2014年12月24日水曜日

退院

11月18日に手術、以後4週間の門注を24時間連続で受けていた間は、総食事量は通常の1/2以下だろう。少なくとも術後1週間は経口ほぼゼロで、以後漸増とはいっても、9月10月で食べ飽きた病院食に戻るだけだから食べる意欲は増えない。運動の制限も大きく、点滴架台つけた状態が1ヶ月続くと階段の登り方降り方を忘れてしまう。ベッドのクッションのひどさにも嫌気がさして、とにかく早く退院させてチョーダイと丁度1ヶ月経過の12月18日にめでたく退院した。退院前の採血でアルブミンはまだ3.5g/dlと軽度低値だけれど、最低の値だった2.0g/dlに比べれば著明改善しているし、ca19-9も完全に正常化していて、ガンはないですね、という執刀医の有り難いお言葉に、PKの怖さを一瞬だけども忘れてしまう。 退院二日目夜に出席した以前の病院の部下たちとの忘年会は、当然の事ながら快気祝いの会を兼ねることになった。各人の近況を伺うと、大学教授を筆頭に関連病院の中核として活躍している者、開業医など、皆はつらつとして元気が良い。近況から昔の思い出話へと話題は尽きず、こちらもしゃべりながら時間をかけて食べると思ったより楽で、締めのご飯以外は何とか食べられてほっとしたところでお開きとなった。
退院後の療養は温泉が一番ということで、今まではそれほど行きたいとも思わなかった熱海に行くことになった。環八の流れも良く、東名も空いていたので、あっという間に小田厚経由で小田原に到着したため、少し遅めの昼食は箱根富士屋ホテルに決定。どうせアラカルト一皿食べられるかどうかなので、二人で鱒のムニエルとビーフシチューを注文し、シェアしたが、ほぼ等量を食べるのに倍の時間がかかり、ちょっとがっかり。高低差のある、というより山の斜面に作られた庭の散策で足が痛くなったのにもがっかりした。 せっかく熱海の温泉ホテルに着いたのは良いが、門注のカテがネラトンの切れっ端をアンカーに腹壁に縫い付けられているために、フィルムでカバーされてはいるもののお湯につかる気にならず、結局半身浴で我慢することになった。カテの抜ける日が待ち遠しい。翌日はリハビリの一環として熱海港歩いて一周に疲れ果てた。

2014年11月11日火曜日

主治医がきもい

数か月前、10年来の患者さんから御嬢さんについての診療依頼があった。検診で乳房要精査とのこと。ご本人に来院いただき、世田谷区在住ではあったが、良い先生・きれいな病院だからということで当区内の某病院に診療を依頼した。こちらの治療で忘れていたが、今日仕事片付けで診療所にいたら、お父さんである僕の患者から電話があり、初診時に検査で散々待たされたり、主治医の先生がちょっときもいということで、別の医師をご希望された。こちらも、当初は僕より10年近く先輩の医師を紹介しようとしていたのだが、さすがにこれから先の経過観察も含めるとどうかと思い、現在働き盛りの医師を紹介したつもりだったが、残念だった。あの病院は病院全体として今一つなのかもしれない、主治医はいい先生だと思うけど。若い女性の医師選別思考過程はわからん。

2014年11月10日月曜日

SUVmax 4.2 → 3.9、手術日決定

4-5週間におよぶネオアジュバント(ケモラジ)治療の効果判定はdynamic CTとPET-CTだった。結果:転移なし。膵頭部付近の大きい脈管と接する所見も見られない。PET-CTでのhot spotにおけるSUVmaxは4.2から3.9へとちょっとだけ低下した。要するに、腫瘍の増大傾向はなく、糖代謝に関しての病巣部細胞の代謝活性が軽度低下した。SDであれば良いと考えていたけれど、PRとも取れる結果だ。ほっとした勢いで治療の予定をうかがった。14日に再入院して18日に手術である。術前の待機日に経腸成分栄養剤を1日600キロカロリー摂取して術前の栄養管理の有効性をみるという臨床研究のおまけつきだ。退院後体重は増加傾向を見せ始めているのでちょうど良い。どうせ術後は3週間ぐらいは満足なものは食えないだろうから、術前に一所懸命栄養摂取に励みましょう。

2014年11月4日火曜日

吉祥寺うおきん

信濃町でPET-CTが終了し会計を済ませたのが5時30分で、大急ぎで総武線に乗り吉祥寺に戻った。目的地はご存じうおきんの吉祥寺店である。吉祥寺にはうおきん系列の店が2軒あり、ひとつが今日向かううおきん、もう一つはビストロうおきんで、こちらは半年ほど前に小金井CCの後店員の若いお嬢さんをからかいながらヨーロッパ風料理とワインをしこたま飲んだところだ。今日予約済みのうおきんは駅から歩いて0分の場所にあり、電車で来る誰にとっても都合が良い。
今日のお相手は家内とその仕事仲間お二人で、息せき切って店に入ると数分前に3人集合していた。仲間のお二人はとってもふくよか大食漢、家内は食べるくせに太らない体質と対照的な体型が並んでいる。朝7時前にコストコで買ったラザーニャを食して以降、糖分を禁止されていたこちらとしては、とにかくの空腹感でたどり着いたところだ。次の治療を前にしての激励会を開いてくださるという有り難いお気持ちに感謝の意を述べつつ、全員が食べる気十分で好き勝手にオーダーした。名物刺身三点盛りから始まって、ハマグリ、薩摩揚げ、鮭のカマ、フライドポテト、etc.etc.。三点盛りなのに何故か六点盛りになっているのはテレビの特集でみていたのでやはりそうか、で済ませたが、鮭のカマ焼きはカマだけでなくボディもどっさり付属していて、目玉が好きの嫌いの言いながら食べ終わる頃にはかなり満腹感である。アルコール制限のため、中高年女性3人が升酒、焼酎割、など飲み続けるのを横目に食べていたら更にハラがきつくなってきた。皆さん今は元気に人生を楽しんでいるが、聴けばそれまでにどなたも本当に健康上辛い時期を過ごしてきている。数ヶ月後、同じような気持ちで快気祝いをしたいと思いつつ、二時間半の宴会がお開きとなった。4人で飲んで食べて合計13000円は激安であった。

2014年10月30日木曜日

肉フェス

今日も外来に顔を出し、旧来の患者さん数名を診察し、全員に「先生、お大事に」と言われた。自分の病気のムンテラに結構気を遣う。「胆管狭窄」「胆汁の通りが悪くなりました」「胆汁の通り道に小さなガンでもできたらしい」「膵臓になんかできたらしい」etc.。ENBDチューブを自慢してみせると、最初は多くの方が肺疾患を疑うらしい。胆嚢の側の胆管から、十二指腸・胃を通って食道経由で外に出てくるんですと、説明すると眼を丸くして聴いてくれる。さすがに、胆汁の味についての講釈は割愛した。 午後は昭和の森公園で開催されている肉フェスで、久し振りのピクニック気分に浸った。こういう催しがとても好きなわけではないけれど、この1-2週間は大学病院での検査で禁食が多いので、ヒマをみては食べておく必要がある。そして、自宅から近いことと、予想される週末の大混雑を避けられることがなんと言っても今日行くことにした最大の理由だ。吉祥寺駅で待ち合わせ、立川駅まで約15分。駅からのんびり歩いても10分かかるかどうかという近場の大公園の一部を使っての会場は、かなり広いけれど幸いなことにあまり混雑していない。まずはビールコーナーで好みのビールを購入。ザンネンだけれど今日は二人で1カップだけ。その後、中央に並ぶ30あまりの仮設店を、看板をみながら品定めして歩く。ステーキ、熟成肉、カルビ、焼き肉、肉汁、ソーセージ、などの肉店が全国からはせ参じて自慢の料理を叫んでいる。長蛇の待ち行列の店もあれば、0人待ちの店もあるのは当然だ。でも、値段の単位が原則700円に決まっているので、ステーキと言っても薄い肉を使わざるを得ず、結果としてただの焼き肉になっている事が多い。薄くて小さいから当然火は通り過ぎている。別の焼き肉店の一皿を買ってみたら血の気の失せた肉片が4切れと他はタマネギと薬味としての九条ネギだけというネギフェス状態だった。総じて割安感はなく、グループで来て少しずつ何種類も買って、広場中央の机でビール片手に爽やかな秋の空気を吸いながら時を過ごすのがベストであるという結論になった。雨の日、あるいは週末はきっと楽しくないだろう。やはり肉料理は肉の厚みと肉汁があってこそだのだ。

2014年10月25日土曜日

チューブ付だけど退院

肝機能が改善して術前治療の評価のための検査まですることがない。よって退院することになった。ENBDチューブの管理と、装着したままでの生活が爽やかと言うことはないが、何よりも2ヶ月間の入院生活に嫌気がさしてきていたので、喜んで逃げ出した。5frのチューブを最低2週間折らず切らずに保てるか。とにかくやってみましょう。

ステントの不都合

内部ステントになり、ENBDチューブが取れて顔面がすっきりしたのは良いが、肝機能がすっきりしない。ALTが300にまで上昇した。ビリルビンに変化無く、エコー上も著変なし。やむを得ずまたまたENBDチューブに逆戻りしたところ、途端に肝機能が改善した。腑に落ちない経過ではあるが仕方が無い。

2014年10月21日火曜日

ステント

入院して3回目の内視鏡は、ステントを総胆管に挿入して終了。例のごとく前処置がしっかりしていてほとんど何も感じなかったが、終了間際上腹部の痛みが一瞬あり、自分自身が同じ処置を病院でしまくっていた頃の経験から考えると、ステントをCBDに挿入する時の強い抵抗を感じた時のものだと思う。終了してENBDチューブがない顔面のさわやかさはなかなか良いものだ。胆汁の分泌圧は陽圧であり、十二指腸内腔は相対的に陰圧のことが多いはずだから、短期間で詰まることはないはずだけれど注意するに越したことは無いと思う。

