診受診者に必須とする見解をどこかできいたけれど、それならば胃がん検診と大腸がん検診を必須としない見解を訊きたいものだ。受診者の負担を増やさずに済むからというのが理由であるならば、実施側の負担についてはどう考えているのか。いずれにしても来年度は毎週1回の読影と担当医にとっては月1回の出席が必要だろう。
2015年12月12日土曜日
抜け弁天のふぐ
昨年は退院の数日後にでかけ、店の裏口を入って急階段を手すりにつかまりながら昇り、病み上がりの身には河豚料理が思いの外優しく食べられることがわかって心が和んだ覚えがある。今日は、その1年後ということで、昨年に引き続いて同じ店を幹事殿が予約した。前回の屋根裏部屋風の座敷と異なって、今年は1Fの奥の座敷がリザーブされていた。1977年伊勢原に内科助手として赴任してすぐの思い出から始まって、東京病院での出来事等々、こちらが忘れてしまったことなどを教え子たちはよくもしっかり覚えていてくれて、もちろん、楽しいこともあり苦しいこともありだったけれど、今となってみるとほとんどが懐かしい思い出、忘れられない記憶として残っているようだ。思わず目頭がちょっと熱くなった。めうがには味がかなうはずもないけれど、ボリューム満点のコース料理はまさに山盛りで、しっかり焦げ目が付いたひれのひれ酒の美味しさと相まって、おしゃべりの種を尽きさせない。現時点でのこちらの身の具合に喜んでくれる皆の将来に幸せあることを願う。
2015年12月10日木曜日
2015年12月9日水曜日
千代田区新型インフルエンザ等対策医療連携会議
昔のブロック会議が、おそらく参加者数が多く、しかも生活圏行動圏が異なる地域のメンバーが集まったために、調整がむずかしかったことから、ブロック会議はブロック内各保健所と保健局の連絡会議的な目的にして、各区で地域的な専門家会議を立ち上げた結果がこの会議の開催に至ったものだと思う。そうなると、会議の性格としては保健所がメンバーの意見を聴いてそれをブロック会議に上げることが主になる。そのためか、あるいは差し迫った疾患の流行がないためか、じつに軽いノリで会議は進行した。本来、会議は本当なら喧嘩か戦争になるのを血を見ずに済ませようという目的で開くものだから、オープニングと最後の締めは笑いがあったほうが良いけれど、中身ではかなり緊迫して当然だ。それなのに、なによりも笑う意味がないところで議長が笑顔で会議を進めるし、議題の資料を作った職員本人が質問に対してコピペしただけなのでわかりませんという応答をするなど、大学で忙しい時間に無理矢理会議を開いた経験があるこちらとしては、とても許せない2時間の無駄遣いに思えた。最後に、ブロック会議の結果を速やかに教えてほしい旨発言して課長の返事を得たが、実際に流行が始まった場合果たして機能するのだろうか。
2015年12月6日日曜日
a happy birthday
2015年12月4日金曜日
2015年12月1日火曜日
2015年11月27日金曜日
2015年11月17日火曜日
2015年11月16日月曜日
またもビストロひつじや
今日のお相手はフィジカルトレーナーを生業とするお二人で、いろいろなチームと契約してクライアントのべストコンディションの維持に努めているという。話題は最初に加圧トレーニングのやり方について。加圧テープ付きのトレーニングシャツを初めて見た。静脈うっ血の結果組織内の乳酸が増加し、最終的にHGHが増加して筋肉量が増えるらしい。しかし、HGHはがん細胞の増殖も促進させる可能性があり、要注意とのこと。やれやれ。
ワインの値段はカルチュアショックだったようで、カリフォルニアのスパークリングから始まって、モルドバの赤、グルジアの赤、イタリアの赤と、大宴会になった。ラムのカルパッチョ、香草入ったサラダ、アンチョビソースとニンニクで炒めたイカ、ラムのグリル、クスクスと、好き嫌いが大きく分かれそうな料理で盛り上がった。
ワインの値段はカルチュアショックだったようで、カリフォルニアのスパークリングから始まって、モルドバの赤、グルジアの赤、イタリアの赤と、大宴会になった。ラムのカルパッチョ、香草入ったサラダ、アンチョビソースとニンニクで炒めたイカ、ラムのグリル、クスクスと、好き嫌いが大きく分かれそうな料理で盛り上がった。
2015年11月10日火曜日
SANKOUENの餃子
名前からして焼肉屋だと思い込み、煙がついても構わない服を着て行ったら中華料理店なので、ほっとしたような、本当は焼肉でもよかったのでちょっとがっかりしながら着席した。
定型のお皿はフツーだと思うけれど、真ん中あたりで出てきた餃子の美味しさにビックリ。当然のお替りをお願いし、それでももっと食べたかったのだけれど我慢した。最後に焼きそばとチャーハンをエンジョイしてお開きは、ちょうど良い腹心地で、式典終わってからもここまでのソームブチョーの気配りに感激して帰路に着いた。
定型のお皿はフツーだと思うけれど、真ん中あたりで出てきた餃子の美味しさにビックリ。当然のお替りをお願いし、それでももっと食べたかったのだけれど我慢した。最後に焼きそばとチャーハンをエンジョイしてお開きは、ちょうど良い腹心地で、式典終わってからもここまでのソームブチョーの気配りに感激して帰路に着いた。
2015年11月8日日曜日
やっぱり美味しいジュエルロプション
成人のお祝いでお招きいただいたジュエルロプション。
以前S夫妻との会食は2階だったけれど、今日は3階の個室に集合である。医師3名、慶応卒5名、その他いろいろの老若男女が集まっての会は、多くが楼蘭、藤田屋、資生堂での顔なじみとは言え、今回はお嬢様の成人祝いということで、なごやかさ、明るさが少しアップしている。
それにしてもこのレストランの手抜きの無さには感嘆するしかない。グラスの底の生うにのちょっと冷えた心地よさに舌が到達するまでのジェリとの間の温度差は絶妙だし、フォアグラの載ったリゾットの温度と味も最高だった。選ばれたワインはホストの好みか比較的軽やかだったが、ここのワインリストのお値段表を考えると、良い組み合わせだと思う。
食事とおしゃべりの時間が終わり、恵比寿駅までの長い通路も我慢できた。
以前S夫妻との会食は2階だったけれど、今日は3階の個室に集合である。医師3名、慶応卒5名、その他いろいろの老若男女が集まっての会は、多くが楼蘭、藤田屋、資生堂での顔なじみとは言え、今回はお嬢様の成人祝いということで、なごやかさ、明るさが少しアップしている。
それにしてもこのレストランの手抜きの無さには感嘆するしかない。グラスの底の生うにのちょっと冷えた心地よさに舌が到達するまでのジェリとの間の温度差は絶妙だし、フォアグラの載ったリゾットの温度と味も最高だった。選ばれたワインはホストの好みか比較的軽やかだったが、ここのワインリストのお値段表を考えると、良い組み合わせだと思う。
食事とおしゃべりの時間が終わり、恵比寿駅までの長い通路も我慢できた。
2015年10月31日土曜日
10周年毎の見栄のはりかた
10年毎の記念式典をする必要があるのか、なぜするのかという議論は幸いなことに闘病中に済んでいて(多分)、準備委員会に出席したのは年明けしばらくしてからだったから、あんまり大きな事は言えないけれど、会議の進み方のゆっくりさ加減に最初は驚いた。そこら辺のスピードは実は委員長から事務方への指示で決まることが多く、この規模の委員会であればそれ自体はスムーズに行くことが多い。だから、中間期の事務方の奮闘は大変なものだったと思う。委員会そのものでの議論内容は毎回じつにかわいいものだった。でも、暑い夏が終わり秋風が吹く頃になってさすがに議論内容も少しマジメになり、ホテルマンの参画を得た時期から式典の具体化が一気に進んだように思う。さすがである。50年記念式典には出席していない(この地で仕事初めて6ヶ月の時点だった)ので、何をどうするのか皆目わからない状況で参加させていただいたが、いろいろな意味で良い経験だった。
自分自身、開会の挨拶では一所懸命覚えたセリフを少しかんでしまったし、会長の原稿を読む手は震えていたし、その前の記念講演は内容は良かったけれどスライドは完全に上から目線で読みづらかった、などなどいろいろある。でも、進行役の司会の滑らかさ(8時50分に地下鉄日比谷駅改札口に着いたのでビックリ)、来賓の方々の祝辞の簡潔さと料理の質と手際の良さは素晴らしかった。そして、永年功労者の方々が名前を呼ばれて立ち上がった時のあの笑顔、スピーチの楽しさを見て聴いて、やっぱりやって良かったね、という気がした。容れ物としてのホテルの素晴らしさも一役買っていたのは当然だ。
見栄張ってるねと言われても構わない。
ファミレスかマックで感謝状を渡されてもこうはいかないだろう。しかし、今回は結構な費用負担を会員にお願いしたわけで、これに関する議論は今後、10年後のためにしておく必要はあると思う。某地区医師会長から訊かれた。「おたく公益法人でしょ?お金どうしたの?」