2014年10月19日日曜日

井の頭散歩

50日ぶりに自宅に帰り、リハビリ目的で井の頭公園~吉祥寺を歩き回った。もちろんENBDチューブと廃液バッグをぶら下げてだ。顔にはマスク、廃液バッグはレジ袋に入れて家を出た。家近くは住宅街なので人通りも少なく気楽なものだったけれど、公園の中は休日とあって大混雑である。行き交う人も多く、どんな風に見られているのかをちょっと気にしつつ人混みをかき分ける。正面から見ると、右ほほに貼ってあるチューブ固定の絆創膏と胸の前を斜めに横切る5-6mm径の山吹色の液体が流れるチューブは、その眼で見れば結構目立つと思うが、それがそこに存在する理由をわかる人は多くないだろう。行き違う人の中にはこれを見てなんだろう?という目つきをする人が時々いたけれど、ほとんどの人はスルーであった。一度行きたいと思っていたパンケーキ店でお茶をして、開店したばかりの大混雑ユニクロの前を通り過ぎ、東急デパートでの買い物にお付き合いして、そこから20分歩いて帰宅した。それほど疲れずに帰れてちょっとほっとした。

2014年10月16日木曜日

ケモラジ18,19,20

連休明け朝の採血結果が比較的良好だったので、ケモとラジ再開、連日の採血でも肝機能の悪化がなく、ついに20回のケモラジが終了した。TS-1服用後の胃もたれと白血球の軽度減少が主な変化だった。照射部位決定の位置決めCTでは、小さい病変の悪化はなし。ここから先はデータの回復を待ち、病変の再評価をして数週後にオペだ。やれやれ。

2014年10月13日月曜日

亡国のイージス

ケモラジが無い週末は月曜が休日とあって3連休になり、何もすることがないが、24時間の持続点滴中だから外に出て遊ぶわけにも行かず、息子が持ち込んでくれたDVDのうち、亡国のイージスを見ることにした。福井晴敏の本は大人向けはほぼ全作品を読破しているが、その中でも一番印象に残っている作品だ。この作家は器用にライトノベルと大人向けを書き分けているように見えるが作品の中にはどっちつかずのものもあり、最近はちょっと興味を失いつつあるけれど、この時期のは面白いのが多い。この映画を観て思うのは、一つは自衛隊協力映画はやはり迫力が違うということと、もう一つは、ほとんどが日本人俳優であるがよくも顔つきを使い分けたなという驚きである。艦艇、戦闘機などはもちろん最新のところや重要部分の詳細なところは見せてくれるはずもないけれど、それらが実際に航行し、飛行する様は最高の画像だ。協力に至るまではそれなりの紆余曲折があったらしいし、ストーリーも原作とは少し異なっているが、それでも充分楽しめる。一方、小説では読者が勝手に想像するしかないことが多い登場人物の顔であるが、中井貴一をはじめとする乗っ取り側の人物はどの顔もいかにも半島の人、あるいは太古の昔半島経由で日本に渡った民族の顔つきである。韓国の俳優も数名いるが、それらと混じってしまうと見事に同化し、一方の乗っ取られ側と比較すると顔貌だけでどっちサイドかわかるくらいだ。寺尾と勝地だけがその顔貌よろしくどっちサイドかよくわからない活躍をしてくれる。乗っ取られ側は、ヘッドクォーターで右往左往する自衛隊、政府幹部も含め、ほとんどが南西諸島経由あるいは北方領土経由あるいは混合の顔つきだ。それぞれの側がその内部で様々な対立・融和をみせ、それに職場内の上下関係、家族内の愛憎、さらに最近のテレビドラマ(とくに警察もの)でよく見られるできの悪い上司と優れものの部下という構図が入り交じって、退屈しない2時間を過ごしたのだった。

2014年10月10日金曜日

ラジ16&17

1ヶ月近く何事もなく機能しているENBDチューブだが、いつまで働き続けてくれるものか少しずつ心配になってくる。胆汁という濃厚液体には尿とは比較にならないくらいの物質が溶け込んでいるわけで、pHとかちょっとした条件の違いで簡単に析出沈殿することは想像に難くない。いくら胆汁分泌圧がそれなりにあるとは言っても、内径わずか0.5mmの管はちょっと詰まり始めるとあっという間だろう。レジデントが時々フラッシュしているが、微妙な注入圧吸引抵抗の変化を感じてくれているかどうか。一方の放治は何事もなく17回まで終了した。週1回の放治医師のコメントでは照射は5mmの狂いもなく正確になされているとのこと。問題は細胞がどれだけ壊れてくれているかだ。

2014年10月8日水曜日

慎重がありがたい(ラジ15)

ケモラジ14は無事終了。ところが15予定日の朝の採血でALTが225に悪化した。今までの最高値と比較すると半分程度の異常値だけれど主治医陣はTS-1の中止を決定し、今週後半はラジエーション主体の治療になった。というわけで本日はラジ15。自覚的な副作用が少ないこちらとしてはもう一押ししてもらいたい気もするけれど、後戻りできない肝障害を他薬剤で見てきた身としては、妥当な線だと納得する。この隙に少しでも体重を戻そうと、昼にローソンで買った玉子&コロッケパンを追加で食べたらさすがに食べ過ぎで気持ちが悪くなった。

2014年10月6日月曜日

ケモラジ13

相変わらず調子は良く、ENBDチューブがなければ他覚的にも自覚的にも異常ない。本当にコワイ病気だと思う。七時半の採血の結果がまあまあオーケーと言うことで、ケモラジ13の再開である。と言っても、TS-1を朝晩2粒渡され服用し、適当な時に放治室に呼ばれて総照射時間20秒程度の治療を受けるだけだから、簡単と言えば簡単だ。困るのはいつ呼ばれるかわからず、それが日によってまちまちなこと。その間は医師ラウンド、バイタルチェック・点滴とドレナージチェックの看護師さんのご訪問、ストレッチ、院内ウォーキング、ラインとチューブ付で結構面倒な洗髪&シャワー、などで細切れになった時間が流れていく。三度の病院食も入院5週を過ぎるとさすがに飽きてきて残しがちになる。差し入れの手作りの美味しいお総菜、おかず、フルーツが何よりも有り難い。本当に感謝感激。TS-1で胃の不快感がでるので、クスリの合間を縫って1F24時間営業のナチュラルローソンでなにかを食べて摂食量を維持するようにしているが、体重は維持されてはいるものの、回復するまでには至っていない。今日は放治が早く終わったので、診療所事務スタッフ、医師会事務殿とE-mailで、産業医業務、休診による休業補償手続きなどの打ち合わせ、そのあと必要資料を診療所から届けてもらって院内のスタバで雑談。術前治療はこのようにしてあと何回かで終了だ。少しでも効いていてくれると良いが。

2014年10月3日金曜日

ケモラジ11&12

ケモラジ11,ケモラジ12もつつがなく終了し、食欲が少し落ちた位の症状だけなので安心していたら、そのあとの採血検査でALT400とのことだった。胆道系の酵素は変化がないので、おそらくTS-1による肝障害だろうということになり、残念ながらケモラジ13は中止になった。多少ヒマな3日間が始まった。

2014年9月30日火曜日

ドン・ペリの瓶の気持ちがわかった

月曜日のケモラジ9,火曜日のケモラジ10と順調に経過して調子に乗っていたら恐ろしいことになった。硬便。もともと環境が変わると便秘しがちだから、旅行が趣味の立場としては都合は悪いのだが、それが年齢を重ねるにつれて増悪傾向にある。家に帰って寝る分には外で何を食べようが家の食事がなんだろうが快便が続いているのだけれど、数日間以上の旅行は要注意のことが多い。今回、居場所が変わり、食事が変わり、運動量が変わり、それに加えて胆汁は全量外に排泄されるし、クスリもあるしで、すべてが変わって約1ヶ月経過したら、かなり固い便が続くようになってきていた。マグラックス(330)を1日3錠から開始して1錠づつ増量しているが効果なく、2日間排便なし。かろうじて便意を催したので、トイレでいきんだけれど、出ない。トイレ内に設置されている処置用のプラスチックグローブをはめ、蛮勇を奮ってこわごわ肛門を指診すると、あるある、石のように固い便塊が出口を塞いでいる。指で押しても全く変形せず、少し奥に引っ込むだけである。表面を少しづつでも削って小さくできるかと思ったけれど全く歯が立たない。いきむこと数回でギブアップし、看護師さんのお知恵を拝借することにした。最初の処置は浣腸だった。グリ浣よりマイルドという触れ込みの浣腸液を注入してもらったところ、数分後からものすごい排便欲求出現してトイレに駆け込んだ。でも排泄されるのは液体がわずかだけで、本体の排泄はなく、とにかくじっとしているのが辛いほどの症状である。映画館で火災が起きて観客が少ない出口に殺到したらこうなるんだろうなんてことは今だから書けることだ。必死になって担当の看護師(男性でよかった)の所にたどり着き相談したところ、次の手段として摘便しましょう、ということになった。数年前に外来に、前日バリウム検査を受けて便秘で来院した若い男性がいて、看護師に摘便を頼んだ覚えがあるが、その前後でこの単語になじみがない。トイレに座り、後方から看護師が肛門に指を挿入して内部をすごい勢いでかき回してくれる。こうやって便塊を少しづつ砕いているのだろう。ときどきいきんで排便しながら繰り返すこと数回、最大の便塊が大きないきみで押し出されたあと直腸内容がほぼすべて排出された時の快感と言ったらない。思わず快哉を叫んでいた。この気持ちよさと言ったらなんだろう、コルク栓を開けたあとのドン・ペリの瓶の気持ちだろうか。そういえば、脂肪便のため固いくせにコルクのように水に浮かんでいた。もう二度としたくないのは確かだ。

2014年9月27日土曜日

甘く見てはいけない

石焼きビビンバ風夕食を完食して寝た真夜中に心窩部痛で目が覚めた。仰向けはもちろん右向いても左向いても膝を折っても軽減しない。一番楽なのはベッド上に座り込むか歩くかと言う状態だ。なんだろう。不安が頭をもたげる。cholangitisの再発?、radiationによる消化管障害?、chemoの副作用?、中途半端な知識が不安を増幅する。少なくともperforationではなさそうだ。ナースコールで駆けつけてくれた看護師さんが言ってくれた。少し様子を見ましょう→もう少ししたら血圧を測りに来ますね・・・。2時間経過して痛みに変化がないと申し上げたら、鎮痛剤を出しますとのこと。どう考えても消化器系の症状と思えたので、「ロキソニンにしましょう。ムコスタもつけますよ」と言われた時には気が遠くなりかけた。別に何かありませんかとお願いし、しぶしぶ?ロピオンDIVにしていただき、開始約1時間で入眠したらしい。6時に目が覚めて生きていて良かったと思うと同時に痛みがなくなっているのに気がついた。結果オーライだったのだけれど、なにか引っかかる一晩だった。 腹単、エコー、採血に何も変化がない。胆汁流量ももちろん一定。診断:食べ過ぎ?!☆。お騒がせの罰として禁食と2リットルの点滴追加が科せられた。

2014年9月26日金曜日

ケモラジ8

最初のうちケモラジはどうってこともなくスルーできていて、食事も散歩も普段と同じだったけれど、回を重ねるにつれて少し影響が出てきているように思う。まず、その日の放治が終わったあと、ベッドに潜り込んで一休みというのがとても心地よく思えてきたこと。そのまま寝ないで動き続けても良いのだけれど、別にすることもないし、と思ったらもう身体が横になっている。もう一つは、空腹感が少なくなった印象があること。食事時には胃が物理的に空になっているから、食べれば病院食は完食できるのだけれど、食べなくてもいいかな、と考えることがある。今夜の病院食は炊き込みご飯とおでん種の煮込み?という献立だった。幸い、差し入れて頂いた今半の肉の佃煮があり、(M先生ありがとうございます)、とにかく濃厚な卵の半熟の差し入れがあったので、混ぜてみたら、なんとほぼ冷えた石焼きビビンバ風の料理に変化し、食欲アップして完食できたが、なければないでそれでも良いという発想が出始めたのは注意信号だと思う。この週末の休薬で回復すると良いが。

2014年9月25日木曜日

ケモラジ7

今日の放治も何事もなく短時間で終了した。午前中に呼ばれて治療室に行く途中に外来があるが、すごい混雑に驚いた。今朝の採血で白血球数が2800とのことで、人混みではマスク必携だ。ENBDチューブも適度に隠れるしちょうど良い。LINACに加えて放治の診察、早朝は採血(また2度刺し)、多分チューブの位置確認のための腹単と、今日はメニューが盛りだくさんだった。

2014年9月24日水曜日

ケモラジ6

朝のうちに診療所の今後数ヶ月の外来体制について事務担当と打ち合わせ。長文はPCでのhotmail、短文とすぐレスがほしい場合はLINEと、PCを前にしてスマホを片手に結構手と眼を使う作業だった。つて・こねを頼っての外来代行を確保するのは、当たり前だけれど結構大変で、担当の苦労は想像するに余りある。やむを得ず、母校関連で医師人材取り扱いを仕事としている人の手も借りることにした。高いし手数料は取られるしで、ずっとお世話になる気もないがこの際仕方がないだろう。ある関係者は、都合がつかない日は閉めちゃえば、というけれど、それにはまだ抵抗がある。 放治は、前回言われたごとく今まで以上にあっという間に終了した。同じような治療を受けている同室者さんは、地方から1ヶ月半くらいの予定で入院しておられ、治療終了後東京見物におでかけ。東京東部の見所はすでに制覇し、今日は浜松町・芝近辺とのこと。こっちもヘパリンDIVとENBDチューブがなければ外来でも何でも可なのだけれど。 しゃくだから、ラウンドしているレジデントにガンにおけるヘパラナーゼ活性抑制の意義、でも質問してみようか。

2014年9月23日火曜日

ゴルフ日和

病室から見つづけた空は素晴らしい秋晴れで、まさにゴルフ日和の1日だったに違いない。バブブブルマスターさんの作る写真集がULされるのを見るのが楽しみだ。そんな祭日のこちらのささやかな楽しみは家内が作って持ってきてくれた牛肉の赤ワイン煮込み。数日前から宣伝していたとおり素晴らしい出来映えで、じっくり煮込んでくれたためにすでにタマネギはほとんど形がなく、ペコロス、マッシュルーム、人参は程よく味がしみこんで煮込まれ具合もちょうど良い。肝腎の牛肉は胆汁なしの消化管に合わせて脂身少なく、しっかり味がしみこんだ赤身である。何よりも素晴らしいのがこういった食材の旨みが溶け込んだスープで、あっという間に完食した。

2014年9月22日月曜日

ケモラジ5

放治の照射部位決めには今日までの5回の治療時の照射部位のデータが必要らしい。今日も看護師さんと技師さんによる微妙な身体のずらしに加えて装置本体によるおそらくミリ単位での微調整があったが、この次からは簡単ですよと言われた。照射自体は息止めもない数十秒が数回という印象だ。5人から10人いる放治待合室の面々は僕自身も含めて病人っぽいのが半分、健康そうな勤め人が半分といったところで、流行ってない医院の待合室といったところか。数メートル上の地上では大昔からあった6号館がほぼ取り壊されて新棟の建設準備が進んでいる。学3~研修医時代でさえ古ぼけた建物で足を踏み入れるのにも躊躇する有様だったから、今取り壊しが、と言われても、え、まだあったの?ぐらいしか言えない。次に取り壊される7号棟も今はすでに病室としては使っていないようだ。

2014年9月21日日曜日

さとうの肉

吉祥寺繁華街にある肉のさとうはメンチカツで有名だ。球形のメンチカツを買うためにできる行列はコピス方向に数十メートル伸びることもある。胆汁を体外に出している身にはメンチカツのあの油分は耐えがたいが、赤身の肉なら食べられそうと、厚さ1.5cmのひれステーキを作ってもらった。実はメンチカツ以外は客が並ぶこともなく楽勝で買えたとのこと。今日は何故か朝から食欲がもどり、倦怠感も少なく、息子夫婦とお茶したあと病室に戻って食べたが、結構なお味の黒毛和牛ミディアムレアだった。肉の味、岩塩、胡椒のそれぞれがそれぞれ主張して楽しめた。ここの病院食は、時々食べる和食堂というか日本料理の定食の店としては良い方だと思うが、それが毎日続くとさすがに疲れが出てくる。

2014年9月19日金曜日

ケモラジ4

数日遅れて放治LINACを再開。体調は良好。所要時間15分。病棟と放治センターの往復を加えて計30分で終わってしまうあっけないほどの治療である。1回目開始直前に撮影してあった照射位置決めCTをもとに皮膚に描いたマークを、LINAC装置周辺から照射されているLEDマーカーに合わせているらしい動作で身体の位置が微調整されてからLINAC開始する。数秒の息止めを数回してお終い。待合室には常時数人の患者が待っていて、室内の長い通路ですれ違うこともあるくらい数多くおこなわれているみたいだ。 治療中治療後を通じて症状はないが、治療を受けた日は夜の眠気が早く来る気がする。今回は胆管炎と連休で1週間の間が空いているので蓄積の影響は出ないだろうが、来週から連続になるのでどうなるか。

2014年9月18日木曜日

enterobacter cloacae

ドレナージチューブ機能が正常化した夜あたりから急に治療密度が濃厚になった。ドクターの病室への訪問頻度が急増し、医者がようやくドレナージバッグにも眼を向けて色と排泄胆汁量を見るようになった。さらに抗生物質がカルバペネム系に代わり、しかもfull dose。1本24022円もするぞ高価なベニロンも1回に2本の大盛りでスタートした。想像だけれど、ようやくascending cholangitisが何故medical emergencyと見なされているかが若手の脳みそにも入り、ちょうどその頃、血培でenterobcter cloacaeの陽性が明らかになったからじゃないだろうか。そんなこんなの治療の甲斐あってか、自覚症状はゆっくりとだが確実に改善した。でも、完全な解熱にはドレナージ正常化から3日を必要とした。やはり今回のエピソードはしっかりした全身疾患であって、一昔前なら助からなかったんだろう。ラッキー。明日からの放治が待ち遠しい、と言う発想は正常ではないとわかっていても、やっぱり元のコースに戻れて良かったと思う。

2014年9月17日水曜日

white bile から golden bile へ

ENBD入れ替え直後はgreen bileかとどきどきしてみたら、white bile だったので様子を見ることとした。よほど長い胆汁鬱滞がない限りすぐに胆汁色素の排泄が始まるはずだが、約1日経過しても変化なく、胆汁流量も100mlそこそこに止まっている。体温も下がらず調子は良くない。あtube dysfunctionだよと言ってもなかなか動いてくれないのがここのレジデントらしく、結局夜になって大所が登場して透視下に吸引、造影して直ちに一件落着した。1時間後にgolden bileになって流量も増えた。明日には解熱するだろう。

2014年9月16日火曜日

ascending cholangitis

14日の肝機能が悪化した。dysfunction of ENBD tube vs. drug-induced hepatitis。前者の可能性の方が圧倒的に高いが、US・CTで変化がないので、ひとまず様子見をしていたら、15日午前中に心窩部痛、夜39.3度Cの発熱し、当直医を呼んだ。半信半疑の当直医に、ここまで来たら診断確定だよと言って何とか血培と抗生物質の投与をしてもらった。今日の午後にENBDの入れ替えが予定されているから良かったけれど、そうでなかったら不安と恐怖の夜が続くところだった。