自分自身、開会の挨拶では一所懸命覚えたセリフを少しかんでしまったし、会長の原稿を読む手は震えていたし、その前の記念講演は内容は良かったけれどスライドは完全に上から目線で読みづらかった、などなどいろいろある。でも、進行役の司会の滑らかさ(8時50分に地下鉄日比谷駅改札口に着いたのでビックリ)、来賓の方々の祝辞の簡潔さと料理の質と手際の良さは素晴らしかった。そして、永年功労者の方々が名前を呼ばれて立ち上がった時のあの笑顔、スピーチの楽しさを見て聴いて、やっぱりやって良かったね、という気がした。容れ物としてのホテルの素晴らしさも一役買っていたのは当然だ。
見栄張ってるねと言われても構わない。
ファミレスかマックで感謝状を渡されてもこうはいかないだろう。しかし、今回は結構な費用負担を会員にお願いしたわけで、これに関する議論は今後、10年後のためにしておく必要はあると思う。某地区医師会長から訊かれた。「おたく公益法人でしょ?お金どうしたの?」
2015年10月24日土曜日
こんなのはオリンピックに出て欲しくない
女子ハンドボールアジア予選を観戦した。これで1位になればリオ行が決定するそうだ。ハンドボールは高校時代に体育の授業で数回したことがあるだけで、あとは縁遠かった。家内の仕事がたまたま名古屋でのその試合の時になったので、あとから遅れて合流した。こちらは2500円払って観客席、家内はVIP席とか選手出退場口とかをジャケット姿で歩き回っている。観たのは対ウズベキスタン戦である。ホームのニッポンの方が絶対有利だし強いと思って気楽に構えて観戦した。バチバチのうるさい音に耐えつつ応援したが、最初のうちほど有利に展開していたけれど途中から雲行きが怪しい。同点、逆転、再逆転のハラハラし通しで時間が経過した。最初は動きが俊敏だったけれど、途中からキレが悪くなり、そうなるとフィジカルに勝る相手に感嘆にブロックされることが多くなる。あと3分の終了間際同点で攻撃中に恐ろしいことが起きた。センターから横にパスしたら、受け手がボールを見ていなくてボールは腕をかすめて場外に転がった。相手の得点に絡まなかったのはほんとにラッキーだったと思う。その直後僅差で勝ったから良いようなもの、あれで負けていたら戦犯になったのは確実だ。こんなのはオリンピックに出て欲しくない。
2015年10月20日火曜日
医療連携の会(S病院)
S病院の医療連携の会はいつものことながらにぎやかだった。組織の理事長が出席する場合にはことさら力が入っているように思われる。外科統括部長の鏡視下腹部手術の話は消化器病医以外の医者には結構面白いレベルだったし、なによりも話し方の素人っぽさが、司会の副院長先生の立ち居振る舞いと一緒になって場を和やかに保っていた。
懇親会でも院長をはじめとして形式ばらない気楽な雰囲気のスピーチが続き、結果として後半の病院スタッフのスピーチのころにはしっかり聴く人はごくわずかということになったけれど、それはそれでいいのだと思う。会場の人込みの中に懐かしい顔を見つけたので急接近。同期の慶大元教授は、こちらの病気のうわさを当然知っていて、こちらから話しかけなかったら言葉がでなかったみたいだ。退職後の新しい職場はコープオリンピア裏あたりにできた九州資本によるリハビリ病院で、スタッフをたくさん引き連れてのご出席はなんなのよと聞いたらS病院からの患者紹介がそれなりにあるとのこと。S病院院長、医師会長などなど紹介しつつ久しぶりの邂逅を楽しんだ。
会のお開きの後はおなじみの仲間とバーのテラス席でのおしゃべり。いつもの面子、いつもの話題であるけれど、それなりの安心感に包まれた小世界だった。
懇親会でも院長をはじめとして形式ばらない気楽な雰囲気のスピーチが続き、結果として後半の病院スタッフのスピーチのころにはしっかり聴く人はごくわずかということになったけれど、それはそれでいいのだと思う。会場の人込みの中に懐かしい顔を見つけたので急接近。同期の慶大元教授は、こちらの病気のうわさを当然知っていて、こちらから話しかけなかったら言葉がでなかったみたいだ。退職後の新しい職場はコープオリンピア裏あたりにできた九州資本によるリハビリ病院で、スタッフをたくさん引き連れてのご出席はなんなのよと聞いたらS病院からの患者紹介がそれなりにあるとのこと。S病院院長、医師会長などなど紹介しつつ久しぶりの邂逅を楽しんだ。
会のお開きの後はおなじみの仲間とバーのテラス席でのおしゃべり。いつもの面子、いつもの話題であるけれど、それなりの安心感に包まれた小世界だった。
2015年10月3日土曜日
B(-)級グルメ?