2014年9月12日金曜日

時間のつぶし方

ケモラジ3も何事もなく過ぎた。TS1を飲んだ後すこし胃もたれが強いような気もするけれど、病院食完食後八王子道の駅で買ったという濃厚プリンもデザートで食べたから評価不能。明日から3連休でケモラジも休みなので、変化を見ましょう。 大昔、やせていた頃気胸で1週間入院した時は症状が取れたらテレビを見る以外することがなくて困った覚えがある。同じ年頃の病院の看護婦さんから借りた心理学の本を読みながら頭が痛くなった。今日日は入院していて症状がなくても時間つぶしに事欠かない。Wifi装着したPCでインターネット環境は完璧だし、DVDもオーケー、LINE,FBはスマホで楽しく、眼が疲れたらipodで一休みだ。もちろんテレビも視聴可能だが、この状況で見るとテレビ番組の劣勢が著しいことに驚く。PCとスマホで診療所との連絡も密に取れる。これで患者の診察ができれば言うことはないのだけれど。

2014年9月11日木曜日

ケモラジ2

制吐剤に引き続いてのシスのdivは何事も起こらずに終了した。投与量が少ないからかもしれないが、実に平和な1日だった。点滴量が多くなったのと飲水量を多くしたので尿量が多い。ポンプを従えての移動が面倒くさい。夕方は面会に来たスタッフと年内の外来の打ち合わせ。かなりまとまってきたけれどまだ穴があちこちに空いているので頭が痛い。それにしてもこの稼業、経営面から言えば一人何点x一日何人x月何日x12で収入が決まり、経費は人件費、家賃+光熱費、検査費用、薬剤費用などで支出が決まる。しかも収入のかなりの部分は保険診療という統制経済のもとにあるし、その統制は医師が何分働いていくらという計算が基礎にあるのだと思う。その抜け道を探すのにもそろそろ飽きてきた。

2014年9月10日水曜日

ケモラジ1

今日はケモラジ1日目。MMCのワンショットivをラインからされたけれど無症状のまま推移している。 夕方はLINAC照射。10分程度で終わるこの治療は焦げるわけでもなく熱くなるわけでもなく、静かに何事もなく終了した。夜になってどうなるか注意していたけれど何事も起きず、強いて言えばわずかに倦怠感があるのかな。食欲も正常。LINACは20日あるけれど、MMCとシスのワンショットはそれぞれ週1回計4回である。おそらく中盤から後半に効果が蓄積されて辛くなってくるのだろう。

2014年9月9日火曜日

神宮外苑散歩

明日からのケモラジラリーが始まると当分外出がむずかしそうな気がするので、天気の良い今日は家内を誘って神宮外苑を散歩した。信濃町駅前交番の前をとおり外苑に入る。デング熱患者がここからも出たはずなので、林や藪には近づかずに車道脇の広い歩道を時計回りに歩く。権田原交差点近くの林間ビアガーデンは以前行った時でさえ蚊除けスプレーを渡されたくらいだから今商売になっているんだろうか。しかし、テニスコート近辺では全力ダッシュの学生たちとすれ違い、それに加えてマラソンランナーはいるし、デング熱の恐怖は全く無視されている。子供連れ、乳母車がいないのが以前と違うところだろうか。神宮球場を過ぎると隣接する第二球場。この季節はゴルフ練習場である。付属のカフェでホットハニーレモン、グラスワイン白、シフォンケーキを頼んで味わいながら二人で将来のことを相談した。カフェをでて球場入り口側に歩き、日本青年館、国立競技場前を通り高速入り口前の歩行者信号を渡って水明亭を通り過ぎる。学生時代は週一回くらいランチを食べた店だが、健在かどうかは別にしてまだある。建物はそのままですっかり古びているから、儲かりもせず、つぶれもせず、といったところか。建て替えれば洒落た場所の洒落た店になりそうだが、建築規制でもあるのかも知れない。歩行者専用の跨線橋を渡り、病院3号館前に到着。これもまだ存在しているCOOPの下を通ってキャンパスの裏門に入った。久し振りの信濃町界隈めぐりだった。

2014年9月8日月曜日

3回目のCT

ようやく水底に沈む便になった。色調も正常。ENBDチューブが胃内で切断されて胆汁が腸内に行くようになったから当然と言えば当然であるけれど、消化吸収(とくに脂肪)における胆汁の重要性を再認識した。体重も増加傾向にある。4週間のケモラジラリーに備えてもう少し増やしたいところだ。 昼過ぎに放治に呼ばれて照射位置決めCTを受けたが、今回のは呼吸連動性撮影みたいな気がする。入院当日の診断CT,PETCTに引き続いて3回目になった。ここでしばらく打ち止めだから良いが、1回目と3回目、それぞれサーフロー(あるいはその同等品)2回刺しっていったいどうよ。放治ローテーションの研修医さんがんばっているし、注射ってこうやって少しづつうまくなるのだと言うことはわかっていても、度重なると疲れる。 夜になって、オランダのど田舎に学会発表に行ってきた息子からチョコレートのお土産の差し入れがあってほっとした。

2014年9月7日日曜日

いろいろ楽しいこと

4週間のケモラジを控えての外泊だ。10時に迎えに来てもらい、帰宅後たまっていた郵便物処理と机の上処理して昼食後、定例のジムで汗を流す。腹部のトレーニングは、心理的に少し弱めになった。10日間程度の入院でも脚力のレベルが少し落ちているのに驚いた。院内での朝のエクササイズのメニューは一工夫が必要だ。ジムの風呂場で手足を伸ばして充分暖まった後の自宅での夕食メインは、義母上からいただいた最高級の牛肉でのしゃぶしゃぶ。当然のワインは残念なことにグラス1/2に制限されたが、長く続いた病院食に比べると極上の夕食だった。いつも普通にしていたことが、この状況だとどれも楽しいことに思えてくる。

2014年9月5日金曜日

Pub Med フリーク

治療方針が提示されて後、久し振りにPubMedフリークになっている。大病になった医者なんてこんなもんなんだろう。resectable pancreatic cancer で調べると、多くのペーパーがイントロを「死亡率がガンでは4位の・・・」で始まっていることが多い。コイツら、コピペだろう、と思いながら読み進めていくとうれしいことに割とポジティブなデータが多い。ネガティブデータは普通はペーパーになりにくいから当然のことなのだと思うが、それでも溺れそうな時に手でつかむ藁は多ければ多い程よいという考えなので、いろいろ読んでみる。同じレシピのペーパーは思ったより少ない。今はGを使って、新しい分子標的薬を組み合わせての治療のペーパーが多いのはノイエス目当ての当然の風潮だ。予定の治療薬はどれも耳たこなのがかえって頼もしい。

2014年9月4日木曜日

胆汁逆流性胃炎?

減黄されたので、ということだろうか、午後3時にENBDチューブを胃内で切断。2チャネル内視鏡でやってくれたらしいが、少量のサイレースのお陰で内視鏡施行自体が記憶なし。鼻がすっきりして調子よかったが、夜中に心窩部のもたれで目が覚めた。胃内に流出する胆汁による胃粘膜障害ではないかと想像して、水を多めに飲んだら程なく軽快した。

2014年9月2日火曜日

ご託宣

家内と二人で主治医からの話を聴いた。ステージⅢ。鉤状部から発生した腫瘍である。MPDは保たれているが、十二指腸3rd portionに浸潤あり。大血管はぎりぎりオーケー。手術可能だが、このままでは治癒率はあまり高くない。5生はイスラム国にいる欧米人より多少良い程度だろう。 PETCTで遠隔転移をチェックし、術前ケモラジ、術後ケモというプランが示された。10年前からこの科で行われている治療法で、5生は50%超とのこと。たかが五分五分の勝率であるけれど、現在の条件では破格に良い成績のはずだ。乗ってみるか。

2014年9月1日月曜日

胆汁がもったいない

ENBDチューブは充分細くてしなやかなため、装着時の違和感は比較的少ない。当初、喉の症状を心配したのだが皆無である。鼻腔に異物感があるものの呼吸には差し支えなく、強いて言えば後鼻漏が若干増加したように思う。装着のお陰で最高6mg/dlを超えた総ビリルビンは数日で2mgにまで下がった。しかし、胆汁を全量腸管を通さずに排泄してしまうため、脂質の消化吸収障害がはっきりしている。油濃いものを食べる気がしなくなり、いわゆる土壁色の便は死海の観光客なみに水に浮く。1日1リットル弱の捨てられる胆汁は生体にとっては本来腸肝循環でリサイクルされる貴重品。病院スタッフと冗談で再利用について話したら、コーラと割ると何とか飲めるという返事が返ってきた。あの苦味はソーダウォーターで割ったらビールに似ないかと想像したが、試す気も無かった。

2014年8月30日土曜日

あっという間にENBD

大学病院消化器外科外来での作業は迅速だった。採血,CTのあと緊急入院手続き終了して病棟に上がる。夕方内視鏡。通常の観察、EUS、ENBD用の少なくとも3本の内視鏡を挿入されたはずだけれど、サイレースとオピスタンのおかげで、口から鼻へENBDチューブを移す瞬間まで眠っていた。その日はそのまま爆睡したけれど、翌朝、尿の色が改善したことに気がついた。日中暇していたら、消化器外科教授、消化器内科教授がそれぞれ別々にベッドサイドに挨拶にみえ、誠に恐縮・感激した。退院したらちょとだけ新病棟建設資金に寄付をしようとつい思ってしまう。

2014年8月26日火曜日

青天の霹靂

日曜日に山の上ホテルで天ぷらコースを久し振りに完食した翌日月曜日の夜に、尿の色がオレンジ色がかっていることに気づいた。そのほかには軽度の胃もたれ程度の症状がある。念のためと思って診療所のドライケムで測定したらAST600,ALT1000. A型急性肝炎かと思ったが、念のため腹部エコーしてみたら、急性肝炎の胆嚢は緊満不良・壁の浮腫性肥厚が常だが、気持ち悪いくらい緊満良好である。おまけに肝門部付近の肝内胆管拡張が軽度ではあるが認められた。上部総胆管径0.84cm。この時点で下部胆管の閉塞に伴う急性肝障害と診断し、大慌てで御茶ノ水MSで夕方MRI、MRCPを撮った。金曜日の病院外来を予約した。

2014年8月15日金曜日

ちょっとディープなイスタンブール

イスタンブールのガイドはアリさん。日本観光歴4回で、とても流ちょうな日本語を話す30ちょっとの若者だ。昨日までのビロさんが学者肌だったのと比べるとノリが軽いが、ブルーモスクを始め名所旧跡の案内説明はしっかりしている。この国の対日本人観光客ガイドマニュアルはかなりしっかりしてるんじゃ無いだろうか。ホテルがブルーモスクなど近い歴史地区にあるため観光はほとんど歩きだ。アヤソフィア、トプカピ宮殿、カーリエ博物館などなど、千数百年にわたって様々な国、民族に支配されてきた歴史的建造物とその内部の展示品は、政変に伴う略奪の被害もくぐりぬけて、さすが、と言わせるだけの迫力を持っている。街中は活気に溢れ、予想していたよりはずっときれいで、慣れれば住み心地は悪くないのだと思う。
人の活気が溢れているのがグランドバザールとスパイスバザールをはじめとする商店街。とくにこのバザールは一人で入り込んだら迷うのが確実な場所だ。ほとんどの商品には値札なんてついていないから値段は店との交渉次第。かなり値切って得をしたつもりでも、帰る時に小さなお土産をくれたりするので、もっと値切れたとちょっと後悔する。街の中では食べ物屋が目につく。大きい店でのドネルケバブの丈は1m位のものもあり圧巻だ。昼食は店頭の各種料理から選んでワンプーレートに載せてもらい、サラダをつけてアイランとミネラルウォーターでしっかり食べた後、独特の形のグラスに注がれたチャイを飲んで終了。ガイドさんと運転手さんは休む度に1TLのこのチャイを飲んでいた。ガラス製以外のはあるのか聞いたら見たことが無いという。
1300万人の人口を持つイスタンブールはボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾という水域の合流点にある街だ。日中は街中心の丘の上にある歴史的価値の高い塔の上からそれらを眺め、夜は家内の友人のドクター、ユフク君と、金角湾の入り口にあるレストランで湾と海峡を通る船を眺めつつトルコ料理を楽しんだ。金角湾の対岸の旧市街にはモスクやアヤソフィアの尖塔がそびえ、反対のアジア側には広い範囲にマンションが建っている。食後の1杯は、ボスボラス大橋を渡ったアジア側の小さい港町にある海辺のレストラン街で久し振りのコーヒー。地元ロコが集うなんとなくウキウキ感が漂う楽しいエリアだった。

2014年8月14日木曜日

トルコ中央部をひた走る

パムッカレでの暑いけれど至極のひとときを過ごした後、トルコ中央部からエーゲ海沿岸都市への強行ドライブが始まった。さすが食料自給率100%の国だけあって、国道の両側には、中央部では小麦やジャガイモの畑が広がり、エーゲ海地方に近づくとひまわり、オリーブ、ザクロ、イチジクの畑が増えてくる。広大な作付面積と比べると、道路を走る物流の車両が少ないと思うが、そのあたりがこの国の産業の特性をあらわしているのかも知れない。でも、そのお陰でベンツは快走し、夕方と言ってもまだ陽が高い時刻に聖母マリアの家、エフェソスの遺跡を歩くことができた。さらにエーゲ海で一泳ぎして、イズミールのホテルに到着。前夜と異なり良いお部屋で爆睡。
翌日14日もドライブは続いた。途中トロイの遺跡を観光。シンガポールのマーライオン、ブラッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫の像はすべて見たが、これら世界3大がっかりに匹敵するのがトロイの遺跡の入り口広場にあるトロイの木馬。でも、これはあくまで看板みたいなもので本来の見せ場は要塞都市トロイの遺構であるからまあいいでしょう。クルマは平均時速80kmで快走し、昼食は途中の村の中央にある緑陰の広場の周囲に並ぶ、まさに食堂で摂った。ヨーグルト飲料のアイランとソーダウォーターでサラダ、肉料理を楽しんだが、子供は日本人見慣れてないらしく珍しそうに見つめている。
午後にダーダネルス海峡のフェリーを使い、ヨーロッパ側に到達。300km走ってようやくイスタンブールに到着した。

2014年8月13日水曜日

ヒエラポリス

夜通しエアコンの調子が最低で、寝不足ではあるけれど、遠くにパムッカレの石灰棚を見る屋上での朝食は気持ちが良い。この国では野菜の新鮮さがことのほか嬉しく、肉と野菜を主とする料理の味付けに使われている香辛料の多彩さは目を見張るものがある。でも、どれも似通った味のイメージでちょっと飽きを感じることもある。チーズはとても美味しい。
以前からテレビで取り上げられてきているパムッカレの石灰華段丘をようやく訪れることができた。純白の石灰で彩られた段丘は確かに美しい。陽光を浴びて本当に輝いている。景観を楽しみ、一部立ち入りが許可されている棚の中を裸足で歩いている観光客の一部がビーサンとビキニ海パンであることに最初驚いた。
後でわかったのだが、棚から500mほど歩いたところに温泉プールがあって、そこで遊びながら観光するという古代ローマ帝国時代のここでの遊び方が復活している、ということのようだ。温泉プールの中には帝国時代に建造され地震で水中に没した石柱が多数転がっている。往時は人口10万人に達した温泉保養地として栄えたヒエラポリスは石灰棚の上部に広がる高原を中心に広がり、劇場、会議場、温泉保養所などがいろいろあったらしい。2つの大地震で破壊されきったらしく、現在復活させる工事が行われている。
劇場跡の最上段に立って見下ろすとわかるのだけれど、山の中腹の高原に作られたヒエラポリスは広さは数平方キロで中心に各種石造建造物があり、中心に泉を配しその下部に温泉が湧出する。さらにその下方に石灰華段丘があり、ここからはるかに見渡す平原は広く豊かであり、パムッカレの語源となった綿などの栽培に適していたのだろう。その更に先には山脈が連なり、まさに地上の楽園といえる。古代ローマ帝国の人々が支配者としてこの絶景と環境を享受していたことは想像に難くない。

2014年8月12日火曜日

●メブラーナ博物館●インジェミナーレ神学校

前日現地のトラベルエージェント本社に怒鳴り込んだ甲斐があってか、早朝ようやくスーツケースが届いた。さっそく着替えてクルマに乗り込む。今日の行程は数百キロに及ぶ。まず、トルコ中央に位置するコンヤという街のメブラーナ博物館。独特の旋回舞踏で世界的に有名なメヴラーナ教団の創始者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。メヴラーナとは「我が師」という意味でジェラルディン・ルーミーを指す、ということだが、申し訳ないことにさっぱりわからない。6,500㎡の敷地にはメヴラーナをはじめとする教団の発展に尽くした名僧たちの霊廟、資料室、修行場などがある。立派な棺のうえに独特の帽子が載っていて、帽子の高さが位の高さをあらわすらしい。  
その後向かったインジェミナーレ神学校は先の博物館と比べると小さい建物で、中には古いイスラムのレリーフが彫られた石版が展示されているだけで、異教徒(というより無教徒)の僕にはそれほど興味をかき立てるものでも無かった。これらの歴史的建造物を有するコンヤは昔はこの地方の首都であったこともあり、比較的大きい地方都市といった趣で路面電車も走り落ち着いた雰囲気である。期間のながいトルコツアーではここに1泊することが多いらしいが、それはカッパドキアからパムッカレへの距離が600キロあまりで1日で移動するにはキツいからだろう。僕たちの弾丸ツアーではその日のうちに西に向かい、途中かつては旅人が安心して休める要塞みたいな旅の中継点のスルタンファン・ケルバンサライも見て、パムッカレのホテルに着いたのは日も暮れた9時頃だった。

2014年8月11日月曜日

洞窟ホテルで目が覚めた。スーツケースはいまだ行方不明で衣類が無いため、ホテルのランドリーで洗濯して、屋上のもの干し場に干した後、ホテルの裏口から出て周囲を散策した。ここに来る前は洞窟ホテルってレアものかとおもっていたけれど、歩いてみるとcave hotelと書いた看板があちこちにあって、そうではないホテルを探すのに苦労するくらいだ。ほとんどのcave hotelは客室の天井と壁が洞窟で入り口は普通の壁で作ってある。客室の前に広い共有部分があって食事はそこでとる仕組みだ。レストランからの眺めはさすがに素晴らしく、朝早くなら上空を気球が漂う。 食後ビロさんに案内されてクルマでカッパドキア観光。とにかくどこに行っても奇岩だらけ。大きい奇岩には居住用の穴が空いている。観光用にカフェとお土産屋が入っている洞窟住居や大昔の戦争時代の避難用に作られた洞窟都市にも連れて行かれたが、それにしてもよく掘ったものだと思う。地震がない地域のようだ。一日中走り回り、夕方は夕日が世界一きれいだというrose vallayで赤ワインを飲みながらの日没鑑賞。まあ、普通の日没だった。