明日早暁から伊勢原で仕事する家内を見送りがてらシモキタで食事した。地名と肉でググってヒットした店の入り口は本格派のB級グルメかもと期待をもたせるデコレーション。新宿と高田馬場の同じような店が系列店とくれば期待感はますます高まって店に入った。内装もあたかも焼け跡になったビルを思わせおどろおどろしい。メニューを見ていろいろあるビールがちょっと高めだと思ったが、とりあえずベルギービールとメキシコビールをオーダーし、飲みながら料理をえらぶことにした。全体的にはジビエ料理とホルモンを一緒にしたようなもので、パテ数種類、ホルモンのアヒージョ、パクチーサラダ、カモ肉のパイ包みを選んだが、どれもボリューム感に乏しく、味もいまいちだった。
2015年9月29日火曜日
C型肝炎、医療費助成
久し振りの都庁会議室。都庁ビル、夜は入り口を制限しておりしかも今外装の工事中らしくてビル内に入るのに少し手間取った。ハーボニーの登場で、さらに現在治験進行中の数種類の薬剤が使用可能になれば、c型肝炎の絶滅も夢ではないだろう。お値段が高いのが欠点と言えば言えるが、治療に対する助成が決定されたことでの説明会というわけで招集がかかり出席した。福祉保健局からの説明に引き続いては日赤I副院長、T病院K分院長の講演で、いずれもあちこちで話しまくっていそうな内容ではあったが、そのあちこちに行っていない身としては役に立った気がした。
面白かったのは質疑応答での局からのお答えが実にお役所的であったことだ。地区での集まりの答え方と同じで思わず笑ってしまった。
面白かったのは質疑応答での局からのお答えが実にお役所的であったことだ。地区での集まりの答え方と同じで思わず笑ってしまった。
2015年9月28日月曜日
正答のない問題解き
百数十名のパーティの席次を決めるのは初めてだが、とっても面倒くさい仕事であることがわかった。とくに今回は来賓がやたら多いので、気配り気遣いがハンパでなく、僕の性格に合った仕事ではない。と言っても誰に向いた仕事でも無いことがよくわかるので、立場上参加したが、このエリアの特性に疎い身にはきつい。それにしても、筆頭副会長、会長のそこら辺の情報の濃さ、気配りの素晴らしさには頭が下がる。一時間超で何とか完成した。来週最終チェックするが、こういうことを気にする人が多少はいても気にせずに突っ走って、なにか言われたら、ハイごめんなさい、で済ますのが一番良いと思う。
2015年9月19日土曜日
ようやく完成
確か7月頃にセルフトレーニング問題を受け取って、以後コツコツとこなしてきた50問。締め切り10日前になってようやく完成した。「自宅学習を意図した問題集です」と説明書きに記載するだけあって、いろいろ調べまくらなければならないことは確かだ。学習なしでやってみると、消化器分野の出題には何とか答えられたけれど、他の分野の問題では予想正答率40%行くか行かないかという、さいころの眼で決めるより多少良いかと言う程度の出来だった。そこから先はクイズ・ミリオネアのライフラインではないけれど、学会雑誌、学会ウェブサイト、各種ガイドライン、2チャンネル、専門医の知り合い、などなど、思いつくあらゆる手段を使っての自宅学習が始まった。5年前のセルトレでは確か70%位の正答率だった覚えがある。そのときと同様、予想は90%なのだが、どうなるかお楽しみ。
総合内科専門医にとっては更新必須の企画ではあるが、問題を見ると、それこそはその分野の先生にお任せするべきだと思うものもある。せめて出題者におかれては専門分野の認定医のみならず総合内科専門医であってほしい。
総合内科専門医にとっては更新必須の企画ではあるが、問題を見ると、それこそはその分野の先生にお任せするべきだと思うものもある。せめて出題者におかれては専門分野の認定医のみならず総合内科専門医であってほしい。
2015年8月28日金曜日
ascending cholangitis
思い返せば月曜日24日夜に軽度の熱感があった。日中風邪の患者を多く見たので、風邪がうつったかと思ってそのまま寝たのだけれど、翌25日になって39度の発熱あり。浮遊感のなかで診療し、総務ブチョーにその夜の会と週末のコンペを欠席することをメールし、ご承諾をいただいた。5時半診療終了後信濃町の病院救急外来に向かう。最初の診察は若い内科のドクター。発熱と倦怠感が主症状だったけれど、ちょっと寂しいので来院時の用紙には腹部疾患らしく腹痛を加えておいたためか、腹部の診察をしっかりやってくれた。でも、上行性胆管炎の早期診断はとてもむずかしい。そのくせスピーディに進行し重症化するのでmedical emerjencyにカテゴライズされているんだ。結局「何だと思います?」と尋ねられて、「胆管炎ですよ」と答える羽目になった。しばらくして外科救急担当医のチームが登場。肝胆膵チームの主治医とも連絡がとれたみたいで、診察の後、一般採血、血培、胸部腹部レントゲン、エコー、造影CTと一気に検査が進み、ラインを入れてメロペン流して病棟に上がったのが10時過ぎだった。病室では主治医も登場してくれて、まだ早期の胆管炎とのご託宣いただいた。