2014年8月10日日曜日

ハットゥシャス遺跡

昨夜から行動を共にしている日本語堪能のガイドさんビロ君と、優しい太った50歳台の髭の運転手さんと我々を乗せてベンツVはアンカラから一路ハットゥシャス遺跡に向かう。ここに来て初めて聞くこの遺跡、紀元前17~13世紀あたりにこの地に君臨したヒッタイト帝国が築いた首都で要塞都市の一部であるが、標高1000mの高地にあり、周囲が広く見渡される高台に構築されている.残っているのは巨石で作られた建築物の一部だが、最盛期には数万人の居住人口だったという。世界史上初の鉄器を作り、エジプト王国との平和条約を結んだ帝国はやがてエーゲ海からの民族に滅ぼされることとなったが、トルコは常に東西の民族が勢力圏を広げる際の要として位置したのだろう。現在この地域に見られるのは広大な荒野と小麦畑などであり、往時の面影はない。

2014年8月9日土曜日

吉祥寺から乗ったNEXが東京駅直前で停車したまま動かなくなった。昨年の夏の出来事が頭をよぎる。国道246三茶付近でお盆休みの恐ろしい渋滞に巻き込まれ、カーナビの成田空港到着時刻が離陸時刻より1時間遅くなる表示をみて頭が一瞬白くなり、道ばたのタイムスに車を駐めて田園都市線ホームに駆け込んで京成経由で離陸2時間前に成田空港駅に到着したのだった。又かよ、と思ってしばらく待ったところ、NEXの車掌さんはいとも簡単に「成田付近での信号機故障により東京駅で運行を停止します」とのこと。ようやく東京駅ホームでドアが開いた。この国の元国有鉄道はこんなレベルの仕事してるのかよ、と思いながら、のんびりしている外国人カップルに乗り換えの事を話して降車を促し、大慌てで山手線に乗り日暮里駅で京成に乗り換えた。切符売り場は外国人旅行者30人くらいの長蛇の列。suica、pasmoを使い改札通過して、すぐ来た成田空港行きに乗ってほっと一息ついた。 なんとかアワードとったトルコ航空の機内生活は苦も無く楽も無く、航空機機内用に編集されたビデオを見まくり、ワイン飲んでお休みの後、着陸直前のコース画面でクリミア半島をしっかり迂回してくれたことに感謝しつつイスタンブールに到着。乗り継ぎでアンカラまで身体は動いたが、問題はここからで、なんとスーツケースが届かなかったのだった。

2014年8月5日火曜日

四季の会

時期によっては出席者のほとんどが医師会理事だったこともあった四季の会も、今回は地域内3病院のドクターの出席が多く、まさに盛会であった。名前は知っていても普段は会えない方々との顔を見ながらの語らいは、おそらく診療情報提供書を介してのやりとりよりよほど施設間の連携に役立つに違いない。今回は特に3病院間の出席者数競争もあったようで、院長自ら出席されたS病院、K病院が気勢を上げている反面、地域医療部長の出席にとどまったM病院はちょっと静かな印象である。しかし、それぞれが若手のあるいは中堅の医師を伴っての登場で楽しい雰囲気である。常識的に考えればこの狭いエリアに3つの大学病院に加えて本日参加の3病院が存在することが不可思議であり、いつ淘汰が行われるかという所だ。病院毎の特色を生かして仲良くやっていくようなことができるとは思えない。3病院それぞれの後ろ盾があるだけに、なんとなくの存在が続いているが、いつまで続く事やら。 そういう事情はさておき、会はつつがなく進行し、食事とお酒を楽しみながらのご歓談タイム。料理の味はまあまあだと思う。以前の駿河台のホテルは素晴らしい料理の味を誇っていて人気が高かったが、最近は落ち目であるのが皆の共有認識である。今日の料理は味付けが濃い印象であったが、僕の好みにはあっていた。人によって好き嫌いはあろうが、所詮はビュフェスタイル、立ち食いの居酒屋レベルのことだから、どうこう言っても仕方が無い。雰囲気良く歓談できれば良いのさ。その意味では正解な盛会だった。出されたワインが、こちらが先日サミットで570円で購入したワインと同じだったのはご愛敬だ。あのワインはやはり飲みやすくC/Pが良好なんだ。建物と部屋のレベル、さらにスタッフの顔つきが良いのが気に入った。

2014年8月2日土曜日

ゴルフの後、松勘へ

〇ンダースのよどみからの脱出を図り秘密裏に購入したクラブでの炎天下のプレイは少しだけ底上げができたようには思うけれど、後半のプレイはとにかく暑かった。自宅から50分程度で確実に行けるここは、ちょっと狭くて昼飯は美味しくないけれど、夫婦でまわるにはちょうど良いのかもしれない。30分で行ける〇金井はとても手がでないし。近いゴルフ場の利点は夕方から夜を有効に使えることだ。3時前に帰宅し、4時に息子夫婦たちを迎えて家でおしゃべりの後、吉祥寺松勘に向かった。麻布の本店に以前お邪魔して、その際吉祥寺分店を紹介させて直後に1回訪れてから2回目の訪問。寿司やのフロアスタッフの良いところは、他の居酒屋、レストランと違って言葉がはっきりしていることで、これは聞いていて気持ちが良い。寿司の味は本店と比べると微妙に違っているのが気にはなるが、こちらは孫と楽しく過ごすのに夢中で、料理と酒は珍しく二の次だった。

2014年7月31日木曜日

医療連携セミナー

セルリアンタワーでの医療連携のセミナーは、会場に入ってビックリ9割くらいの埋まり方だった。地区医師会との共催というやり方が功を奏したのか、同時に後援のメーカーのMR諸氏の機動力が爆発したのか、立派なのは、主催の大学病院の首脳陣が内科系だけではあるが全員集合していたことで、このような、組織全体での危機感の共有に基づく共同作業は、何よりも地区医師会をはじめとする病院外参加者にとって気持ちよく映るはずである。講演内容は、実はそれほど面白くなく、呼吸器系の発表は学会地方会に毛の生えた程度のものだったし、こちらが司会を務めたメインはおそらく、専門医にとっては耳たこで専門外にとっては面白くも何ともない内容である。演者のスキルでカバーされていたから良かったものの、第一の目的が医療連携親睦懇親であることを、会の途中からしっかりと認識させられる内容ではあった。終了後の情報交換会で乾杯の音頭をとられた現医師会長が私のことをはっきり覚えていてくれたことと、その医師会長が将来の介護重視の社会における後方支援病院としてのこの大学病院の役割についてさりげなく話されたことが印象に残った。

2014年7月14日月曜日

さんしかい

千代田区三師会のお集まりと言うことで、末席を汚しにニューオータニに行った。「さんしかい」と言うとこちらの頭に浮かぶのは「三四会」であるが、この地区で仕事をさせて頂いてから「三師会」を意味する使い方が多くなり、だいぶ慣れてはきているのだが、慣れないのはこの会合の意味で、そこらあたりはやっぱりまだよくわからない。おそらく、医療関連の「師」を自認するかたがたが、当然他の職種と比べると共通項が多いところから、行政との交渉とか、災害時に意志の疎通をなめらかにするために定期的に集まっておこうとしたのだと思う。

2014年7月11日金曜日

新規個別指導

休日応急診療所の新規個別指導に行ってきた。呼び出し通知が来てから約3週間。金曜日の午後を休むためにパートのドクターに無理を言って臨時で外来をお願いし、抽出するカルテの患者氏名が4日前に通知されてから診療所に受付さんと医師会事務長さんとともに集まって、不備と思われる点をチェックし、当日資料をかかえて新宿十二荘通りまで電車を乗り継ぎ向かった。元会長も管理者として指定されていたので現地集合。広い会場では10組ぐらいの指導する側と指導される側、それに厚生局職員がかたまってご指導の最中だった。定刻より15分遅れで呼び出しがあり、着席すると、指導する側はなんと某医師会の担当理事で元会長とは顔見知りである。巡回していた都医の理事も傍に来て、なんとなく和やかな雰囲気が漂い始めた。両サイドとも保険医歴30年以上と思われ、向こうにとっても新米開業医をただすのとは違って多少やりづらいご様子だ。もとより休日応急診療の内容は急患、検査なし、過剰投与なしであるから、指導する側にしてもあまり言うことはなく、指導される側にしても毎度おなじみの点だけの指摘を受けて説明して終わってしまうのがほとんどであった。予定より20分早く終了。カルテはよく記載されているほうですよとの、たぶんお褒めの言葉もいただいた。見渡すと、かなり追及されてヒートアップしている若い先生もいる。 しかし、指導する側が医師で事務方が厚生局員であったから良いが、ここに連合会、基金側の立場の人間が入り込んだらどうなるかを考えたらちょっと寒くなった。

2014年7月5日土曜日

鮎と鱧

今年卒寿を迎え、益々元気な元名誉院長との会食は、超ブランド指向発起人のことだからと当然予想された銀座浜作だった。12時半集合の予定で、3人は当然定刻前に現地に集合したが、発起人だけが30分遅れの登場で、娘の予想が見事にあたった開幕だった。慶應病院で身体のほとんどを修理して登場した元名誉院長は多少小柄になった印象はあるが元気そのもので一安心。しかし、以前の飲酒量から大幅に減らしているとのお話通り、でてくる冷酒を時折すする程度の健康さで、結果としてこちらが飲み過ぎてあとから発起人の娘にしかられる始末。それにしても、鱧と海老とオコゼのお造りの新鮮なこと、鮎の塩焼きの美味なこと、昼のコースであっても相当なお値段だと思うが、さすがだ。途中からおお女将も参加して頂いて、常連のS理事のお話もでたりして、賑やかな会だった。