幸い抗生物質が著効して、翌水曜日朝には少し解熱、夕方には微熱程度になり、すべての症状が消失した。木曜日の夜から食事がスタートし、金曜日にめでたく退院することができた。この間にMRCPも施行してもらえ、術後1年間近の諸検査が一通り終了して結果もよくほっとした。
しかし、今後もこういう突然の余計な合併症がおきると結構めんどくさい。当分の間現行のリハビリ勤務でいくしかないみたいだ。人件費がかかるけれど仕方が無い。
幸い抗生物質が著効して、翌水曜日朝には少し解熱、夕方には微熱程度になり、すべての症状が消失した。木曜日の夜から食事がスタートし、金曜日にめでたく退院することができた。この間にMRCPも施行してもらえ、術後1年間近の諸検査が一通り終了して結果もよくほっとした。
しかし、今後もこういう突然の余計な合併症がおきると結構めんどくさい。当分の間現行のリハビリ勤務でいくしかないみたいだ。人件費がかかるけれど仕方が無い。
2015年8月14日金曜日
ドレスデン
いぜんドレスデンを訪れた時は、第二次大戦での無差別爆撃で破壊されたFrauenkircheが未完成であったけれど、数年前に修復されて荘厳な姿を見せてくれていた。前回見ることができなかったZwinger宮殿の博物館も今度はしっかり見物できた。それにしてもこれらの都市が形成された時代のドイツの各都市への富の集積はとんでもないものだったことがよくわかる。
ついでに訪れたマイセン工房はドレスデン中央からローカルで数駅で着いた。駅から歩くこと約15分、市街地の中心にある工房は見物客を飽きさせずにあわよくば素晴らしい陶器を買わせようと、じつに懇切丁寧で実際の制作過程を見せてくれる時も日本語の説明付で不便を感じさせない。
ついでに訪れたマイセン工房はドレスデン中央からローカルで数駅で着いた。駅から歩くこと約15分、市街地の中心にある工房は見物客を飽きさせずにあわよくば素晴らしい陶器を買わせようと、じつに懇切丁寧で実際の制作過程を見せてくれる時も日本語の説明付で不便を感じさせない。
2015年8月13日木曜日
ヴリュツベルグ
今回の旅行を設計中に初めて知った街であるWürzburgの駅に到着し、タクシーでホテルに向かう。なんとワイナリーに囲まれた小高い丘の上に立つ城と言うには小さいがとても立派な洋館がそのホテルだった。玄関では中世の騎士の甲冑がお出迎え、古城ということで3階建てでエレベーターは無く、重いスーツケースをスタッフが運んでくれた。夕方とは言ってもまだ日は高く,早速散歩に出ることにした。ライン河の支流のマイン河を中心に広がった街で、河沿いの平地には市街地が開け、その外側の斜面にワイナリーが広がっている。ホテルの周囲は一面葡萄畑で、畑の境界をトレッキングルートが走り、それに沿って歩いて行くと葡萄畑の手入れをしている人にであったり、地元の学生グループに出会ったりする。帰ってからホテル付属の室内プールで一泳ぎ、付属の庭で日差しを浴びる。幸せなひとときを過ごした後の夕食は,丘の上だから当然のことながら見晴らし抜群のテラスで、地元の野菜のサラダと、夫婦でポークとビーフを別々に頼み、地元の赤ワインでこれまた楽しく味わうことができた。
ついていなかったのは、夜になってもこの地方にしてはとんでもない暑さだったようで、緯度からしておそらく1年のうち364日は冷房はいらないんだろう、一晩中無力な扇風機と持参の扇子で過ごしたことだった。
次の日の朝も快晴で、新鮮な野菜、乳製品、加工肉、自家製パンを腹一杯食べて、なんとお昼のお弁当にとサンドイッチを作り、チェックアウトした。ドレスデン行きの列車の出発まで時間があったので、街の中心のmarket squareを訪れてまた別のブリュワリーのビールを楽しんだ。
2015年8月11日火曜日
ミュンヘンと現地ツアー
ミュンヘンでの予定はノイシュヴァンシュタイン城とヴィース教会という、定番中の定番である観光名所と、立ち寄りながらも見たことがないミュンヘン市内の見物だ。城と教会は現地ツアーを予約、ミュンヘン駅で集合しバスに乗る。フュッセン近くにあるノイシュバンシュタイン城は城撮影の絶景ポイントは工事中だったけれど、それ以外は修復後の綺麗な状態で見て回ることができた。ルードヴィヒ2世が作ったこの城が19世紀にどういう意義があったのかわからないが、戦略的な意味よりは良い景色と環境を楽しみたい王様のご意向に沿ったもののような気がする。その時代のとんでもない富の局在は確かなんだろう。でも、現在の賑わい方を見ると、当時はたいへんな浪費だったろうが、チャンと元は取れているようだ。
ヴィース教会は初めて行った。野原の真ん中に突然現れる教会は、中に入ってまたビックリ。ロココ調の内装ということで、フランス製骨董食器の中にはいってしまった心境だ。
翌日は予定を何も入れないでミュンヘン市内見物。河のほとりのVolksbadのプールで泳ぎ、英国庭園を散策し、宮殿の宝物を観光し、ビアガーデンでビールと行き当たりばったりに近い市電ツアーを楽しんだ。
ヴィース教会は初めて行った。野原の真ん中に突然現れる教会は、中に入ってまたビックリ。ロココ調の内装ということで、フランス製骨董食器の中にはいってしまった心境だ。
翌日は予定を何も入れないでミュンヘン市内見物。河のほとりのVolksbadのプールで泳ぎ、英国庭園を散策し、宮殿の宝物を観光し、ビアガーデンでビールと行き当たりばったりに近い市電ツアーを楽しんだ。
2015年8月9日日曜日
ケルン~ハイデルベルグ
ケルン大聖堂は鉄道駅のすぐ前にあるし、150mを超える高さの建築物は他にないので、行き着くのに困ることはない。外からみて壮大、内部をみてその荘厳さに圧倒される。市庁舎との間の街にはビアホール、レストラン、カフェが軒を並べている。大聖堂、市庁舎、ライン川河畔を歩き、昼過ぎにライン川に沿って走る列車に乗り込んだ。指定された席に田舎のおじさんおばさんが座っていたり、ハイデルベルグに停車する予定がキャンセルされたりのハプニングはあったが、ライン川沿岸の風景を楽しみ、乗り換えして無事にハイデルベルグ到着、夜は留学しているs先生ご夫妻とドイツのイタリアンを堪能した。
30年以上ぶりのハイデルベルグ。それだけ年数を経ても旧市街はあまり変化がないように見える。翌朝、メインストリート近くのホテルを出て、メインストリート全体を通り、古城に向かう。車道、表の登り道、裏の上り階段の三種類がルートだが、迷わず裏の上り階段を登った。1690年頃に占領したフランス軍に破壊された古城を見物し、ライン河の支流のネッカー河にかかる橋まで歩いて一休み。
留学中のご夫妻の住まいは旧市街、メインストリートを数十メートル入ったレジデンスだが、二階のテラスには葡萄の棚があり、まだ実は青いけれど沢山の房が垂れ下がっていた。1年間の研究生活の成果が上がることを祈る。
30年以上ぶりのハイデルベルグ。それだけ年数を経ても旧市街はあまり変化がないように見える。翌朝、メインストリート近くのホテルを出て、メインストリート全体を通り、古城に向かう。車道、表の登り道、裏の上り階段の三種類がルートだが、迷わず裏の上り階段を登った。1690年頃に占領したフランス軍に破壊された古城を見物し、ライン河の支流のネッカー河にかかる橋まで歩いて一休み。
留学中のご夫妻の住まいは旧市街、メインストリートを数十メートル入ったレジデンスだが、二階のテラスには葡萄の棚があり、まだ実は青いけれど沢山の房が垂れ下がっていた。1年間の研究生活の成果が上がることを祈る。
2015年7月13日月曜日
2015年6月20日土曜日
医療連携の会
中小病院が主催する医療連携大流行りの昨今、長く勤務していた大学病院も例外ではなかった。勤務していた時代にも既に病床稼働率をいかに上げるかで無い知恵を絞った覚えがあるが、相変わらず苦労しているようだ、ということで京プラ44fでの医療連携の会に出席した。今回は消化器一般外科の千野准教授による活動報告で、なんでもやりますという心意気を感じさせる講演ではあったが、消化器疾患の手術であっても種類によっては本院に移送してしまう科の性格が、地域医療連携のうえではネックになっていることを上層部になるほど意識していないように見える。懇親会での各科の医師紹介は、参加者のおしゃべりにかき消されてほとんど聞こえなかった。盛会ではあったけれど、効果はどうか。お土産の大学ロゴ入り瓦せんべいの味だけが印象に残った。
2015年6月19日金曜日
2015年6月12日金曜日
鎌倉を歩く
よもや行くことはないと思っていたけれど、鎌倉の寺社巡り【その1】を決行した。理由のひとつは、毎月不自由な足を引きずりながら2時間かけて診療を受けに来てくれるおばあちゃん患者さんから昨今の鎌倉の状況を聞く機会があって興味をひかれたこと、そして、術後のリハビリにちょうど良い歩行距離ではないかと思えたこと、また、もし外国の友人が来たら、安心して案内できる首都近郊観光地に思えたからだ。
昼前にJR渋谷駅から湘南新宿ライン逗子行きに乗車したが、約1時間の乗車時間は結構遠かった。一つ手前の北鎌倉駅下車、目の前に円覚寺をはじめとする数多くの寺院が集まっている地域だ。駅周囲の家々の静かな佇まいとは裏腹に駅はかなりの数の観光客で混雑している。幸い道しるべがしっかりしているので人の流れはスムーズだが、車道脇の歩道が狭くてすれ違いもようやくなので、ゆっくり歩きのグループが前にいたら追い越しに苦労する。とりあえず駅向かい側の東慶寺を参拝。庭の美しさに驚嘆。次いで円覚寺の広い境内を歩き回り、鎌倉の寺院はそれぞれが一つの谷を所有しているように見えることを実感した。円覚寺を出て線路際を南下して名月院に至る。昨年までのニュースを思い出し、混雑がすごいだろうと思っていたら案外スムースに庭に入ることができた。朝まで残った雨の影響で空いているのかな。紫陽花は満開で、これは素晴らしい。参道近くにお住まいの方々は良い環境でうらやましいが、シーズンは車での外出もままならないだろう。次は大渋滞のクルマの列を横目に見ながら鎌倉街道を南下して建長寺に到着した。仏殿前のビャクシンの大きさに驚く。樹齢700年とのこと。ここも境内を一回りして、次の鶴岡八幡宮をめざした。道際の地図によると、このあたりの寺院の尾根を縦走するようなハイキングコースがあるので、次回はそこを目的としよう。