2014年7月3日木曜日

委員会最終回

6年間にわたって続いた効果・安全性評価委員会も今日が最終回だった。
治験自体は初期のも加えると14年ということで、大学病院時代にお引き受けして委員長を務めさせて頂いたけれど、実際の治療から遠ざかると、効果安全性の評価そのものはかえって客観的にみられるものの、すこしづつ遠い世界のものになりつつあるのも感じていたので、これが潮時と言うやつか。関東の医科大学教授、関西の薬科大学教授と3人で年数回の会合は、資料のおおかたはもちろんメーカー担当者が担当医師のもとにおそらく毎日のように通って手に入れた貴重なデータであるからして、多くの真実を伝えてくれるものであるが、実験データと異なって臨床データは実に様々な因子が縦横に入り込み、その解析はとってもむずかしい。もちろん様々な有害事象の中にあり得る危険な事象は見逃してはならないので、その抽出を欠かすことは無かったが、新たな効果をこれらのデータから導き出すのは困難を極めた。

2014年6月29日日曜日

伊勢屋の煙


ゲリラ豪雨の合間の日差しをみて、井の頭公園を横断して吉祥寺に向かった。普段より水位は高く大雨のためか少し濁りが強い。昼前なので人出はそれほど多くなく、橋もスムーズに渡れてちょうど2時ごろに伊勢屋に到着。最近はカウンターは選ばないですなおに椅子席に着く。今日はなぜか異常に煙が濃い。数メートル離れた逆光のカウンターの客の顔が見えないくらいだ。店員に聞くと、もうちょっとで少なくなりますとのことで、実際10分ほどで薄くなり、平常に戻った。焼酎の水割りとお湯割り各1、焼き鳥6串で昼食が終了した。合計1030円。カシラは今日もゲットできなかった。

2014年6月27日金曜日

三師会合同区長懇談会

行政機関が催してくれる懇談会ってどんな性格なんだろうと調べてみた。平成11年に、「中央省庁等改革の推進に関する方針」として中央省庁等改革推進本部が決定して、今はやりの閣議決定もされた指針に従っているのだろうと思う。
 
 
懇談会等行政運営上の会合の開催に関する指針
懇談会等行政運営上の会合(*)については、今後次のように扱うものとする。 1.運営の考え方
 懇談会等行政運営上の会合については、審議会等とは異なりあくまでも行政運営上の意見交換、懇談等の場として性格付けられるものであることに留意した上、審議会等の公開に係る措置に準ずるとともに、2.の基準により、その開催及び運営の適正を確保した上で、意見聴取の場として利用するものとする。 2.運営の原則
 1.の考え方に沿って、当該府省の施策に関する審議等を行う行政機関との誤解を避けるとともに自由活発な意見聴取を行うため、以下の点に留意して運営するものとする。 (1)開催根拠
 省令、訓令等を根拠としては開催しないものとする。
 また、懇談会等に関するいかなる文書においても、当該懇談会等を「設置する」等の恒常的な組織であるとの誤解を招く表現を用いないものとする。 (2)名称
 審議会、協議会、審査会、調査会又は委員会の名称を用いないものとする。 (3)会合の運営方法
 懇談会等の定員及び議決方法に関する議事手続を定めないものとする。
 また、聴取した意見については、答申、意見書等合議体としての結論と受け取られるような呼称を付さないものとする。

 気楽に意見を聴き、場合によっては意見を交換し、懇ろになることを主目的とするのだから、堅苦しい形式や議事録なんかはないし、物事を決議決定することも当然無い。ということで集まった36名のこの会は、区長を囲んでの比較的穏やかな会合だった。ここでのお話が今後の区内医療行政に影響を与えるのかどうか、あまり期待せずにみていこう。出席するたびに感じるのだけれど、職種によって顔つきに特徴がでるんだなとつくづく思う。医者でよかったみたい。

2014年6月20日金曜日

SGLT2阻害薬

今更ながらのSGLT2阻害薬の講演会であるが、T上名誉院長の座長であるならば当然、そして、なんと言っても会場が近すぎるので出席した。販売各社の講演会ラッシュで聴く側が耳たこ状態に陥っていることを当然察しているのだろうT大学教授は、あろうことか実地医家の忌み嫌う基礎データと治験データの文献的考察に徹する作戦を展開し始めた。たとえ教室として治験依頼をうけたとしても、ご本人はご自分であまり関与をしていないのだろうか、使ってのインプレッションもなく、ただただ他人のデータを引用ししゃべりまくるのだが、それはまずいだろう。フロアからの質問も無く、座長からの質問にも微妙に見当が異なる答えで会場をしらけさせる。
情報交換会では現会長、元会長と3人で楽しくおしゃべりしてお開きとなった。

2014年6月14日土曜日

久し振りの評議員会

ニューオータニでの大懇親会では900人の参加者の前で突然のご指名で壇上に上がって一言述べさせられたおかげで、スピーチが終わった後はすっかりリラックスしてしまい、Q兵衛以外はなかなか美味しい料理でこれまたまあまあのワインを飲みつつ楽しい歓談の時を過ごした。そのあと参加した地方会では、ワインが効いてさすがに気持ちよく、特別講演を半分くらい拝聴し、久々の評議員会に出席した。学会のために何の功績もない平評議員としては正直言って出席しても賛成の拍手くらいしかすることはないのだけれど、その定年が近づいているらしいので最後に1回くらいは、と言うことだ。資料を見ると一浪で入った同期の連中が今回の評議員会で定年退職になっている。来年はやはりこちらの番だとはっきりしてちょっとほっとする。これからの学会活動は専門医資格を維持することと遠方の学会に観光を兼ねて出席することに熱心になりそうだ。

2014年6月6日金曜日

追跡調査


大学時代から追跡調査に協力してきた。その頃には患者数も多くかなりの手間暇がかかって、やめてしまおうかと思ったこともないわけではない。それでも、全国集計のかなりしっかりしているデータがでると多少なりとも役立っていると考えて数年毎に登録マニュアルを側にPCに向かうのが常だった。開業して該当する患者数も減っているが、残念なことに毎年数名の発病を見るのも事実であり、全国のトレンドと当院のそれを比較するのも意義があった。しかし、協力機関をみるとほとんどが当然のことながら病院である。そろそろ潮時かと思う。

2014年5月31日土曜日

北国の夏

昨年秋から今年の春にかけて新装なった場所を訪れた。約5年前の前回訪問時同様煉瓦造りの煙突と工場跡はそのままであったが、内部のお土産屋が無くなり、そのかわりに敷地内のべつの場所に総合センターとお土産屋が作られ、さらに何棟かのレストランが併設されていた。食べ放題レストランが40分待ちとのことで、今回は一番落ち着いた雰囲気のレストランを選んで即着席。マトンのいろいろな部位の肉をジンギスカン鍋で焼きながら地域限定のビールを飲み比べたが、肉の旨さもさることながら、ビールがどれも一味違う。とにかく新鮮、缶のにおいが無く、出来立てでなければ味わえない旨さがしっかり残存している。真昼間から飲みすぎるわけにもいかないので二人で3種類のビール一杯ずつ楽しんで5部位の肉を堪能しただけで夕方の会に備えることになった。







夜遅い食事の始まりはワインとパテしか出さないバールというか屋台風の居酒屋。込み合うには少し早い時間帯に到着したためか他の客はおらず、カルタゴとハンニバルの話、古代の東地中海の話を肴にシャルドネの次はカベルネのトスカーナワインを楽しんだ。歩道に椅子の幅だけ突きだしたテラス席の定員は4人だから、それ以上の場合は歩道に空き箱でも置いて机と椅子にするんだろう。店の奥のスペースは数人はいるけれど頭が天井にぶつかりそうである。この季節だから良いけれど、雨の日となんといっても冬は厳しい。


2014年5月30日金曜日

天国から地獄、そのあと天国

案の定、朝早く口の中が苦くて目が覚めた。半分眠った状態で洗面所に行き、冷たい水をコップ一杯飲んですこしすっきりさせて再びベッドイン。昨夜の代々木今半でのAKZ定例会は2回目の代々木今半ということで、会員の皆さんに紹介して予約もした手前、少し緊張して早く行動を開始したら30分前に到着した。さすがに早すぎたので近くを久し振りに散策する。この界隈昔は何も無かったけれど、イタリアン、ラーメンや、バルなどが散在するようになっていた。20分前に店内に入り、M先生、N先生、S先生と各先生が到着する毎にビールを追加オーダーして会がスタートした。プレの話題は当然のことながら個別指導が中心で、その傾向と対策は前立会人現当事者のS先生が圧倒的な情報量を誇っている。医師会としてどういう行動をとるかについては、この会の世代はおおむね同一意見であったが、より若い世代は切実感の希薄さが印象的であり、それだからこそしかるべき立場での一体感の表出が必要ではないかと思われた。
教祖風マスターに、前回のメニューがボリュームオーバー気味だったことを伝えたためか、気持ち控えめな肉の出され方だったように思う。タン、黒豚、サシ一杯和牛、いわくある(教祖の説明)野菜、すべて美味しかった。口上が20年前とほとんど変わらないことに気づいたが、愛嬌だろう。二人だけの話題は近々の結腸膀胱瘻の手術と術者の手の震えだったが、術者が親しい先輩であるので、一所懸命安心する方向性に苦労した。
ビールから始まったアルコールは国産白ワインの次は赤ワインであったが、肉だから赤ワインというのがいまいちだった。追い打ちだったのは、2次会で向かったアンコール/ワットのタイウイスキーで、成分を見たらうるち米とカラメルと書いてあり、その味はまさに正直で、今朝の悪酔いがその時点で確定した。

夜は、かねてから予定していた北京ダックをいただきにお仕事終了後銀座に向かう。冷菜盛り合わせのあとはナマコと葱の煮込みをオーダーした。極太のナマコに極太の葱がとてもおいしい。次は北京ダック、二人で1/2を厨房から運んできた料理人のなんとかさんが手際よくカットしてくれた。ここのダック料理は皮だけでなく肉もしっかりついているのが大好きで、切り分けられた材料を半年前に日本に来たという若い女の子が包んで皿に盛って渡してくれる。フロアの日本人スタッフのスキルは全くいただけないが、この二人のしぐさは仕事が単純なせいもあるのだろうけれどすがすがしい。北京ダックを完食してそのあと空芯菜の炒めを食してご馳走様でした。