鶴岡八幡宮では中央の舞殿で結婚式の真っ最中だった。形式は本格的だが360度開放感100%なのでとても明るい雰囲気がグッド。
数時間の歩きを終えて小町通りにはいり、鎌倉ビールを飲み歩きしつつ鎌倉駅に到着し、出発間際の電車に滑り込んで帰路についた
昼前にJR渋谷駅から湘南新宿ライン逗子行きに乗車したが、約1時間の乗車時間は結構遠かった。一つ手前の北鎌倉駅下車、目の前に円覚寺をはじめとする数多くの寺院が集まっている地域だ。駅周囲の家々の静かな佇まいとは裏腹に駅はかなりの数の観光客で混雑している。幸い道しるべがしっかりしているので人の流れはスムーズだが、車道脇の歩道が狭くてすれ違いもようやくなので、ゆっくり歩きのグループが前にいたら追い越しに苦労する。とりあえず駅向かい側の東慶寺を参拝。庭の美しさに驚嘆。次いで円覚寺の広い境内を歩き回り、鎌倉の寺院はそれぞれが一つの谷を所有しているように見えることを実感した。円覚寺を出て線路際を南下して名月院に至る。昨年までのニュースを思い出し、混雑がすごいだろうと思っていたら案外スムースに庭に入ることができた。朝まで残った雨の影響で空いているのかな。紫陽花は満開で、これは素晴らしい。参道近くにお住まいの方々は良い環境でうらやましいが、シーズンは車での外出もままならないだろう。次は大渋滞のクルマの列を横目に見ながら鎌倉街道を南下して建長寺に到着した。仏殿前のビャクシンの大きさに驚く。樹齢700年とのこと。ここも境内を一回りして、次の鶴岡八幡宮をめざした。道際の地図によると、このあたりの寺院の尾根を縦走するようなハイキングコースがあるので、次回はそこを目的としよう。
鶴岡八幡宮では中央の舞殿で結婚式の真っ最中だった。形式は本格的だが360度開放感100%なのでとても明るい雰囲気がグッド。
数時間の歩きを終えて小町通りにはいり、鎌倉ビールを飲み歩きしつつ鎌倉駅に到着し、出発間際の電車に滑り込んで帰路についた
2015年6月2日火曜日
ビストロうを金 at kitijoji
数年前、小金井CCのあと医師会の方々をお招きして以来のこの店は、50mも離れていない所に吉祥寺で3軒目の系列店を開店させるなど元気の良いグループの一員で、1号店である駅近くの居酒屋では料理の量に驚いた覚えがある。今夜の仲間はフィジカルトレーナー兼某社CEOのH氏。大のワイン好きで年1回イタリアに飲みに行くと言うからハンパじゃなさそうだ。あいにく、この店のワインはほとんどが2980円で、うんちくを傾けることもなく楽しく飲むのにうってつけだ。料理は飛び抜けて美味しいわけでもないけれど、フィジカルトレーニングの役に立つお話しをいろいろ聞きながら夜が更けた。
2015年5月30日土曜日
2015年5月28日木曜日
2015年5月27日水曜日
2015年5月25日月曜日
委託業務説明会
区民健診の業務委託で思うのだけれど、もっぱら内科標榜医がこのお仕事を引き受けているのは、健診の項目が主に心、肺、腎、肝、メタボ、がんなので当然なことだ。でも、これからの世の中は高齢者社会。高齢者にとっては視覚、聴覚といった感覚器と、歩くことや手を使う運動器のケアも大切だと思う。世の中、見えなくなって、聞こえなくなって眼科耳鼻咽喉科を受診する高齢者、歩くのが不自由になって整形外科にたどりつく高齢者は多い。これらの器官障害の早期診断が医療費抑制に効果があるとする理論はないものか。そうやって眼科、耳鼻咽喉科、整形外科医師の参加を仰ぐのもよいと思う。
2015年5月22日金曜日
超音波医学会学術集会
あと5年は専門医でいようと新高輪プリンスホテルの会場に行った。それにしても医師15000円、comedical 10000円は会費としてはお高いような気がする。この学会は医師以外の比率が高いので仕方がないのだろう。まじめな参加者が多いのか会場は結構混雑している。一般演題でもこちらの知らない用語が飛び交い、展示ブースのハイエンド機器は宇宙戦艦ヤマトの操舵室を思わせるのにビックリ。前回までは厚さ3cmぐらいある抄録集を抱えて右往左往していたが今年はそれもなくなり、iPadで見ることになった。
2015年5月19日火曜日
都立病院研修会
都立駒込病院の地区医師会・研修会に初めて出席した。月1回の頻度でおこなわれているこの研修会の開催通知は数ヶ月に1回づつまとめて郵送されてきていたが、ネックはなんと言っても足の便の悪さでついついパスしてしまっていた。会場入り口の受付机上には地区医師会ごとの記名用紙が7-8枚用意されていたが、神田医師会の用紙がなく、きいたら机の後ろの封筒から抜いてくれた。だいたいそういうものなんだと思いながら記名して会場に入ると先客は1名。10分後の開会時には15人くらい集まっていただろうか。講演は若手の女医さんの内科的な一般論から始まり、次が外科の手術と参加しているプロトコールの説明、最後が腫瘍科の医師による化学療法のお話しだった。フロアからの質問に答えられない内科医師のお話はさておき、外科の腹腔鏡手術画像はとても興味深く拝見でき、腫瘍科医師によるunresectable cancer の生存曲線の急降下度に今更ながら愕然として、ほとんど眠らずに拝聴できた。その方面の権威を呼ばずに自前で開催するこの種の講演会はそこの病院紹介には適していると思う。なんでこんなに出席者がすくないのだろうと思いつつ、病院を後にして本郷通りにでて地下鉄に乗った。
2015年5月15日金曜日
もうやめた
2015年5月13日水曜日
わかんな~い
以前帝国ホテルで20人程度の宴会を主催した時は宴会係と何度か打ち合わせ、しっかりしたセッティングに安堵して当日を迎えた覚えがある。秋の記念式典には150人の出席を見込んでいるとのことだから規模が違い単純比較はできないが、大規模宴会には慣れている会場のホテルだから心配はいらないだろう。打ち合わせさえしっかりしておけば。よくわからないのが予算の計算だ。100万では済まないし1億かかるわけでもないことはわかるし、収入の皮算用は多分7+αくらい、支出は多分8くらいでしっかりしたディナーが準備できるような気がする。ならば、割とゆとりある運営ができるはずだけれど、委員会では何となく節約モードが強くなってきているのが気になる。派手が良いとは言わないけれど、思い切り見栄えのする式典にするのがこの地域の医師会としてふさわしいと思う。へんにケチると次の10年間、酒の肴になる。あうんの呼吸の委員会より、ビジネスライクのミーティングの方が良い時もある。
2015年5月7日木曜日
トイスチャー vs. トイシャー など
大学病院時代一緒にお仕事させていただき、さらには鼻中隔湾曲手術もお任せしたS夫妻と久しぶりの会食。後楽別館の入り口には新しい看板ができて少しわかりやすくなったみたいだ。掘りごたつ形式のカウンターですでに待っていたご夫妻はどうも僕たちの結婚祝いでお声をかけてくれたみたいで、おめでとうございますと言われた時は僕の回復祝いかと戸惑ってしまった。先日、こちらから患者を紹介してその報告をいただいた時点で急きょ決まったこの食事会、家内もすぐに打ち解けて女性サイドの話はとどまるところを知らない。薄口醤油の容器が実験室の水差しを思わせるのが個人的な感想ではあるが、寿司そのものは相変わらず新鮮で大きく、いくらでも口に入る。おしゃべりしながらの寿司のスピードは術後の前庭部運動遅延にちょうどあっているのだろう。麺類でときどき出くわす突然の満腹感もなく、あっという間に時が過ぎた。なんとお土産もいただいた。靖国通りのゴンドラのパウンドケーキ、世界で一番おいしいとのトリュフチョコ。どう読んでもトイシャーだが、高島屋はトイスチャーということで売っているらしい。読み方はともかく、美味しかった。近いうちの再会を決めてお開きになった。
2015年5月4日月曜日
20年ぶりのスタンレー
2015年5月3日日曜日
lamma island 縦断
今日はマンションから目の前に見えるlamma island のトレッキングと行き着く予定地での海鮮料理を目当てに行動を開始した。朝食はハムとチーズを挟んだドイツパンで済ませ、タクシーで中環まで向かい出航間際のフェリーに乗船したのが丁度12時。約30分で島の東端にある小さい港に到着し、歩き始めた。長さ5km程度の島なので、アップダウンもそれほどきつくなく、子供連れも多いが、昨日と違って日差しが強い。巨木が少ない尾根道や海岸近くでは帽子とグラサンを忘れたことを後悔した。
途中、荒れた農家と手入れなしの畑としか見えないハーブガーデン付属のカフェでハーブティーを飲む。ステビアが入っていて甘みが美味しいが、ここで初めてステビアが人工甘味料ではないことを知った。
歩くこと約2時間、島の尾根道がようやく終わり、来た時と反対側に島々に囲まれた穏やかな入り江が見えてきた。水際にはレストランが並び、予想を超えた数の客が遅いランチを楽しんでいる。1/3は欧米人の家族かグループだ。行きつけの海鮮料理レストランに着席すると知人が挨拶に来た。nice to meet youの後、青島ビールで乾杯し、冷えた白ワインをオーダーする。通りには結構しっかりしたワイン店もあることから、かなり需要も多そうだ。お皿はゆで海老、揚げ豆腐、イカとホタテとフクロタケなどの炒め物、丸ごと魚の蒸し料理、チャーハンと続き、とにかくすべてが新鮮、超美味で、前日に引き続いて満足満腹であった。
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