2014年5月25日日曜日

井の頭の初夏


井の頭はすでに夏の装いだ。何故か公園の敷地内に店を構えているエスニック料理のレストランも周囲は若葉の緑から一部は真夏の濃緑に囲まれ、昼食時の行列も半分くらいは夏の薄着姿だ。家内と息子の嫁さんと孫と4人で家から歩く。孫連れ、子供連れ、犬連れ、カップル、お一人様、ありとあらゆる組み合わせの人々で公園は大賑わいである。歩き方もジョギング、速歩、普通、リハビリなど様々で、ひしめき合うことはないがまっすぐ歩くこともむずかしい。ボートで賑わう池を横目に橋を渡って吉祥寺まで、通常15分の所、ベビーカーだと30分弱かかる。
今日のお目当ては中心街のショッピングビルにあるキッズ&ママフロアである。行ってビックリ、十数件のテナントが軒を並べ、ベビーカーを押すママパパで一杯だった。中央のスペースには子供の遊び場が作られ、紙芝居までやっている。店舗のスペースとほぼ同じ広さのガーデンスペースが作られており、木陰とカフェでのんびりできるようにもなっている。じじばばは早速テラスでサングリアとサワーを一杯引っかけた。

2014年5月23日金曜日

赤坂の夜はふけて

 赤坂のプライムリブ屋が移転したので、そのあたりの洒落た肉屋を探そうと思っていたところ集まりの日時場所のアレンジを任されたため、web上の情報を探しまくってどなたもまだ行ったことがなさそうな店をみつけた。何年も前に知人が指揮するコンサートをサントリーホールに聴きに行って以来のアークヒルズ、しかもサウスウイングは初めて足を踏み入れる未知の世界だ。四谷駅南北線経由で着いた六本木1丁目駅の出口は泉ガーデンとアークヒルズコンプレックスの間で、高層ビルの谷間。どこにでも行けそうで実際にはどこに行くのか見当もつかない迷路みたいな道を行き来していたら突然店の前にでた。一番乗りだったので、予約席に着席したのち融通の利きそうなスタッフにテラスのソファで待つことを伝えてCorona extra を飲みながらあたりを見渡すが、周りは高層ビル、高層マンションが林立し、完全にビルの谷間である。ビル街のオアシスと言えば聞こえはよいが、谷底のホームレスになった気がしないでもない。と、突然そばの木立の中から会チョーが出現した。聞けばサントリーホールまでは月一来ておられるとのことで、ホールの先の脇道階段を昇ったら着いちゃったんだそうだ。総務部チョーは正面玄関からご入店し、これで全員集合した。
周りを見渡せば、勝負をかけていそうなファッションのおねいちゃん連れのカップルとか、ガイジンさんとか、ギョーカイの若手グループとかいろいろいる。思いのほかお手頃値段のセットメニューに即決し、ワインは値段は下から2番目くらいのsonomaのZibfandelをオーダーさせていただいた。
選択可能な前菜をすべて頼み3人でシェアすることにしたが、これが大正解で、多種多様な料理を味わうことができた。メインは歯ごたえ十分なフィレでワインがぴったり。食べるほど飲むほどに店は混雑し、ガラス張りゆえの反響音の大きさで結構うるさい。ガラス張りの欠点と言えば、スタッフさえもガラスのドアにぶち当たったらしい。数年前、朝クリニックに来て窓から外を見たらそのガラスに衝突した鳥の跡が魚拓のようについていたことを思い出した。

2014年5月13日火曜日

焼き鳥対決

M理事にお願いして予約していただいた蘭奢待は、洒落た外観、洒落た内装、洒落たコースメニューに加えて比較的豊富なワインリストがウリなのだと思う。さすがミシュランであり、旅行でニッポンに来た西洋ガイジン受けはだんとつだ。お通しから始まって何種類かの比内鶏の串は、肉それぞれの形やサイズもそろっていてとにかく見栄えがよろしい。サラダ、レバのパテ、最後にデザートまで登場し、yakitori internationalと言ってもいいだろう。お値段もinternationalみたいだったけどね。
蘭奢待の対局はなんといっても吉祥寺伊勢屋である。収容人員の見当がつかない入り組んだ造りのフロアと吉祥寺通りに面した名物のカウンターで饗されるのはどちらかというとホルモン焼きだ。串に刺してある獲物の形やサイズはかなり千差万別である。ナンコツとカシラは開店後1時間以内に売り切れるので食べたいのなら昼前に確実に到着する離れ業が必要だ。速攻で手元に届くメンチとか煮込みを串ものとともにオーダーして、それらをつまみに飲みながら串ものが来るのを待つのが正しい作法と言える。席がグループごとに別であるという概念そのものが存在しないので全員相席状態となる。こういう場所で気が付くのはおひとり様の多いことである。串は1本80円。とにかく安い。


中間に位置するのが目黒串若丸だろうか。5時開店5時半満席。座るのは何故かいつも焼き場正面のカウンター席である。鳥に限らず様々な食材を串で焼き食べさせてくれるのが嬉しいのであるが、酒飲みにとっては焼酎割のヴォリュームがより嬉しい。不思議なことにこの店には必ず西洋人のグループが最低一組いて居座ってしっかり飲み食いしている。欧米人に人気がある店らしい。家内も海外の友人を連れてきて喜ばれたと言っていた。お値段もお手頃なのがグッドである。強いて欠点を上げれば椅子が小さくて席が狭いこと。

以前、M理事にお連れ頂いた文ちゃんはずいぶん昔のことなのでおおかた忘れてしまったが、力強い味と食材だったことが頭に残っている。そろそろ再訪したいものだ。


2014年4月29日火曜日

ディープジョージは場末のビストロ

一昨年のPrimi Baci、昨年のCafe Rigolettoに引き続いての今年度ディープジョージはびすとろuokinにした。小金井でN理事のお心遣いとE理事のこれまた見事としか言いようのないアレンジによるコンペの後、持ち込みの発泡和酒洋酒を楽しみ、タクシーの運転手も吹き出すような他愛のない話をしながら着いたのは吉祥寺東急駐車場入り口。細道を数回曲りたどり着いた店は早くも大混雑。N理事、M理事、F理事との4人組は、立ち飲み立ち食いの若者たちで賑わうビストロの1階の人込みをかき分けて2階窓際の席についた。すごくおいしいという程の店ではないけれど、場末の雰囲気とワインの値段が安いのが取り柄と言えば取り柄のこの店、小ぶりのステーキ&フォアグラ、アヒージョ、サラダ、etc、を浴びるほどのワインで食べた。我々のテーブルのサービス係のノムラくんがちいちゃくてかわいいのが印象に残った。残念だったのは締めの濃厚蒸留酒が用意されてなかったことだったが、そのかわりに飲んだ追加の赤ワイン一本が効いて、2時間半の後帰宅して即意識を失った。

2014年4月20日日曜日

端午の節句の準備

かつて、五月が近づくと松戸の住まいでは庭にこいのぼりを高く上げ、十畳の部屋の片隅に端午の節句の鎧兜を飾り付けるのが通例だった。家紋を染めた陣幕と旗指物を背後に、偉そうな鎧兜が中央に陣取る姿は子供心にはとても迫力があった。着たりかぶるほどのサイズではないから見て驚くしかなかったけれど、付属の太刀脇差は格好の遊び道具で、今でも残っているのが不思議なくらいだ。というわけで、30年ぶりに日の目を見た端午の節句の飾りつけは、あちこちに小さなほころび、欠けはあるものの、飾ってしまえばなかなか立派な姿であった。息子の時の兜、孫のためにゲットした一刀彫の鍾馗様と、時代の変遷に従い急速に小型化しているが、昨今の住宅状況に合わせた結果である。
案の定、息子の家への移設はあっさり拒否された。見に来る日取りを決めてくれただけでもいいほうなのだろう。

2014年4月15日火曜日

外国っぽい写真

シュヴァリエに集まったのは慶大外科名誉教授、東海大外科教授、都内大病院元外科部長と私の4名。店に行く前に地下鉄出口からの通り道にある慶應大学三田キャンパスの東門に立ち寄ってスナップショット1枚。この門はとにかく格好が良い。中等部に通っていた頃は雑草が生えた石段みたいだった気がする。そこから歩いて数分の所にある店の入り口でも、日本字が見えないようにして1枚撮影した。最初に訪れたのはもう15年くらい前だと思う。大正末期に創業とのことで、さすがに店のドアも内装もかなりくたびれている感は否めないが、地下のワインセラーをいじることは永久に無いようにも思われ、それに合わせるとすると当分はこのままで行くんだろう。食事はフランスのどこかの郷土料理とのことで、アミューズ、白・緑アスパラ、スープ、白身魚、フォアグラ、鳩と、オーソドックスなフランス料理が上品に供された。ワインはシャンパンのロゼから始まってアルザスのリースリング、赤はブルゴーニュ。エスキスよりはロォジェに近い調理だと思うけれど、それを小ぶりにして手頃にして、何よりもワインを美味しく飲むための料理だった。一方、食事とワインを美味しくする話題は、この店の地下のワインセラーの温度湿度をワイン向けに適正に保つ地下水が丘の上のイタリア大使館、三井倶楽部から流れている事から始まって、福沢諭吉の亡骸が昭和50年代に発掘された時、墓の下を通る水脈のために白蝋化していたという慶大消化器内科元教授の話に及び、そういえば昔イタリア大使館の年1回のお呼ばれに伺った時、庭に立派な池があることを思い出した。